*阿寒湖~西春別~奥行臼~根室~納沙布岬~春国岱・・・の巻!(248Km/前半)
千葉県八街(やちまた)市は難読市区町村名のひとつだそうですが、な~んでかピーナッツの名産地でもあります。というワケで、ぴらにあがよく使うオヤジギャグ「やっちまったピーナッツ」の元になってたりします。で、何をやっちまったのかと言うと、北海道でデジカメの電池を入れ替えた時に日付の設定が飛んでしまったので直したら、見事に1日間違えて入力してしまいましたとさ。だいたい阿寒湖から釧路までの2日間、撮った写真の日付データがゴチャゴチャに混ざってしまい、もうどうにもこうにも山本リンダ~♪(かなり混乱しております、お許しください)

【今日から天気が崩れる予報ですが、朝の雌阿寒岳はスッキリと晴れ渡っております(湖面にさざ波さえ立ってないのが悪天候の気配?)。「絶対に登らないからね!」って小娘さんはまだぴらにあを信用していない様子・・・】

【阿寒湖から1時間半ほど快適に走って西春別駅跡までやって来ました。西春別は標津線(標茶~中標津~根室標津)の途中にあった駅で、1,989年(平成元年)に廃線となってます。ぴらにあが小学校2年生の時に絶対に乗ったことがあるキハ22がホームでお出迎え・・・】

【このデゴイチ(D51-27)はちょっと見た目が珍しいと思ったら、戦後補償でサハリンに譲渡された機関車だそうです。かの国っぽい赤いラインと、運転席が極寒対策で密閉型に改造されています・・・】

【ラッセル車と車掌車(ヨ4000)も展示されてましたけど、雪国の屋外なのにどれも保存状態がいい感じですね・・・】

【資料館にはかつての標津線の賑わいがよくわかる写真が多数、優等列車のヘッドマーク、ぴらにあの大好きなタブレット(携帯用のパソコンではありません)、懐かしい乗車券ケースも展示されています。硬券はその日最初に売れた切符の裏に色鉛筆で印が付いているのが欲しかった・・・】

【さて、だんだん天気が悪くなって参りました。「牛横断注意!」の真っ直ぐな道路をひたすら東に進みます・・・(ホントに何も、セイコーマートさえありません)】

【西春別から1時間半ほどで奥行臼(おくゆきうす)という所に着きました。ここはかつて奥行臼駅逓所(えきていしょ)という場所で、駅逓所は明治~昭和初期に北海道の交通不便な場所に建てられた施設だそうです・・・】

【外から見るだけだと思ったら、中から陽気なオバちゃんが出てきまして「ようこそ、入って入って~!」と見学無料みたいですね。こちらは山崎藤次郎さんというこの地の偉い人の自宅を改造した建物(現存の駅逓所跡)です・・・】

【当時使われいていた家財や食器なんかもたくさん残ってます。駅逓所は宿泊、馬の交換、物資輸送などを担っていたそうです。馬はお客さんに貸して次の駅逓所まで行くと、勝手に自分の駅逓所に戻ってきたそうです・・・】

【2階もあってかなり広いです。実は駅逓所はあまり儲からなかったそうですが、鉄道が開通して駅逓所が廃止された後、山崎さんは旅館として経営を続けて、それからがかなり繁盛したそうです・・・】

【客室は10部屋もあって(旅館になってからの増築部分を含む)、全ての部屋にプライベート囲炉裏が完備してあるようです。トイレも何カ所もあってキレイでしたが、お風呂がどこにあるのかわかりませんでした・・・】

【駅逓所から200mほど離れた所にJR奥行臼駅跡と、別海村営軌道奥行臼停留所跡があります。そういえば西春別も奥行臼も別海町になっていますけど、どんだけ広いのでしょう・・・】

【チョイと調べてみると別海町の面積は1,393平方Km、日本で一番小さい都道府県の香川県は1,876平方Kmですから、香川県の2/3の広さがあるとゆ~。村営軌道停留所跡の建物にカッコイイジオラマがありました・・・】

【このオレンジのステキなレールバスが国鉄奥行臼駅と村役場出張所(牧場がたくさんある方)を結んでいたそうです。う~ん、乗ってみたかったであります・・・】

【貨車の方は牛乳のタンクを運ぶモノであります、ターンテーブルの跡もカッコイイです。村営軌道は1,963年(昭和38年)に開通し、生乳の運搬が効率的に出来るようになったおかげで牧場や村が儲かり、道路がよくなり、牧場がトラックを買って走らせ、たった8年で廃線になってしまいましたとさ・・・】

【村営軌道停留所跡の反対側にはJR奥行臼駅跡が、村営軌道の引き込み線がこの広場まで来ていたそうです。軽井沢駅前の草軽電鉄に似てますよね・・・】

【奥行臼駅は標津線の厚床支線(中標津〜厚床)にあった駅で、標津線と同じ日に廃線になっています。ちなみに標津線(厚床支線を含む)は19駅あって、そのうち10駅に軽便鉄道が接続していたそうです。昭和40年代くらいまでの北海道は、ホントに網の目のように国鉄と小さい鉄道が走っていたんですよね・・・】

【なんか、寅さんがボーッと立ってそうなホームですね。ちょっと廃線跡を歩いてみたかったんですけど、駅逓所のオバちゃんに「クマが出たから駅から先は行かないでネ~!」と必死に止められました・・・(ホントに何匹も出たらしい)】

【さらに走りまして春国岱という砂嘴の近くにある道の駅に到着しました(もうすぐ根室)。小娘さんは根室名物のエスカロップ(ぴらにあはフェリーの中で食べました)、ぴらにあはこれまた名物の花咲ガニラーメンを、今日は大盛りは止めておきました・・・】
千葉県八街(やちまた)市は難読市区町村名のひとつだそうですが、な~んでかピーナッツの名産地でもあります。というワケで、ぴらにあがよく使うオヤジギャグ「やっちまったピーナッツ」の元になってたりします。で、何をやっちまったのかと言うと、北海道でデジカメの電池を入れ替えた時に日付の設定が飛んでしまったので直したら、見事に1日間違えて入力してしまいましたとさ。だいたい阿寒湖から釧路までの2日間、撮った写真の日付データがゴチャゴチャに混ざってしまい、もうどうにもこうにも山本リンダ~♪(かなり混乱しております、お許しください)

【今日から天気が崩れる予報ですが、朝の雌阿寒岳はスッキリと晴れ渡っております(湖面にさざ波さえ立ってないのが悪天候の気配?)。「絶対に登らないからね!」って小娘さんはまだぴらにあを信用していない様子・・・】

【阿寒湖から1時間半ほど快適に走って西春別駅跡までやって来ました。西春別は標津線(標茶~中標津~根室標津)の途中にあった駅で、1,989年(平成元年)に廃線となってます。ぴらにあが小学校2年生の時に絶対に乗ったことがあるキハ22がホームでお出迎え・・・】

【このデゴイチ(D51-27)はちょっと見た目が珍しいと思ったら、戦後補償でサハリンに譲渡された機関車だそうです。かの国っぽい赤いラインと、運転席が極寒対策で密閉型に改造されています・・・】

【ラッセル車と車掌車(ヨ4000)も展示されてましたけど、雪国の屋外なのにどれも保存状態がいい感じですね・・・】

【資料館にはかつての標津線の賑わいがよくわかる写真が多数、優等列車のヘッドマーク、ぴらにあの大好きなタブレット(携帯用のパソコンではありません)、懐かしい乗車券ケースも展示されています。硬券はその日最初に売れた切符の裏に色鉛筆で印が付いているのが欲しかった・・・】

【さて、だんだん天気が悪くなって参りました。「牛横断注意!」の真っ直ぐな道路をひたすら東に進みます・・・(ホントに何も、セイコーマートさえありません)】

【西春別から1時間半ほどで奥行臼(おくゆきうす)という所に着きました。ここはかつて奥行臼駅逓所(えきていしょ)という場所で、駅逓所は明治~昭和初期に北海道の交通不便な場所に建てられた施設だそうです・・・】

【外から見るだけだと思ったら、中から陽気なオバちゃんが出てきまして「ようこそ、入って入って~!」と見学無料みたいですね。こちらは山崎藤次郎さんというこの地の偉い人の自宅を改造した建物(現存の駅逓所跡)です・・・】

【当時使われいていた家財や食器なんかもたくさん残ってます。駅逓所は宿泊、馬の交換、物資輸送などを担っていたそうです。馬はお客さんに貸して次の駅逓所まで行くと、勝手に自分の駅逓所に戻ってきたそうです・・・】

【2階もあってかなり広いです。実は駅逓所はあまり儲からなかったそうですが、鉄道が開通して駅逓所が廃止された後、山崎さんは旅館として経営を続けて、それからがかなり繁盛したそうです・・・】

【客室は10部屋もあって(旅館になってからの増築部分を含む)、全ての部屋にプライベート囲炉裏が完備してあるようです。トイレも何カ所もあってキレイでしたが、お風呂がどこにあるのかわかりませんでした・・・】

【駅逓所から200mほど離れた所にJR奥行臼駅跡と、別海村営軌道奥行臼停留所跡があります。そういえば西春別も奥行臼も別海町になっていますけど、どんだけ広いのでしょう・・・】

【チョイと調べてみると別海町の面積は1,393平方Km、日本で一番小さい都道府県の香川県は1,876平方Kmですから、香川県の2/3の広さがあるとゆ~。村営軌道停留所跡の建物にカッコイイジオラマがありました・・・】

【このオレンジのステキなレールバスが国鉄奥行臼駅と村役場出張所(牧場がたくさんある方)を結んでいたそうです。う~ん、乗ってみたかったであります・・・】

【貨車の方は牛乳のタンクを運ぶモノであります、ターンテーブルの跡もカッコイイです。村営軌道は1,963年(昭和38年)に開通し、生乳の運搬が効率的に出来るようになったおかげで牧場や村が儲かり、道路がよくなり、牧場がトラックを買って走らせ、たった8年で廃線になってしまいましたとさ・・・】

【村営軌道停留所跡の反対側にはJR奥行臼駅跡が、村営軌道の引き込み線がこの広場まで来ていたそうです。軽井沢駅前の草軽電鉄に似てますよね・・・】

【奥行臼駅は標津線の厚床支線(中標津〜厚床)にあった駅で、標津線と同じ日に廃線になっています。ちなみに標津線(厚床支線を含む)は19駅あって、そのうち10駅に軽便鉄道が接続していたそうです。昭和40年代くらいまでの北海道は、ホントに網の目のように国鉄と小さい鉄道が走っていたんですよね・・・】

【なんか、寅さんがボーッと立ってそうなホームですね。ちょっと廃線跡を歩いてみたかったんですけど、駅逓所のオバちゃんに「クマが出たから駅から先は行かないでネ~!」と必死に止められました・・・(ホントに何匹も出たらしい)】

【さらに走りまして春国岱という砂嘴の近くにある道の駅に到着しました(もうすぐ根室)。小娘さんは根室名物のエスカロップ(ぴらにあはフェリーの中で食べました)、ぴらにあはこれまた名物の花咲ガニラーメンを、今日は大盛りは止めておきました・・・】