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アートレビュー ハマスホイ沈黙の絵画 と コロナ愚策について

2022-11-30 07:40:00 | アートコラム
ヴィルヘルム・ハマスホイ沈黙の絵画 監修佐藤直樹

2020年のコロナウィルス・バカヤロー事件(コイケ・バカヤロー事件ともいう)
の中の一つがこの東京都美術館の会期途中で閉幕に追い込まれたヴィルヘルム・ハマスホイ展である。
1/21から3/26という長い会期だったのにも関わらず3/13に何の事前告知もなく打ち切られたのだった。 あのコロナと緊急事態宣言とかの愚行の結果である。

行こうとして行けなかった私を含めた多くのアートファンにとっては、あの絵画の後ろ姿の女性のように、永遠に(永久ではないが、しばらくは再来日の見通しもなく、永遠のようなものだ)去ってしまった失われた宝玉のような存在である。

全く、今となって思い返せば、一部の激混み人気展を除く閑散とした美術館での鑑賞などという行為は、
飛沫まき散らすおしゃべりな客もおらず、皆が礼儀正しく黙って絵画を静かに鑑賞しているだけであって、感染予防に閉幕や自粛するなんて愚の骨頂、過敏過剰対応であったことがわかる。
逆におそらくは、コロナ下における最も安全で、推奨されるべき文化体験行事が美術鑑賞であったといえるぐらいだ。
泣く泣く中止してしまった卒業式や入学式と同じくらい、文化的、人生的愚行を為政者たちはしたものだし、それを許した我々も同じく同罪だ。
本当に忘却の彼方にしまい込むことなく、今年の記憶すべき愚行は、これらにとどまらず、きちんと残さねばならない。






前置き長いのは自分の常だが、本書は、その胸の痛みを繰り返しえぐるような、いい絵が沢山掲載されている。
有名な後ろ姿の女性だけでなく、その前の絵、そのあとの絵、もきちんと掲載されている。
ハマスホイや彼のモデルの歩んだ人生もまた失意と諦念と、その先に見つけたかすかな希望や幸福がしっかりと感じられる。
絵の変遷や生い立ちを知るとより鮮やかに実感できるのだ。

返す返すも、本物を見てこの感慨をより深いものにしたかった。
そして、その会では自分はきっと、序から、幕まで順序通り観たあとで、きっと中期の後ろ姿の絵の群に戻ることだろう。
そして時を忘れて絵の中の世界と一体化するのだ。至福と共に。

後ろ姿を描くということは、その画題の表情を隠すことにより、読者の想像を誘発するとともに、その読者の為だけのオンリーワンの絵画を、読者の手による
想像の絵筆を加えることにより生み出すことが出来る。
そのメカニズムにより、一群の絵は完成品でありながら未完成であり、普遍性を保ちながら唯一性を持つという、見事な価値のバランスと同在性を成立させる。 

つまり、後ろ姿の肖像画というハマスホイの発明であり、発明を完成形にさせた、というド偉い画家がハマスホイなのだと私は思っている。

ううう ホンモノが見たかった   
ああぁ 叶うのなら、一枚所有したい・・・・
そんな画家なのでる、ハマスホイは


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