不立文字 ( ふりゅうもんじ ) なんていう言葉ある
禅の言葉なんだけどね
仏の悟りを伝えるのに 言葉や文字によらず
心から心へと直接伝えること
なんていう意味かな
ある修行僧が座禅をしているときに
他の修行僧が ホウキで庭を掃いていて
石ころが転がって 竹に当たった音を
座禅している修行僧が聞いて
悟りを得た
なんていう話があったと思うけど
不立文字ってそのようなものかもね
でもね~
なんか その不立文字って違和感を感じるんです
いや 心の中で悟っていてもね
それを言葉とか文字で伝えられなければ
本当の悟りじゃないし
多くの人を幸せに出来ないのじゃないかなぁ~
なんて思ったりもするのです
オレの悟りは言葉や文字では伝えられねぇ~
なんて言って
独りよがりの世界に入っていく危険性もあるよね
自分自身の こころ の中にある大事なものを
言葉や文字にして
人様に伝えさせていただくことの難しさ
この行為の裏側には
愛というものが絶対に必要だと思うな
いやね 不立文字を否定するつもりは全然ないよ
なんかね 最近の まあさんは
この危険性に冒されているような感じがして
もう一度
言葉とか優しい気持ちとかを
丁寧に顕さないといけないかなぁ~
なんて思っているのです
簡単なことでも
丁寧に やさしく伝えていく
そんなことを 学ぶ機会があったのです
あ~ こころが固くなりかけていたなぁ~
なんて感じた まあさんでした