9月30日(水)クレマン・ジャヌカン・アンサンブル


フランソワ1世とカール5世
~16世紀スペインのカンシオンとフランスのシャンソン~
王子ホール
【曲目】
マテオ・フレーチャ/戦い(エンサラーダ)
エンリケス・デ・バルデラーバノ/ある主題をもとに奏する音楽 ( リュート独奏)
フアン・バスケス/騎士さん、私を見捨てるおつもりなんですか
ぼくの不幸には理由がある
あなたなしでは生きられないあの男は
涙は私には慰め
ルイス・デ・ナルバエス/ディフェレンシアス~私の牛を見張っておくれ (リュート独奏)
マテオ・フレーチャ/ポンプ(エンサラーダ)
クレマン・ジャヌカン/マリニャーノの戦い
ジャン・ポール・パラダン /ファンタジー (リュート独奏)
ジョスカン・デ・プレ/苦しみが私をさいなみ
和らげておくれよ
はかりしれぬ悲しさ
ルイス・デ・ナルバエス/皇帝のカンシオン(はかりしれぬ悲しさ、ジョスカン・デ・プレ) (リュート独奏)
ジョスカン・デ・プレ/金がないのは
こおろぎは良い歌い手
森のニンフたち、泉の女神(オケゲムの死を悼む挽歌)
ピエール・アテニャン/トルディオン (リュート独奏)
クレマン・ジャヌカン/狩
【アンコール】
ヴァンサン・スコット/ポワリュの呼び声
クロード・ルジュヌ/仲間に乾杯
カウンターT:ドミニク・ヴィス(音楽監督)/T:セルジュ・グビウ、ヴァンサン・ブーショ/Bar:フランソワ・フォーシェ/B:ルノー・ドレーグ/リュート:エリック・ベロック
カウンターテナーの名歌手ドミニク・ヴィスが率いるルネサンス音楽の演奏で定評あるクレマンジャヌカンアンサンブルの演奏会。よく知らずに名前に引かれて出掛けたが、想像していた聖なる世界とは正反対のような、世俗の生きた音楽の楽しさを腹の底から楽しませてくれる演奏会だった。
ステージ中央に置かれた狭いテーブルに大柄な男が6人肩を寄せ合うように座り、客席と向かい合ったときから、何かやらかしてくれそうな空気が漂っていた。髭もじゃやツルっ禿げ、爆発ヘアーなどなどつわもの揃いといった6人の個性溢れる風貌がすでにお客を引き付ける。彼らはアンリ・ルソーの描く人物の顔に浮かぶような、何かとんでもないことを考えていそうな表情をしている。
そして聴こえてきた歌は、これまでに聴いたどこか浮世離れして上品なルネサンス音楽の響きとは違うリアルでエモーショナルで、近しい歌。そこからは心踊る、或いは手に汗握る、或いは下世話な、或いはまた悲痛な… どこでもいつの世でも人々がいろいろな場面で味わう様々な気分がストレートに伝わってくる。
5人の歌い手達はその風貌が醸しだす出す雰囲気同様に、ドミニク・ヴィスの特異なまでの磨き抜かれた声と歌唱を筆頭にそれぞれに抜群の個性と輝きを持ちつつ、それらがアンサンブルとして唱和するとすごい集中力でひつに合わさって輝き、情景描写や感情表現のリアルさ、巧さにおいても驚異的な力を発揮する。ジョスカン・デ・プレの哀悼の音楽も敬虔な気持ちよりもただ魂を揺すられる。
彼らが取り上げる殆んど一般には知られていない歌の数々が400年以上の時を一気に飛び越えて、博物館の展示品とは全く違う、現代の生きた音楽として聴く者の感情に訴え、何よりも無条件で楽しませてくれた。その合間に演奏される心に沁みるベロックのリュートの調べだけが、「あ、ルネサンス音楽の演奏会だったんだ…」ということを思い出させてくれる。
「古楽ファンのみならず」どころか「音楽好きのみならず」世界中の多くの人達を魅了してしまいそうなクレマンジャヌカン・アンサンブルは役者の中の役者、芸術家の中の芸術家だ。次の来日公演が今から待ち遠しい!
彼らがお辞儀をする度に聞えた猿の呼び声のような掛け声は何だったんだろうか…



フランソワ1世とカール5世
~16世紀スペインのカンシオンとフランスのシャンソン~
王子ホール
【曲目】
マテオ・フレーチャ/戦い(エンサラーダ)
エンリケス・デ・バルデラーバノ/ある主題をもとに奏する音楽 ( リュート独奏)
フアン・バスケス/騎士さん、私を見捨てるおつもりなんですか
ぼくの不幸には理由がある
あなたなしでは生きられないあの男は
涙は私には慰め
ルイス・デ・ナルバエス/ディフェレンシアス~私の牛を見張っておくれ (リュート独奏)
マテオ・フレーチャ/ポンプ(エンサラーダ)
クレマン・ジャヌカン/マリニャーノの戦い
ジャン・ポール・パラダン /ファンタジー (リュート独奏)
ジョスカン・デ・プレ/苦しみが私をさいなみ
和らげておくれよ
はかりしれぬ悲しさ
ルイス・デ・ナルバエス/皇帝のカンシオン(はかりしれぬ悲しさ、ジョスカン・デ・プレ) (リュート独奏)
ジョスカン・デ・プレ/金がないのは
こおろぎは良い歌い手
森のニンフたち、泉の女神(オケゲムの死を悼む挽歌)
ピエール・アテニャン/トルディオン (リュート独奏)
クレマン・ジャヌカン/狩
【アンコール】
ヴァンサン・スコット/ポワリュの呼び声
クロード・ルジュヌ/仲間に乾杯
カウンターT:ドミニク・ヴィス(音楽監督)/T:セルジュ・グビウ、ヴァンサン・ブーショ/Bar:フランソワ・フォーシェ/B:ルノー・ドレーグ/リュート:エリック・ベロック
カウンターテナーの名歌手ドミニク・ヴィスが率いるルネサンス音楽の演奏で定評あるクレマンジャヌカンアンサンブルの演奏会。よく知らずに名前に引かれて出掛けたが、想像していた聖なる世界とは正反対のような、世俗の生きた音楽の楽しさを腹の底から楽しませてくれる演奏会だった。
ステージ中央に置かれた狭いテーブルに大柄な男が6人肩を寄せ合うように座り、客席と向かい合ったときから、何かやらかしてくれそうな空気が漂っていた。髭もじゃやツルっ禿げ、爆発ヘアーなどなどつわもの揃いといった6人の個性溢れる風貌がすでにお客を引き付ける。彼らはアンリ・ルソーの描く人物の顔に浮かぶような、何かとんでもないことを考えていそうな表情をしている。
そして聴こえてきた歌は、これまでに聴いたどこか浮世離れして上品なルネサンス音楽の響きとは違うリアルでエモーショナルで、近しい歌。そこからは心踊る、或いは手に汗握る、或いは下世話な、或いはまた悲痛な… どこでもいつの世でも人々がいろいろな場面で味わう様々な気分がストレートに伝わってくる。
5人の歌い手達はその風貌が醸しだす出す雰囲気同様に、ドミニク・ヴィスの特異なまでの磨き抜かれた声と歌唱を筆頭にそれぞれに抜群の個性と輝きを持ちつつ、それらがアンサンブルとして唱和するとすごい集中力でひつに合わさって輝き、情景描写や感情表現のリアルさ、巧さにおいても驚異的な力を発揮する。ジョスカン・デ・プレの哀悼の音楽も敬虔な気持ちよりもただ魂を揺すられる。
彼らが取り上げる殆んど一般には知られていない歌の数々が400年以上の時を一気に飛び越えて、博物館の展示品とは全く違う、現代の生きた音楽として聴く者の感情に訴え、何よりも無条件で楽しませてくれた。その合間に演奏される心に沁みるベロックのリュートの調べだけが、「あ、ルネサンス音楽の演奏会だったんだ…」ということを思い出させてくれる。
「古楽ファンのみならず」どころか「音楽好きのみならず」世界中の多くの人達を魅了してしまいそうなクレマンジャヌカン・アンサンブルは役者の中の役者、芸術家の中の芸術家だ。次の来日公演が今から待ち遠しい!
彼らがお辞儀をする度に聞えた猿の呼び声のような掛け声は何だったんだろうか…

私は前日の名古屋で聴きました。
こちらは東京ですよね?
>猿の呼び声のような掛け声
名古屋でもあったんですが、東京でもですか?!なんなんでしょうね~?
名古屋でもありましたか!? 思うにあれは演奏者達が自ら出しているような気がちょっとしました。客席からあんな変わった声が聞こえたらきっと周りの人達が見ると思うんですが、振り返ったりしてる人は誰もいなかったし・・・ あるいはクレマン・ジャヌカンの演奏会でトリマキが必ずやる儀式かも…?
あの変な声はおじぎをして頭を下げた時に彼ら自身が出しています。多分、鳥の鳴き声を真似ているのではないかと……。(カッコーあたりかな?)
以前は、面白がって客も最後にはブラヴォーの代わりにあれを真似してかけ声をかけたりしてました。先日の公演では客の年齢層が高くて、さすがにそんな事をする人はいなかったようですね。
客席でもいっしょにやれば益々演奏会が盛り上がってまた更にビックリすることが起こりそうな… 次の来日のときは僕もいっしょにあの声をやってみようかな!
あのアンサンブルは、ヴィスの特異な声を含んでハモらせるのが凄いと思います。
“鳥の声”は次の機会に僕もやってみます。
人々が今よりも秩序とか体裁を気にせずに自由奔放に楽しんでいた時代の空気が伝わってくるようでアンサンブルの醍醐味に益々共感を覚えました。次回公演での「鳥の声」唱和しますよ!