日本で最初のファミレスチェーンの最後の店が明日閉店するという。誰もが目にした事のあろうあの「ヒバリ」のマークは、1号店のすぐ近くに「ひばりヶ丘団地」があったからなんだとか、意外とテキトーな命名だったのね。20代のカネの無い頃によくお世話になったファミレスのパイオニアが閉まるのはちょっと淋しいなぁ、ソウルでケンカしたSや同級生とよく夜中のファミレス通いをしたっけ。当時は今みたいに色んな店がまだ無くて、すか○らーく、ロイ○ルホスト、デ○ーズくらいだったっけ。ぴらにあはもっぱらデ○ーズ派、他の店に比べて少し安かったから・・・
さて、ぴらにあが初めてファミレスというモノを知ったのは、小学校5年か6年生のある日の事。「近くの団地の中にレストランが出来たよ!」とクラスの友だち、「絶対にウソだ!」と思った。というのも、ぴら家のあった東京都○○市は、市境の一部がなんとか23区にくっついているけれど、30年前はまだまだモロ田舎だった。放課後の遊びといえば、キイチゴの実を集めて食ったり、雑木林でカブトムシを捕ったり、上水の橋の上からスルメでザリガニを釣ったり、日が暮れたら口裂け女が出たり、となりのト○ロの情景とあまり変わらなかったから。そんな地元の、しかも駅前でも無い場所に「レストランなんか作るワケ無いでしょ!」と子供ながら本気で思った。しかし、日に日に「レストランに行った!」という友だちが増えていく。こうなると、もう勉強どころじゃない(元々か?)。家に帰って、「○○台団地にレストランが出来たんだってよ!(まだ半信半疑)」と父親(現じじ)に言うと、「なら行ってみるか?」と想像もしなかった反応が。父親も信じられなかったのかも・・・
レストランにはぴらにあも弟もブレザーを着ていった。見た事もない広いレストランにはフカフカの絨毯がひかれていて、なんか日本じゃないような気がした。ぴらにあと弟はハンバーグステーキのセット、鉄板でジュージュー焼けているハンバーグなんてその時初めて食った。慣れないナイフとフォークで頬張っていると、弟は箸でハンバーグと格闘していた。父親は串カツとビール、太っ腹にデザートのアイスクリームも頼んでくれた。その日は、たぶんぴらにあの人生の中で一番盛り上がった日だと思う。希望の高校に合格した日の事も、ぴら奥さんとの結婚式の事も、ちぴらやちぴ子が生まれた日の事も、ボケたら忘れちゃうかも知れないけど、ファミレスに最初に行った日の事は絶対に忘れないんだろうなぁ。いや、島にガ○トとかバー○ヤンが出来たらそれも一生忘れない気がするけど・・・
あ、ばばさんはこの話を知らなくても記憶喪失ではありませんよ。だって、ばばさんが実家へ手伝いに行っていた日に父子でイイコトしてたんですから・・・