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アーヘン ~元祖世界遺産の大聖堂がある町~ ★チン・チャン・チョン事件

2016年01月11日 | 夏のヨーロッパ家族旅行2014
AACHEN

8月10日(日)一時

リエージュ→アーヘン
リエージュ・ジョン・フォセ駅から電車に乗り、来るときに下車したリエージュ・ギルマン駅まで一駅分乗車。今日の目的地は、ドイツのヴェッセリングに住む25年来の友人宅だが、その途中でリエージュのすぐお隣、ドイツ西部のアーヘンに寄り道した。ここにはユネスコの世界文化遺産としても名高い大聖堂があり、是非これを見学したかった。

リエージュ・ギルマン駅からアーヘンまではICE(イーツェーエー:ドイツの新幹線)を使った。車内は混んでいたので、ビュッフェ車で過ごした。


ほんの20分足らずの乗車でベルギーから国境を越えて再びドイツへ。ほどなくしてアーヘンに到着。荷物をロッカーに預けて徒歩で大聖堂へ向かう。駅前から伸びるBahnhofstraße(駅前通り)から大きなTheaterstraße(劇場通り)を進み、ギリシャ神殿のような劇場を眺め、Hartmannstraße(ハルトマン通り)に入ると大聖堂が見えてくる。ここまで約15分。


アーヘン大聖堂 Aachener Dom
大聖堂(ドーム)に近づくと、その特異な建築の構造が目を引く。いろいろな形の部分をつぎはぎしたよう。これはこの大聖堂が1000年にも及ぶ長い年月をかけて建設されたことで、様々な時代の建築様式が混在しているため。

今やドイツは世界遺産大国の一つで、文化遺産だけでも40近くにも及ぶが、アーヘン大聖堂は1978年に生まれた世界遺産の最初のリストに入り、ドイツで最初の世界遺産となった再重要建築物だ。


なかでも重要なのが、大聖堂の中心に位置するこの八角形の礼拝堂(Oktogon)。
ヨーロッパ中世史に名を轟かせた大国・フランク王国に君臨したカール大帝が、西暦796年から805年に建設させたもの。ここには大勢の観光客が集まり、撮影ポイントではカメラを持った人達が群がっていた。

アルプス以北で一番最初に造られたドーム建築で、主に古典主義様式とビザンチン様式が色濃く反映し、建築・美術史上において世界的に重要な建築物の一つに数えられている。

重厚で格式高い内部の構造と、金のモザイクと大理石で施された精巧できらびやかな内装が、得も言われぬ異彩を放っていた。

八角形礼拝堂は二重構造になっていて、こちらはその外側を取り囲む大理石の壁。ローマやラヴェンナから切り出されたという大理石は八角礼拝堂内で床も含めてふんだんに使われていて、深緑とベージュが織り成す文様が美しい。

ただ、この壁や床の美しい大理石の文様は、ドイツ語の詳しいパンフレットで調べてみると、カール大帝が建造した当時からそのまま残っているものではなく、19世紀末から20世紀初頭にかけて補修されたり、新たに作られたものということだった。

八角礼拝堂の外周は、このような連続するアーチ状の柱が取り囲んでいる。このうちの3分の2は、建設当時のカロリング王朝時代のもので、残りは19世紀に補修された。そして、天井の眩いばかりのビザンチン調のモザイクも、やはり19世紀末から20世紀初頭にかけて修復されたり、新たに制作された。中には、その時代を反映したビスマルクの肖像がデザインされたモザイク画もあるそうだ。


八角形礼拝堂から、その東側にあるクワイア(Chorhalle)の鮮やかなステンドグラスが見える。


1355年から1414年に建造されたゴシック様式のクワイアは、天井までの高さが32メートルある。三方の壁一面に覆われているはステンドグラスは、第2次世界大戦で破壊された後に制作されたもの。ガラスの総面積は1000㎡以上に及ぶという。

クワイアの真ん中に立って見上げれば、天井近くまで埋め尽くされたステンドグラスの美しさに圧倒される。窓の高さが26メートルもあり、ゴシック様式のステンドグラスとしては世界でも最大級のものだ。


広場(Platz)という名前は付けられていないが、中庭を意味するホーフ(Hof)の名が付いたカチュホーフ(Katschhof)という広々とした広場を挟んで、大聖堂と向き合うように建っているのが市庁舎だ。これも、アーヘンの歴史地区には欠かせない古い歴史を持つ重要建造物だ。


カチュホーフとは反対側のマルクト広場(Marktplatz)から見上げた市庁舎。昨日リエージュで見たプランス・エベック宮殿に通じる異彩を放っているこのゴシック建築が建てられたのは14世紀だが、両側に立つ塔はカール大帝の時代に作られたものだという。

ここは内部の見学が出来、その昔、国王の戴冠式が行われた戴冠の間なども見ることができるそうだ。


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大聖堂や市庁舎周辺には観光名所がたくさんあるだけでなく、観光客用のお店もたくさんあってショッピングをするのも楽しそう。

アーヘンを訪れたのは日曜日だったが、閉店法はどこへやら… 開いているお店がたくさんあって、観光客で賑わっていた。僕たちもお菓子屋さんでアーヘン名物のプリンテン(Printen)というお菓子を買った。これはドイツでクリスマスの前に食べるレープクーヘンにとても似ていて、シナモンが効いたサクサクでフワフワの焼き菓子だった。


チン・チャン・チョン

大聖堂の脇にあったセルフのお店のテラス席でお昼を食べていた時のことだった。後ろの方から「チン・チャン・チョン!」という声が発せられた。声変わりしかけの少年のような声だった。この「チン・チャン・チョン!」というのは、中国語などアジアの言語の発音を茶化して、主にドイツ語圏の国で、とくに子供がアジア人に対して軽蔑を込めて発する、からかいや冷やかしの呼びかけだ。振り向くと、白人の親子連れが食事していた。明らかにこの家族の中にいる少年が自分たちに浴びせたものだった。

僕はすかさずこの家族に向かって、抗議の意味を込めて"Nein!!"(No!!)と叫んだ。反応がないので、自分の家族の方に向き直って、相手に聞こえるようにドイツ語で、「今、後ろにいるバカな子供が、俺たちにむかって、チン・チャン・チョンって叫んだよ!」と言った。

小さい子供だって、こんな非礼な呼びかけを他人に発するのは許されない。ましてや、とっくに物事の善悪の判断がつくいい年した少年が、平然とこういうことばを浴びせてくるってどういうこと?しかも親が一緒にいるのに、子供を咎める様子もないし、謝りに来ることももちろんない。この親にしてこの子供ありだ。

僕がこれまでに接してきたドイツ人やオーストリア人は、誰もが優しくて礼儀正しい。その彼らの中には「これまでに差別的ないやな扱いをされたことはなかったか?」と、真顔で心配して訊ねてくれる人もいた。「チン・チャン・チョン」は初めてだったが、これまでに蔑みの態度に遭遇したことは、ごく希だがあるにはあった。どこの国でも、どんな社会でも、異国人に対する差別というのは厳然として存在するのだ。

この一件で、僕は腹立たしさより、もっと心の奥底が疼くような不快感を覚えた。奥さんも少なからず気分を害していた。しかし、ドイツ大好きの娘は「そんなに気にならないよ」、息子に至っては妙にウケてゲラゲラ笑っている始末… 軽蔑を込めて発せられた言葉には、毅然とそれを拒否し、不快な思いをしたことを相手に意思表示できる人間になってもらいたい。それが、相手のことも敬える心を育てることができると信じるから。

僕たちは外国人観光客としてほんの数時間この町にやってきたいわばよそ者だ。そのよそ者に対して、現地の人が侮蔑的な態度を取っただけで、これほどの不快感を味わうのだ。在日外国人として日本に長年住んでいる人たちのところへ乗り込み、耐え難いような口汚い言葉を浴びせるヘイトスピーチという行為が、いかに卑劣な行為であるかを改めて認識する機会ともなった。

「チン・チャン・チョン」と叫んだ子供が地元の人間とは限らないが、この街を訪れた思い出に汚いシミが出来、もうここには来たくないという気持ちにさえなった。

すっかり気分を害されたが、せっかくの旅行、大聖堂にもとても感動したので、この大聖堂を短時間のなかでスケッチした。通行人が何人も絵を覗きに来ては褒めてくれた。少しは気分も持ち直し、約3時間の滞在を終えてヴェッセリングへ向かった。



ヴェッセリングで友人宅お泊り → ダルムシュタット ~ユーゲントシュティルの町~
リエージュ ~重工業で栄えたベルギーフランス語圏のダウンタウン~
ヨーロッパ家族旅行2014

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