幻想小説周辺の 覚書

写真付きで日記や趣味を書く

鎌倉殿の13人 とわたし

2022-12-23 17:42:00 | テレビ 
「鎌倉殿の13人」とわたし
先の日曜日に第61作目のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が終了してしまった。
直後は、放心、感動、考察、などの多種の感情が入り乱れうまく整理できなかったがようやく総括できそうになってきた。

当初は、特に入れ上げることもなく、今までの習慣のようになんとなく初回から数回を観ていた。
役者も源頼朝に大泉洋、政子に小池栄子という画面から、コミカルなシーンを交えたアットホームな時代劇なのだな・・・・とある意味、安心・油断して観ていたのだと思う。

これが、後々は、放送前に前回の放送を復習し、各種SNSや解説動画をチェックし、日曜日は早めの5時台には風呂にお湯を張り入浴したのち、まずBSで1回目を拝聴し、その後夕食採り乍らツイッターで同輩の反応を確認し、その後8時の地上波デジで2回目を確認するという、世に言うカマクラ組というものに自分もなるとは思いもよらなかった。

きっかけはやはり、あのアサシン善児である。
怖くない風貌のターミネーター。
無表情でしかも最小の動作で殺気も見せずに、躊躇せず子どもでも主要キャラでも殺してのける人物造形。明らかに、あの初期鎌倉、の中で異質な磁場を生み出していた。

そして徐々に教科書や史実で知った部分が出てくる源平合戦のパート、
菅田将暉義経、中村獅子堂梶原景時、山本耕司三浦、西田敏行後白河法皇、・・・と実際に本人たちが
このように行動し、喋っていたのだろうな、と確信させる脚本の妙。
逆に、史実でつじつまが合わずモヤモヤといままでしていたものが、「おお やっぱり本当は、こうだったんだよな----」と(ある意味、ミスリードさせる)
毎回、霧が晴れるような快感を味わった。

ドラマ中盤26話で大泉頼朝が死に、27話でようやく大河タイトル「鎌倉殿と十三人」(微妙に同一ワードじゃない処が憎い)が示され、ここから一気にドラマは、シリアスで緊張感あふれる身内仲間間のサバイバルデスゲームに様相を変える。
もうこうなってくるとドラマから一時も目が離せない、セリフ一つ聞き逃せない・・・・
気をそらした瞬間のあれ、が命取りや、重大な伏線になったりしていて、トラップが三重四重に張られている敵地行軍のようだった。

終盤からラストはその緊張感がMaxに達し、生き残りレースは御家人間から一族間に絞られてくる。
もはや初回のコメディな北条家ホームドラマの雰囲気は見る影もなく、スターウオーズ父子の闇落ちの葛藤やシェークスピアの孤独な王の悲劇に変貌していった。

賛否、(当然、賛が多いが・・)溢れるラストシーンも、これぞ三谷脚本の真骨頂!とでも言うべきもので、安易なハッピーエンドでも、後味悪いバッドエンドでもなく、
悲しみと後悔、希望と救済といった数多の感情を、ある男の人生の最期の時に暗転させるという、今までの大河のラストが、なんて・お気楽だったんだ、と嘆息した。数日間は放心である。
改めて凄いエンデイングであったと思う。
ここまでハードルが上がると、次に作る側は、さぞキツかろうな、と同情しつつ、「どうした家康」に期待したい。

逆に傑作⁉︎ 線は僕を描く の長文レビュー

2022-12-13 14:11:00 | 書評 読書忘備録
#線は、僕を描く #砥上裕将 322頁






奇妙なタイトルではないか。「線は、僕を描く」・? 主語と目的語が倒立している。。。
覚えにくいか、忘れがたいか、どちらかの印象を刻むタイトルだ。 
つまりこれは「このスープが私です(ラーメン屋亭主)」とか「このピアノの音こそが私です(栄伝亜矢)」とかいう表現者、創作者が主張するニュアンスのことなのだな、と本読みは推測する。
水墨画の線の一本一本がその絵師の技量はおろか絵に対する志、いや自分の人生そのものへ相対する心根を筆の生む墨の線があからさまに現わすのだ。

この本は2019年の中旬からFaceBookの本好きメンバーの、特に名うての本読みたちの目にとまり瞬く間に投稿レビューが、コメントが、数多く上げられてきている。そしてそのレビュー、感想文もアツい賛辞に溢れている。この熱は現在も継続しており、しばらくは冷めることはないだろう。

本の装丁やカバーイラスト、そして帯やポップから受けるイメージもタイトル同様に自分には微妙な感じであった。なんとなく本の顔つきはライトノベルっぽいのに、扱う世界が水墨画??
「なんだこれは?」「これが、あの○○さんや、●●さんが激賞する物語なのか?本当に?」・・・・と。しかも、作者はまだ若い水墨画家であり、この作品がデビュー投稿作であり、メフィスト賞受賞!とな?
だが、危ぶむなかれ、これからこの本を手に取ろうとする諸氏は安心して本好きの先達たちの目利きの力量を信じればよい。

文章から絵が見える。文章から墨の香りが沸き立ち、和紙の手触りと、その奥に湛えられる主人公たちの水墨画に対するこころの貯水量の巨きささえ感じられる。とても正しく、的確で、達者で、美しい文章だ。
デビュー作で、しかも本業は水墨画家ということがにわかには信じがたかった、堪能しつつ驚愕した。
自分はこの作者の本業(シゴトではなく字のとおり本人の本当の業:カルマ)が絵師なのか、物書きなのか、正直にいうと判明できず、戸惑い、うらやみさえしてしまったことを白状する。

当初は困惑と驚きを持ってこの本の世界に入り込んだ自分は、物語が流れを生み、流れに乗るようになってこの豊かな文章の才能が、物書きと本読み、という僕らの世界にやってきたことを素直に喜び、歓迎した。
水墨画という全くなじみも既得の知識もない自分たち読者が、一ページ一ページ、嬉々として作者の
思惑通りこの世界を愉しみ、文章に酔うのだ。
春蘭に始まる水墨画の画題、そして主人公たちが描く作品もまた登場人物として僕達の心をつかむ。
この体験は本当に楽しい。恩田陸さんが音を文章にして、近藤史恵が美味しさを文章にしたように、
その時の読書と同様の快感と別ジャンルの素材を文章で読むというフレッシュ感を堪能できる。

そして、更に読み進めると砥上がこのように素晴らしい文章が書けることは、ほかならぬ水墨画に彼が
人並み外れた愛情を持っているが故の発露であると思うようになった。
「彼はこんなにも水墨画が好きなんだ。この世界を皆に知ってもらい、楽しんでもらいたいと思ってるんだ」と。
なるほど、そういうことだったのか・・・水墨画家であることとこの物語を書くことは彼の中では異業のものでもチャレンジでもない至極自然な表現であったのだと。
この物語のラストは希望にあふれ清々しい喜びとともに終わる。きちんと完結して円相の禅画が輪を閉じているようだ。
だから僕たちは、この次に発表される砥上の作品は小説の続編を望んではいけない。離れがたく別れがたい主人公たちであるが、ここは我慢すべきだ。
我々が賞賛すべきは砥上が今から描くであろう渾身の水墨画の力作なのだ。大いに期待しようではないか。

火の鳥乱世編 手塚作品だが駄作 文句あるなら反論してみろ

2022-12-13 13:48:00 | 書評 読書忘備録
♯火の鳥乱世編 ♯手塚治虫
駄作である。
あの手塚治虫であろうが、あの火の鳥であろうが、ダメな作品はダメだ。
せっかくの乱世編、平家物語を題材に清盛と義経、そして弁慶のモデルの木こりの弁太、弁太のいいなずけでありながら清盛の寵妾となるおぶう。

意義深いキャラクターをを造形しながらなんの必然性もなく、ことごとく斬られ、殺される。
いや、乱世編だから意味もなく死ぬことが必然だ、だから納得しろ、そんなメッセージはわからないわけではない。だがね、それだけでは読者は、ファンは納得なんかできるわけなかろうが!
うまく言えないが、物語には虚しい死でも、あっけない死でも、きちんと死は死であり、きちんと重いものではなかったのか!?と強く思うのだ。

ヒロインおぶうが義経に斬られ、どろろみたいなひょうたんかぶりが義経に斬られる。
どちらも大事で今まで丁寧に作り込まれていた人物たちが、たった一コマで、邪魔だから、みたいなどうしょうもない理由でゴミをよけるように殺される。イケメンのはずの義経がエゴに歪んだ醜悪な顔で、ああ殺した、仕方ないから殺した、と糞みたいな言い訳をするのだ。阿呆か??








手塚治虫先生、先生にとってキャラクターとは?作品とは?そんな軽いものだったのですか?あなたは本当にあのブラックジャックで死の重さを僕に教えてくださった手塚治虫ですか?
悲しいのはこの作品が僕のような悪口と先生自身の完璧性によって描きなおされることが今後、決してないことだ。ああ、哀しい。

つめたいコンクリート階段に寄せたアツい思い 建築ブログ

2022-12-02 17:27:00 | アートコラム
とある建築業界のブログ掲載にコンクリート階段についての記事があり、大きく共感した。

冷たいはずのコンクリートの階段、この狭い場所に型枠大工、鉄筋、コンクリート打設、そして現場監督の熱い想いが詰まっている。 




















この写真は、まぎれもない自分と仲間の手による作品であり、
数年前になるが こんな仕事ができたのだといいう自分への碑文でもある。
(いささか気取りすぎた文章で大変恐縮です)

映画のレビュー アイアムサム を見てスタバに行こうか

2022-12-02 17:21:00 | 映画レビュー
「アイアムサム」2001年公開 監督ジェシーネルソン
スターバックスで働くサムは発達障害で7歳の知能しかない中年シングルファーザー。
母親に逃げられ一人でルーシー(ダコタファニング 当時7歳)を頑張って育てているが、やはり世間は厳しく施設に保護され離れ離れに・・・
でもサムはあきらめずにミシェルファイファーの女弁護士を何とか味方につけ法廷で闘います。
ミシェルは本当に頼もしいが、サムも証人の友人たちもサム同様に障害者や対人恐怖症だったりして、どうみても勝ち目はないが、、、、

とってもハートウオーミングな作品で 寒い季節にはぴったりです。
子供を持っていると泣かせられたり、ジーンと考えさせられるエピソードが随所に・・・ 知能が子供並みだってサムには親として一番大切なものがちゃんとあることが、よーくわかります:法廷の分からず屋たちはちっともわかりませんが・・・

何気無いけどお奨めのところは、サムと友達がルーシーに新しい靴を買ってあげるシーンとセリフ、
ルーシーにいろんなへんてこな、でも自分が一番いいと思う靴を勧めるところや、
お金が足りなくてみんなが少しずつお金を出し合ってあげたり、
靴屋に風船をみんなでもらってアビーロードのように横断歩道を渡る場面。

全編にビートルズのカバー曲が流れる中をこのような温かいエピソードが重なってゆきます。ネタばれですが あえて書かねばならないのは、このラストはアンハッピーエンドではないってことです。
気取った映画だとせっかくのラストをアンハッピーで終わらせてドヨーンとさせることがありますが、この話だけはハッピーエンドにしかしてはいけないだろうって気になります。






ダコタちゃんが最後のサッカーのシーンまで可愛く締めてくれますので安心して観てください。

長文失礼 なにぶん好きな映画でしたのでついつい・・・でした