*温泉津温泉~萩(吉田松陰生家~玉木文之進旧宅~松下村塾)・・・の巻!
いや~、すっかり雨が上がりましたね。で、サクラ満開でございます~!。しかし、途中途中で魚肉練り製品系(チクワやカマボコ)を食い過ぎてモタレ気味です(調子に乗りすぎ?)。やっぱね、長州はす巻きが最高ですよね。あのプリップリの食感と、ちょっと塩気が強いのがまいう~。小娘さんは周りについているストローみたな棒にくっ付いたす巻きを歯でしごいてご満悦です。で、「東京湾にす巻きってこのことだったのか!」と今更、実は今まで怖い意味だとは知らなかったそうです。これから「す巻きにするぞ!」って脅かしたら言うこと聞くのかしらん、たぶん「す巻き買ってくれるの?」って喜ぶよな・・・
【萩市内に入った途端に自慢のSUVのDPF再生(溜まったススを燃やす作業)が始まりましたので、先に山の上の見どころへ参りますかね。DPF再生は坂を登ってエンジンをアツアツ(熱々)にすると早く終わります・・・】
【萩城下町の東を流れる松本川を渡って小高い山を登った所に吉田松陰先生の生まれた家があります。建物はありませんが当時の間取りがわかるように地面に印が付けてあります・・・】
【松陰先生のお母さん(滝さん)が杉家(吉田松陰の本名は杉大二郎)に嫁いだ時、杉家は暗い雰囲気で病気の人が多かったそうですが、滝さんの「毎日お風呂に入ろうプロジェクト」の効果ですっかり健康になってしまったそうです。やっぱ、お風呂は大切なんですね・・・】
【杉家の隣は墓地になっていて、維新の有名人のお墓がたくさんあります。まずは高杉晋作先生のお墓参りですよね。高杉先生がいなかったら彦島はイギリスの植民地になってしまって、香港のようにパスポートがなくては行けない場所になっていたことでしょう・・・】
【さて、松陰先生出生の地から坂を下った所にある玉木文之進先生(松陰の叔父さん)の旧宅にやって来ました。公開時間は17時だそうなので外だけ見せてもらおうと思いましたら、案内のおばちゃんが「入っておいで~!」と・・・】
【「よく来たね~、江戸から?」っていい感じのおばちゃん、「ここでね、こうやって玉木先生と松陰先生が向き合って勉強していたんだよ!」と熱血で教えてくれました。玉木先生は熱血過ぎてE・V(エブリディ・ヴァイオレンス)的な指導だったそうです・・・】
【「この畳を踏んだら松下村塾の塾生だからね!」とおばちゃん、ということは顔に止まった蚊を払いのけただけで「集中力が足りない~!」と鉄拳制裁(松陰少年の実話)でキマリですね。若旦那は小学校2年生の時に松下村塾の塾生になったおかげで、自力で難関を2度突破しました・・・】
【つまりですね、玉木文之進先生(松陰先生のお父さんの弟)は玉木家に養子に行き、また杉家から吉田家に養子に行った大助さん(この人も松陰先生のお父さんの弟)の養子に松陰先生は入っているワケで。ムズカシイですね・・・】
【玉木文之進先生は松陰先生の養父(叔父)の吉田大助さんとともに山鹿流兵法を修めた人で、松陰先生も文系のイメージがありますが武道もかなりの腕前だったようです。松陰少年はなんと9才で明倫館の兵学師範になっております・・・】
【松陰少年は「気合いが足らん!」と勉強中にこの縁側から玉木先生に突き落とされて、当時は2mほどあった石垣(今は埋まって平らになってます)の下に落ちて失神してます。ホント、ヘタすりゃ打ち所が悪くて死んでる可能性もあると思います。文之進先生の超熱血スパルタ教育を見かねて、お母さん(滝さん)が止めたこともあるそうですが「女は黙ってろ!」の一言で終わったそうです。今なら間違いなく炎上でしょうね・・・】
【実は松下村塾の発祥はここ玉木文之進先生の家だったそうで、つまり松下村塾を開いたのも松陰先生ではなくて文之進先生です。ぴらにあは「松下村塾」は「松の木の下」にあったからだと思っていましたが、松本(下)村の塾だからだそうです・・・】
【コチラが有名な方の松陰先生が維新の志士たちと学んでいた松下村塾(この塾も最初に作ったのは松陰先生の親戚の人)です。松下村塾には画期的な「ランチ無料システム」があって、経済的に困窮している人たちでも通いやすかったそうです・・・】
【本日のお宿はちょっと不思議な雰囲気(ナニが不思議かは説明しにくい)のビジネスホテルで、これまたビジネスでは珍しい2食付きになっております。といっても、ホテルに食堂はありませんので同じ建物の中にあるレストランで鯛のかぶと煮を頂いております。食堂はなくても大浴場(温泉ではありません)はあって露天風呂がまた不思議でした・・・】
いや~、すっかり雨が上がりましたね。で、サクラ満開でございます~!。しかし、途中途中で魚肉練り製品系(チクワやカマボコ)を食い過ぎてモタレ気味です(調子に乗りすぎ?)。やっぱね、長州はす巻きが最高ですよね。あのプリップリの食感と、ちょっと塩気が強いのがまいう~。小娘さんは周りについているストローみたな棒にくっ付いたす巻きを歯でしごいてご満悦です。で、「東京湾にす巻きってこのことだったのか!」と今更、実は今まで怖い意味だとは知らなかったそうです。これから「す巻きにするぞ!」って脅かしたら言うこと聞くのかしらん、たぶん「す巻き買ってくれるの?」って喜ぶよな・・・
【萩市内に入った途端に自慢のSUVのDPF再生(溜まったススを燃やす作業)が始まりましたので、先に山の上の見どころへ参りますかね。DPF再生は坂を登ってエンジンをアツアツ(熱々)にすると早く終わります・・・】
【萩城下町の東を流れる松本川を渡って小高い山を登った所に吉田松陰先生の生まれた家があります。建物はありませんが当時の間取りがわかるように地面に印が付けてあります・・・】
【松陰先生のお母さん(滝さん)が杉家(吉田松陰の本名は杉大二郎)に嫁いだ時、杉家は暗い雰囲気で病気の人が多かったそうですが、滝さんの「毎日お風呂に入ろうプロジェクト」の効果ですっかり健康になってしまったそうです。やっぱ、お風呂は大切なんですね・・・】
【杉家の隣は墓地になっていて、維新の有名人のお墓がたくさんあります。まずは高杉晋作先生のお墓参りですよね。高杉先生がいなかったら彦島はイギリスの植民地になってしまって、香港のようにパスポートがなくては行けない場所になっていたことでしょう・・・】
【さて、松陰先生出生の地から坂を下った所にある玉木文之進先生(松陰の叔父さん)の旧宅にやって来ました。公開時間は17時だそうなので外だけ見せてもらおうと思いましたら、案内のおばちゃんが「入っておいで~!」と・・・】
【「よく来たね~、江戸から?」っていい感じのおばちゃん、「ここでね、こうやって玉木先生と松陰先生が向き合って勉強していたんだよ!」と熱血で教えてくれました。玉木先生は熱血過ぎてE・V(エブリディ・ヴァイオレンス)的な指導だったそうです・・・】
【「この畳を踏んだら松下村塾の塾生だからね!」とおばちゃん、ということは顔に止まった蚊を払いのけただけで「集中力が足りない~!」と鉄拳制裁(松陰少年の実話)でキマリですね。若旦那は小学校2年生の時に松下村塾の塾生になったおかげで、自力で難関を2度突破しました・・・】
【つまりですね、玉木文之進先生(松陰先生のお父さんの弟)は玉木家に養子に行き、また杉家から吉田家に養子に行った大助さん(この人も松陰先生のお父さんの弟)の養子に松陰先生は入っているワケで。ムズカシイですね・・・】
【玉木文之進先生は松陰先生の養父(叔父)の吉田大助さんとともに山鹿流兵法を修めた人で、松陰先生も文系のイメージがありますが武道もかなりの腕前だったようです。松陰少年はなんと9才で明倫館の兵学師範になっております・・・】
【松陰少年は「気合いが足らん!」と勉強中にこの縁側から玉木先生に突き落とされて、当時は2mほどあった石垣(今は埋まって平らになってます)の下に落ちて失神してます。ホント、ヘタすりゃ打ち所が悪くて死んでる可能性もあると思います。文之進先生の超熱血スパルタ教育を見かねて、お母さん(滝さん)が止めたこともあるそうですが「女は黙ってろ!」の一言で終わったそうです。今なら間違いなく炎上でしょうね・・・】
【実は松下村塾の発祥はここ玉木文之進先生の家だったそうで、つまり松下村塾を開いたのも松陰先生ではなくて文之進先生です。ぴらにあは「松下村塾」は「松の木の下」にあったからだと思っていましたが、松本(下)村の塾だからだそうです・・・】
【コチラが有名な方の松陰先生が維新の志士たちと学んでいた松下村塾(この塾も最初に作ったのは松陰先生の親戚の人)です。松下村塾には画期的な「ランチ無料システム」があって、経済的に困窮している人たちでも通いやすかったそうです・・・】
【本日のお宿はちょっと不思議な雰囲気(ナニが不思議かは説明しにくい)のビジネスホテルで、これまたビジネスでは珍しい2食付きになっております。といっても、ホテルに食堂はありませんので同じ建物の中にあるレストランで鯛のかぶと煮を頂いております。食堂はなくても大浴場(温泉ではありません)はあって露天風呂がまた不思議でした・・・】