ぴらにあの写真館 in 伊豆大島→都会へ(新・日記帳)

8年間の伊豆大島生活から都会へ移住しました…
旧日記帳(ODNまいぺーじの思い出)は、BOOK MARKよりどうぞ!

伊勢エビと川の温泉と日本一長いバス路線の旅!(2日目・最終回)

2023-12-03 23:24:15 | おでかけ(国内)
*川湯温泉~熊野本宮大社~十津川村(果無集落)~五条~(名阪国道)~名古屋・・・の巻!

 奥熊野の道の駅で興味深い展示を見つけました。「熊野御幸記」という藤原定家が800年前に書いた後鳥羽上皇との熊野詣での記録日記で、今ならSNSにアップしてますかね。この記録はかなり詳細で、熊野までの道程がどれだけ大変だったのか、やっと着いた熊野(もの凄い山の中と書いてます)で大勢の人に歓迎されて驚いたとか。日々お腹が空いた、足が痛い、熱が出た、敷物さえ無い掘っ立て小屋で寝た、寝たけどよく眠れなかった、海は暑い、山は寒い、夜道が怖い、それでも一日で30Km移動した、もうイヤだ、お家に帰りたい!。でも、熊野川の船は楽チン云々・・・。ほとんどグチばっかりなんですけど(定家はインドア派だったらしい)、それが人間らしくて面白いんです。で、やっとこさ京都に帰ってきて一番嬉しかったのが、「焼き魚を食べてその美味しかったこと!」だそうです。令和の世の中じゃ平民でも車に乗って、山の中で美味いもの食って、温泉に入って、簡単に熊野本宮でお参りして、定家が聞いたら「ズルイ!」って思うんでしょうね。きっと、飛んで着いてきたおじぃも満足したでしょう・・・(完)


【新宮駅5時53分発、川湯温泉6時53分通過、終点の大和八木駅には12時24分着予定の一番バスがペンション前を通り過ぎていきます。167Kmも走るのにフツーの路線バスタイプなのは、ほとんどが狭小路線だからだそうです・・・】


【千人風呂が作られる河原の一部には、常設の露天風呂があって外国の人がたくさん入っていました。どうやらコチラも水着着用らしいのでぴらにあは入りませんでした・・・(どうもパンツを履いて風呂に入るのは苦手)】


【モーニングもマスターの手作りセットでございます~。ぴらにあもこんな所で民宿でもやってみたいですが、放浪癖があるのでダメでしょうね・・・(あと、意外と人見知り)】


【さて、ペンションからトンネルを抜けて5分で熊野本宮大社に到着しました。八咫烏さんがお出迎えです・・・】


【う~ん、荘厳な雰囲気。熊野本宮に来たのは3回目のハズなんですけど、前の2回は全く記憶がありません・・・】


【熊野三山は熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の3社あって、八咫烏さんはみんな違うそうです・・・】


【熊野詣では足腰が悪かったらお参りが出来ません。藤原の定家さんじゃなくても、ぴら奥さんは那智大社のプチ熊野古道で「怖い~!」と泣いてましたね・・・】


【ぴらにあは熊野本宮大社の八咫烏さんが一番カワイイと思います・・・】


【JFA(日本サッカー協会)のマスコットも八咫烏さんなんですね・・・】


【熊野本宮大社から道路を渡って、熊野川の中州みたいな所に大きな鳥居が建っておりますが。実は、ここは大斎原(おおゆのはら)という元々熊野本宮大社があった所だそうです・・・】


【熊野本宮大社は1,889年(明治22年)に発生した熊野川の大洪水で甚大な被害を受け、残った社殿を高台に移して現在に至るんだそうです。かつて、ここ大斎原に渡る橋は無かったそうで、熊野本宮にお参りする人は全員川で身を清めながら渡ったそうです・・・】


【バスを追いかけて十津川村に入りましたが、「果無(はてなし)集落」というステキな場所があるというので登ってきました。しかし、もの凄い急坂でクネクネなのに結構対向車が来るし、だんだん心配になってくるといきなり開けました・・・】


【集落手前の駐車場に停めて200mくらい歩くと、いきなり天国みたいな景色が広がってました。このあぜ道みたいなのが熊野古道(小辺路)だそうです。小辺路は熊野本宮と高野山を結ぶ街道だそうです・・・】


【集落ではおじぃさんがフツーに畑仕事をしていて、コチラをチラチラと見て何も言いませんが「勝手に入るなよ~!」みたいな視線を感じます。家の中を小辺路が通ってます・・・】


【果無集落からまだ上に道路が続いていますが、どこに繋がっているのでしょう。「行くな!」とも書いてないので進んでみると、どん詰まりに1軒の家となんとバス停がありますね。いや~、住んでみたいッス・・・】


【郵便屋さん(バイクであの山道を下るのは怖い)も来てますよね。ここから最寄りのコンビニ(24時間営業)までたぶん2時間くらいだと思いますので、伊豆大島波浮港よりずっと便利です・・・】


【十津川村は明治22年の洪水で壊滅し、それで一部の住民が北海道に渡って新十津川村を作ったんだそうです。ステキな湯泉地(とうせんじ)温泉の共同浴場(どうして熊野は火山も無いのに硫黄泉が沸いているのでしょう?)に入って五条に下りましたが・・・】


【途中から駅らしき跡、廃線跡らしきサイクリングロードらしき等々、怪しい直線道路が国道の右手に続いておりまして、五条の市街地に下ると明らかな高架鉄道が出現しました・・・】


【どこまで走っていた廃線跡かと思いましたが、この遺構は「五新鉄道」といって五条から新宮まで計画された未成線(一度も鉄道が走ったことが無い)の跡だそうです。国道でブチ切れてますが、両側にこれだけちゃんと橋脚が残っているのはスゴイです・・・】


【五新線は大正時代に主に吉野杉の輸送を目的に計画されて、昭和の初め(戦前)に着工しましたが、すったもんだの末に国道168号線(日本一のバスが走っている道路)が完成してしまったので、昭和57年に工事そのものが凍結されてしまいました・・・】


【一時は未成線に作った道路をバスが走っていたそうですが。しかし、もうこうなったら勿体ないので一部だけでもちゃんと作って、未成線観光列車を走らせたら面白いと思うんですけどね。それじゃぁ未成線じゃないじゃん!(チャンチャン)】
コメント
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