小林由香「罪人(つみびと)が祈るとき」 327頁
ジャッジメントの小林さんが今年の3月に2作目を出してきた。前作の復讐法のディストピアフィクションの重い鉈のような切れ味に多くの本読ミは驚き、ビビり、ショックを受けた。
誰かがレビューに上げると、その度に多くのコメントがつけられ、賛否を交えて返信が繋がる。
それも1回目や2回目ではない
おそらく十人以上の常連がレビューを上げた、その都度その都度に多くのコメントがつくのである。
このテーマとこの作者の存在が如何に多くの本読ミの慧眼に留まったかの証拠であることだろう。
例えれば開幕戦第一球、内角死球スレスレの豪速球ストレートがジャッジメントであった、そして第2球本作は如何に ?
シチュエーションは前作から、より制球に狙い澄ました感ある現代、現実設定である。
しかしテーマは高校でのいじめ、そしていじめに伴う自殺、事故、殺人、である。しっかりと大胆に、ふてぶてしく、一作目を踏襲している。自信満々の第2球である。
今現在、凄惨ないじめ、暴力と金銭収奪の犠牲となっている少年、未成年の未熟さか、エスカレートしてあわや生命さえも危険にさらされたその時、ピエロの格好をした不詳の存在に危機を救われる。だがその場は逃れられたが元凶は健在でその後の日常でも危機といじめは継続される。
そして過去に息子がいじめの果てに自殺に追い込まれ家庭が壊れた父親。二つの被害者、二つの悲劇が交錯する。
悲劇の縦糸を繋ぐ横糸は共通のいじめの加害者であり元凶なのだった。
近未来フィクションの手法を借りず、敢えてど真ん中、リアルなとことん現実で勝負してきた小林。
その力量と胆力恐るべし。
いい意味で期待を裏切る、一作目の呪いを弾き飛ばす作家の2作目はかくあるベシ、というような2作目である。
冲方丁の十二人の死にたい子どもたち、と並ぶべき、いじめで悩める少年少女、そして親たち必読の作品と思う。
更に3作目が楽しみになってきた。
期待してますよ、小林さん。
#CURE #黒沢清 公開日: 1997年12月27日
× × ばつ バツ 罰 跋 魃 X x エックス ←たくさん出てくるコワいもの・・・
人様にオススメしてぜひ、見てほしいって映画もあれば 逆に絶対にオススメできない
映画ってのもある。
ましてや、カップルで映画館デートとか、親子で動画配信鑑賞なんてしたら、親密な関係が
一気に決壊して「なんで、こんな映画見せるのよッ!」(怒)と激怒されること必須の映画が
この作品「CURE」だ。
監督は黒澤清、俳優仲間とか監督同士の中で特に評価が高く、「黒澤さんの映画なら
大変だけど何はさておきオファー受けなさい」って言われて出演しちゃう前田敦子さんみたいな、
ミュージシャンズ・オブ・ミュージシャン的な評価の監督さんである。
本作はその中でも彼の評価を固めて、和製セブン、とかセブン超え、とか賛されたサスペンス、
ホラー犯罪映画。もちろん血まみれの惨殺死体とか、そういうグロいものも沢山出てくるが、
それだけじゃなくて、人や自分の心の中の澱んでいる暗闇や泥濘の源泉みたいなもの(フクシマ
原発の中の放射能デブリみたいな感じ)をサルベージして晒しだされるような気持ちの悪さを
感じさせる類の映画なのです。
プロットはある記憶喪失の男:萩原聖人が何故か修得していた催眠暗示の能力を悪用し、奴に
関わる人間達の精神・負の欲求を操り、その近しい者を殺させ、喉をX字に切り裂かせる。
最初は加害者被害者に何の関連性も無いのに異様に手口が極似しているこの連続殺人事件に
ある共通の男が接していることに辿り着いた刑事:役所広司が犯人を追う、というもの。
極めて計算されてあちこちに散りばめられた意味深なカット。
平常な場面で何時も通りの言動をしている人物:隣人がいきなり拳銃の引き金を引き
ナイフを躊躇なく身体に差し入れてくる怖さ。殺人がホラーの異空間の中ではなくて
日常の隣側、背中越しに続いていることがわかってぞっとする。
現在進行形の京都の放火事件もきっとこのような禍々しさと同じ構造にきっとあるのだろうと
不謹慎にも納得してしまった。
そう、現実が虚構も時間も乗り越えて、この映画の毒に侵食されているようなキモチ悪さだ。
繰り返すが、決して本当にオススメしない映画だ。ただし、今自分が居るこの平和な日常に
違和感を持ちながら、そのからくりを見出してみたいと思っている奇特な僕のような御仁にだけ
ピンポイントで適合する映画だとお伝えしておく。
1997年日本インターネット映画大賞日本映画作品賞受賞作
監督: 黒沢 清 原作者: 黒沢 清 音楽: ゲイリー芦屋 映画脚本: 黒沢 清
キャスト/高部賢一:役所広司/間宮邦彦:萩原聖人/佐久間真:うじきつよし/高部文江:中川安奈
/宮島明子:洞口依子/花岡徹:戸田昌宏/花岡とも子:春木みさよ/大井田巡査:でんでん
/桑野一郎:螢雪次朗/安川刑事:大鷹明良/藤原本部長:大杉漣/精神科医:河東燈士
[神童] 監督、萩生田宏治 漫画原作さそうあきら
ピアノの音、単音というものは天才演奏家の出す音と一歳の児が出す音とで違いがあったり芸術性がうかがえたりするものなんだろうか? そんな変な疑問をかなり以前からずーっともっているのですが、どなたか良い答があればお知らせ下さい。
他の楽器(バイオリンとか)ならば違うのはわかるだろうしピアノもワンセンテンスや和音ならば、これもわかるのだろう。では単音は? 何処を聞き分けるのか?そもそも音楽に神様や霊性があるとしたら単音でも明解に区分されなければいかんよなあ。。。。。。などとクラーク先生の様な気になってしまいますが、そんな映画です。
天才的な女子中学生と人並みの才能と情熱しかない音大受験生のストーリーです。松山ケンイチが何度弾いても出せないベートーベンの熱情という曲が、成海璃子にこき下ろされて、ウルセエってキレて鍵盤をバーンとやったら、、、弾けた。。。。と呟くシーンがありましたが、ピアノをやってる長男と奥さんは、あーわかるわかるベートーベンはバーンと、なのよね~🎵と二人だけわかってる風で、なんとも疎外感につかれたオトーサンなのでした。