12月27日(日)鈴木雅明 指揮 バッハ・コレギウム・ジャパン(夜公演)
~ベートーヴェン生誕250年記念~
東京オペラシティコンサートホールタケミツメモリアル
【曲目】
♪ バッハ/パッサカリアとフーガ ハ短調 BWV582 Org:鈴木優人
♪ ベートーヴェン/交響曲第9番ニ短調 Op.125「合唱付き」
S:森 麻季/A:林 美智子/T:櫻田 亮/B:加耒 徹
ベートーヴェン・イヤーの締めには第九を聴こうと決めていた。選んだのはバッハ・コレギウム・ジャパンの第九。コロナ禍で合唱が危険扱いされ、合唱の人数が減らされ、なかにはPA使用の可能性を予告する演奏会もあるなか、BCJはフル出演での人数でもいわゆる安全圏内。普段の編成のまま臨め、古典派の演奏でも感銘を与えてくれ、何よりバッハで熱い音楽を届けてくれる鈴木雅明/BCJに期待した。
客席は9割方埋まって上々の入り。優人氏によるオルガン独奏は、端正に始まって大伽藍を思わせる堂々としたエンディングで、第九への気分を高めた。
そしてオーケストラメンバーがステージに勢揃いして第九が始まった。厳粛で重心が低く、リアルな響きを聴かせた第1楽章。第2楽章はリピートを全て入れた激しい前後の部分と、柔らかく浮遊感のあるトリオの対比が印象的。第3楽章は音の自然な流れを大切にした演奏だと感じた。ただ、ここまで聴き進んできて、これという決め手には欠けた。僕のなかでこの曲には、どの楽章でも「ここ!」というしびれるポイントがいくつもあるのだが、それらをあっさり過ぎてしまったり、期待したようにならなかったりで、それに代わるBCJならではの聴かせどころにも気づかないまま終楽章に入った。
しかし、第4楽章冒頭の「恐怖の和音」で俄然音が飛びかかって来た。厳しく、重々しく、隙のない導入部に続く低弦によるレチタティーヴォは雄弁にして柔軟で、深い心の声を聴かせた。続く「歓喜の歌」のメロディーの変奏は盛り上がりにもう一歩だったが、加耒徹のバリトンソロの第一声で、僕にとってしびれるスイッチ、心を揺するスイッチが一気に入った。艶やかで輝かしい声、雄弁な呼びかけ、そして「歓喜の歌」での強さと繊細さを兼ね備えた歌唱は、この後に展開する「人類の賛歌」を内包する素晴らしいものだった。
それからのBCJは、僕にとっての聴かせどころで次々と感動を与えてくれた。テンションも密度もパワーも言うことなし。とりわけ感動的だったのは32人による合唱。極上の美しいハーモニー、力強さ、繊細さ、輝き… 普段聴く第九の合唱より遥かに小編成ではあるが、日頃からこの編成で最大のパワーを発揮しているBCJなればこそだろう。明瞭なドイツ語もさすがで、シラーのメッセージが力強さだけでなく、深い説得力で届いてきた。
「全ての人々は兄弟になる」「抱き合え、幾百万の民よ!」「この口づけを全世界へ!」、これらの言葉が強く深く発せられるとき、今の世界での、増大し続ける感染や人々の苦悩の状況だけでなく、社会にはびこった差別や偏見や不寛容を思うと、第九が訴えるメッセージに素直に共感していいのだろうか、という迷いも抱いてしまったが、「星空の彼方に愛しい父が住まう」という言葉が柔らかく包み込むように天上から降り注ぐのを聴いたとき、確かな希望の光が見えた気がした。パワーで押しまくるだけでなく、こうした「救い」ももたらしてくれるのは、BCJが日頃バッハの音楽に心血を注いでいることと無関係ではあるまい。
熱く盛大な拍手がいつまでも続き、最後はスタンディングオベーションとなった。この年末、他のオケの第九公演でもこのような光景が繰り返されているようだ。ベートーヴェンが伝えようとしたことが今ほど私たちの心に響くときはないのだろう。その意味で生誕250年の意味は確かにあったと云える。
(ブログ管理人の)ベートーヴェン:交響曲第9番 曲目解説
バッハ・コレギウム・ジャパン/「運命」とハ長調ミサ 2020.11.29 さいたま芸術劇場
鈴木雅明/BCJの「マタイ」 (2020.8.3 東京オペラシティコンサートホール)
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♪ バッハ/パッサカリアとフーガ ハ短調 BWV582 Org:鈴木優人
♪ ベートーヴェン/交響曲第9番ニ短調 Op.125「合唱付き」
S:森 麻季/A:林 美智子/T:櫻田 亮/B:加耒 徹
ベートーヴェン・イヤーの締めには第九を聴こうと決めていた。選んだのはバッハ・コレギウム・ジャパンの第九。コロナ禍で合唱が危険扱いされ、合唱の人数が減らされ、なかにはPA使用の可能性を予告する演奏会もあるなか、BCJはフル出演での人数でもいわゆる安全圏内。普段の編成のまま臨め、古典派の演奏でも感銘を与えてくれ、何よりバッハで熱い音楽を届けてくれる鈴木雅明/BCJに期待した。
客席は9割方埋まって上々の入り。優人氏によるオルガン独奏は、端正に始まって大伽藍を思わせる堂々としたエンディングで、第九への気分を高めた。
そしてオーケストラメンバーがステージに勢揃いして第九が始まった。厳粛で重心が低く、リアルな響きを聴かせた第1楽章。第2楽章はリピートを全て入れた激しい前後の部分と、柔らかく浮遊感のあるトリオの対比が印象的。第3楽章は音の自然な流れを大切にした演奏だと感じた。ただ、ここまで聴き進んできて、これという決め手には欠けた。僕のなかでこの曲には、どの楽章でも「ここ!」というしびれるポイントがいくつもあるのだが、それらをあっさり過ぎてしまったり、期待したようにならなかったりで、それに代わるBCJならではの聴かせどころにも気づかないまま終楽章に入った。
しかし、第4楽章冒頭の「恐怖の和音」で俄然音が飛びかかって来た。厳しく、重々しく、隙のない導入部に続く低弦によるレチタティーヴォは雄弁にして柔軟で、深い心の声を聴かせた。続く「歓喜の歌」のメロディーの変奏は盛り上がりにもう一歩だったが、加耒徹のバリトンソロの第一声で、僕にとってしびれるスイッチ、心を揺するスイッチが一気に入った。艶やかで輝かしい声、雄弁な呼びかけ、そして「歓喜の歌」での強さと繊細さを兼ね備えた歌唱は、この後に展開する「人類の賛歌」を内包する素晴らしいものだった。
それからのBCJは、僕にとっての聴かせどころで次々と感動を与えてくれた。テンションも密度もパワーも言うことなし。とりわけ感動的だったのは32人による合唱。極上の美しいハーモニー、力強さ、繊細さ、輝き… 普段聴く第九の合唱より遥かに小編成ではあるが、日頃からこの編成で最大のパワーを発揮しているBCJなればこそだろう。明瞭なドイツ語もさすがで、シラーのメッセージが力強さだけでなく、深い説得力で届いてきた。
「全ての人々は兄弟になる」「抱き合え、幾百万の民よ!」「この口づけを全世界へ!」、これらの言葉が強く深く発せられるとき、今の世界での、増大し続ける感染や人々の苦悩の状況だけでなく、社会にはびこった差別や偏見や不寛容を思うと、第九が訴えるメッセージに素直に共感していいのだろうか、という迷いも抱いてしまったが、「星空の彼方に愛しい父が住まう」という言葉が柔らかく包み込むように天上から降り注ぐのを聴いたとき、確かな希望の光が見えた気がした。パワーで押しまくるだけでなく、こうした「救い」ももたらしてくれるのは、BCJが日頃バッハの音楽に心血を注いでいることと無関係ではあるまい。
熱く盛大な拍手がいつまでも続き、最後はスタンディングオベーションとなった。この年末、他のオケの第九公演でもこのような光景が繰り返されているようだ。ベートーヴェンが伝えようとしたことが今ほど私たちの心に響くときはないのだろう。その意味で生誕250年の意味は確かにあったと云える。
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バッハ・コレギウム・ジャパン/「運命」とハ長調ミサ 2020.11.29 さいたま芸術劇場
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