私はギター弾き語りばあちゃん ♪ 

ギター弾き語りを始めて 
若いお友達がいっぱい出来ました (^◇^)ゝ



玉ねぎ OP黄 中性種

2020年10月30日 22時14分22秒 | 段々畑、 菜園~♪

           今日 玉ねぎを植え付けしました

       初めての種類 OP黄 中性種を植えました

          通称  なかて  と言う

 

    本当は 晩生種のもみじ3号 にしたかったのだけど

           事情があって しかたない  

     (後から分かったことです この種類は販売してない)

 

             毎年 沢山腐らすので

           今年は 100本にしました 

         収穫したら 弟や知人に 数個あげて

       あとは ぱ~~っと 食べきろうと思っています

 

        今現在は お店の玉ねぎを食べていますが

          家の玉ねぎにこだわらなくてもいい

             けっこう 美味しいよ        

 

            中性種は 初めてなので

           どんなもんか 楽しみです 

 

    買ってきたら 100本の束をほどいて 庭に仮り植えします

 

    

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パンフルート&シンセサイザーの コンサート

2020年10月27日 13時47分44秒 | 呉市美術館前の喫茶店 「ザ・ブルックス」

        昨日夕方 呉市美術館前の「カフェ ザ ブリックス」にて 

         パンフルートシンセサイザーのコンサートがありました

       パンフルートは岩田エイケンさん、シンセは菊地レイコさん

 芦田川から採取されたという パンフルートの材料の葦(アシ)の見事な生け花に囲まれて

           館内に響き渡る心洗われる きれいな音色 

              大満足なコンサートでした

       

 

       

    

       

            使われなくなった 鳥の巣

           肉眼では よく分かるけど

           写真では 分かりにくいです

 

     

 

            最も 私の心を 射抜いたのは

            「アランフェス」 でした

           素敵な素敵な コンサートでした

 

          

         岩田エイケンさんの 動画を見つけました

              我が心のアランフェス 

   Concierto de Aranjuez

 

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

心に残しておきたい 言葉

2020年10月24日 21時38分59秒 | 心に残しておきたい 言葉

「不幸の三定義」

一、決して素直に「ありがとう」
  といわない人
一、「ありがとう」といっても、
  恩返しをしない人
一、「ありがとう」と唱えただけで
  恩返しはできたと思っている人

 

 

どちらから シェアさせてもらったか忘れてしまいました。

心に響いたものですから

忘れないように また見れるようにここに止めました。

    

景山民夫さん 他界した娘さんが現れての言葉
 
 
 
僕はいまから八年程前に長女を亡くしました。 彼女は生まれたときから重い障害をもった子供で、十八年間の人生の中で、 一度も自分の力でベッドから起き上がることが出来ない生活を送り、そして死にました。
急な死だったために、僕があわてて病院に駆けつけたのは 死後一時間ほどしてからでした。 娘は既に冷たくなっていて、一八歳にしてはずいぶん小さな体をベッドに横たえていました。
その夜、通夜が営まれ、お棺に入れられて祭壇に安置されている娘の遺体を目にしたとき、 僕はなぜか「あ、もう肉体から魂が抜け出してしまっている」と感じたのです。
ふと祭壇の上の方を見ると、
そこに娘がポコンと浮かんでいました。
それは、生前の肉体の姿ではなく、
白く光る玉のように僕の目には見えました。
無事にお通夜を終え、 僕は翌日の葬儀に備える為に教会の駐車場にあった車に戻りました。
車のエンジンをかけたときに、
僕は助手席に死んだ娘がいる事に気がつきました。
さっきと同じ光る球体のようでした。    
「一緒にお家に帰るか」と僕は娘に声をかけました。
彼女は、「うん、一緒に帰る」と答えました。
不思議なことです。 生きているときは、言葉が喋れないために一度も会話をしたことがない彼女と、 死んだ後ではまるで普通の人と同様に会話ができるのです。
といっても、
それは鼓膜から通して伝わってくるものではなく、
直接僕の心に語りかけてくるテレパシーのような通信手段でしたが、それでも意思は完全に通じあっていました。
いろいろなことを語り合いながら、車を運転していくと、途中で雨が降り始めました。
家に着いたときもまだ雨は降り続いており、 彼女は「そうかぁ、雨ってこういうものなんだ」と感激していました。
ずっと室内で暮らしていた彼女は、
雨というものを実体験したことがなかったのです。
その後、娘は(ヘンな話ですが)自分の葬儀にも出席し、
しばらく我が家に滞在していました。
その間に「お前はなんであの不自由な身体を選んで生まれてきたのだ」 と尋ねたことがあります。  
娘の答えはこうでした。
『他の理由はあるけど、私が生まれる前のパパの心の状態のままだと、 パパは弱者に対してのやさしさが持てない人になっていたかもしれないの。
それで私は重い障害をもってパパの娘に生まれたの』
この言葉は僕にとって
目からウロコが落ちるようなものでした。
たしかに、
思い返してみれば当時の僕には
そういった傾向があったのかもしれません。
やがて娘は、「もう天に帰るから」と言って去っていきました。
痛く、辛く、悲しい人生ではあったと思いますが、
彼女の一生は無駄でも敗北でもありませんでした。
障害をもつ子として生まれて、
僕に思いやりの大切さを気づかせてくれたのですから。
これはすべて本当の話です。
もう一度言いましょう。
どんな人生でも無駄や敗北はないのです。
大切なのは無駄や敗北とみえたことから、
【何を学び取るか】なのです。
( 景山民夫 )
 
景山民夫「さよならブラックバード 」あとがきから 
<1998年3月>
 
 
 
 
 
韓国ドラマ  「製パン王キム・タック」 より
 
 天才は 努力するものには勝てず
 努力するものは 楽しむものに勝てない
 
 
 
 
 
 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岬めぐり 消えたかと思った(冷や)

2020年10月23日 07時05分01秒 | You TubeにUPしてもらった(*^

               10年ほど前

         「呉フォーク村」に所属していた時

        村長さん伴奏で唄った 「岬めぐり」です

        唯一 自分以外の人の伴奏で唄った動画です

       自分のギターは あれは伴奏じゃないですからね

  いつもお世話になっているコアラさんが you tubeにあげて下さいました

           素敵な 岬の写真を付けて 

          とても とても 嬉しかったです

           それが 行方不明になって・・・

           時間をかけて 探しました

           そして 再び UPします

            見つかって 良かった

        

  


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

母の遺品

2020年10月02日 13時17分41秒 | 家族で~~

    令和元年(2019)5月に亡くなった母の遺品です

        昨日 我が家に持ち帰りました

   物の無い時代に 筆もいい筆ではなかったと思いますが

        きちっと丁寧に書かれてあります

 

 

     高一 というのが 何歳なのか調べようとしましたが

         何回も改正され よく分かりません

   母の住んでいたところは 大田舎で 熊が出るようなところです

         今から 90年位前のことですよ

             時代も時代です

         日本中が みんな貧乏でしたから

         いい筆ではなかったと思いますが

         いい字ですね (上から目線 

       きっと 中学1年か2年だったと思います

             感心しきり

      しかし 「聖戦へ民一億の體当たり」 だなんて

 今 毎朝 放送されている NHKの連ドラ「エール」を思わせますね

    作曲家古関裕而は 戦意高揚の曲を 求められていますね

 

        母は 13歳か14歳で 学校でこの字

         現在の 小中学生の字の課題は

          平和に関する字が多いです

      「平和」 「希望」 「出発」 「宇宙」 ・・・

        

   1948年生まれの私は いい時代に生まれてきましたが

   息子や娘には 今からどんなことが待っているのでしょうか

            コロナ ・・・

    過去の怖い病  天然痘や スペイン風邪  などなど

        医学の力で乗り切ったように

        コロナも乗り切っていきたい

      医療従事者や ワクチン開発者のかた

          有難うございます

             感謝

                   

   ↓  参考資料

明治19(1886)年の小学校令では、尋常小学校4年、高等小学校4年とされましたので、

尋常小学校に6歳で入学して10歳で卒業、高等小学校に10歳で入学して14歳で卒業でした。

その後、明治33(1900)年に小学校令が改正され、高等小学校の課程が「2年または4年」とされましたので、

12歳で高等小学校を卒業することもありました。 さらに小学校令は、その後、明治40(1907)年に改正され、

尋常小学校6年、高等小学校2年とされましたので、尋常小学校は6歳で入学して12歳で卒業、

高等小学校は12歳で入学して14歳で卒業となりました。

なお、当時の義務教育は尋常小学校のみで、高等小学校は義務教育ではありませんでした。

 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする