ドビュッシー作曲《夢Reverie》という小品は、
正確な作曲年は分からないのだそうですが、
おおよそ、1890年(28歳)前後と推測されるそうです。
1887年3月に、ドビュッシーはローマ留学を中座し
(パリに戻りたくて仕方が無かったのだそうです!!)
不安定(極貧!?)な生活を送っていたそうですが、
自由に色々なカフェに出入りし、そこで芸術家や作家たち(象徴派)と
交流し、ドビュッシーならではの芸術観を高めていった時期となったそうです。
同時期には、初期のピアノ独奏曲作品群があり、
有名なものでは《2つのアラベスク》や
《ベルガマスク組曲》(3曲目に《月の光》)、
他にも《バラード》《ロマンティックなワルツ》《マズルカ》《ダンス》
などが挙げられます。(《ノクターン》はちょっとだけ後年!?)
なぜに《夢Reverie》というタイトルがこの曲につけられたのか、
そのハッキリとした確証はまだ得られていないのですが、
私の発見したところで、ドビュッシー自身が友人に書いた手紙と、
それに関連する詩をご紹介してみたく思います。
手紙は、生涯の友人となったロベール・ゴデに宛てられたもので、
ちょっと長いのですが(それでも半分まで!)以下に記してみます。
悲痛なまでの!?ドビュッシーの生の声が語られているようです・・・
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ロベール・ゴデに
パリ、1891年2月13日 木曜日
親愛なる友よ、
やはり、あなたからとても遠ざかっているのを後悔しています。でも、私はこのところ、心配でたまらなかったし、あまりにも明らかに千々に乱れている心をさらけ出すしかないので、沈黙を守らざるを得なかったのです。さもなければ、あなたが私の傍にいて欲しかったし、胸襟を開いて、あなたに私の小さな苦悩や大きな苦痛を話したかった。苦しみの形容詞を使ってそうしたことすべてを物語るのは、少々そっけないし、また大袈裟だという印象しか与えませんね。要するに、あなたがいなくてどれほど寂しかったかは、神のみぞ知るというわけです!
このひじょうに真摯な叫びに、実際以上にわざとらしく見える沈黙に対するすべての許しを見つけて下さい。私は全部言いたかったし、聞いてくれる耳をひとつとして持たなかったのですから!
それに、私はまだまったく途方に暮れています。あなたに話したあの話(註1)の悲しくも予想外だった結末。それは、枝葉末節的な事柄やけっして口にすべきではなかった言葉を伴った月並みな結末でしたが、私は次のような奇妙な転換に気づいていました。それらの無情な言葉があの唇から洩れたまさにその時、その唇が僕に語った実に比類なく愛らしいものを、私は自分の心の中で耳にしていたのです。そして調子外れの(残念ながら、現にそうでした!)音が、僕の心の中で歌っていた音と衝突しにやってきて、僕を引き裂いていたのです。とはいえ、私には、ほとんど訳が分からなかったのですが。けれども、後で、充分納得しなければならなかったし、僕は自分をずいぶんとそれらの茨に引っ掛かったままにしておいたので、あらゆるものを癒してくれる芸術の個性的な練磨に再び取り組むには長い時間がかかるでしょう! (まったく皮肉なことに、芸術はあらゆる苦しみを内包していますが、次いでそれによって癒された人々のいることも分かっています。ああ、私は彼女を本当に愛していましたし、明白な印によって僕は、彼女がひとつの魂をそっくり巻き込むような何歩かの歩み寄りをけっしてせず、また自分のかたくなに閉じた心を探られないように警戒していると感じていただけに、悲しい愛情を持って愛していたのです。今となっては、その不抜の心が、私の求めていたものを含み持っていたかどうかを知ることが残るのみ! もしそれが「虚無」でなかったら! いずれにせよ、私はあの夢の「夢」の消滅に涙を流しています(註2)。結局、多分それほど嘆かわしいものではないのでしょう! 私が死ななければならないと感じ、その死を監視していたのが他ならぬ私自身だったあれらの日々は。もうけっして私がそれらを再び生きないように!
自分の傷口を広げて見せ、独自でもない運命に対して哀れみをねだるような、手前勝手ことを書き連ねて申し訳ありません。でも私は、あなたがとても人間的に優しいことを知っているから、そのことに甘えているのであって、またこれが最後です。あなたから欲しいのは、二人連れでありたいという思い上がった弱さに対する同意だけです。それも、二人目の人物がこうしたものの見方を共有しているかをよく知りもしないでです。
・・・後略・・・
(註1)相変わらず謎に包まれている恋の冒険。最近では、女流彫刻家で、詩人ポールクローデルの姉だったカミーユ・クローデルと音楽家との関係の最後と結びつけられがちだが、証拠は何もない。
(註2)エドガー・ポーに想を得た表現。
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以上『ドビュッシー書簡集』より抜粋
いかがでしょうか?
失恋まもないドビュッシーが、
心許せる友人に宛てた言葉が連なっているようです・・・
そして気になるのがこの言葉 [私はあの夢の「夢」の消滅に涙を流しています]
ここに、
ドビュッシー自身の語る「夢」という言葉が登場しているのです。
さらに註釈によれば、
それがエドガー・アラン・ポーの詩によるものだということが分かります。
E.A.ポー(1809-1849)は、19世紀アメリカの作家で、
フランスの作家シャルル・ボードレール(1821-1867)がポーに感銘を受け、
フランス語に訳し、結果アメリカではなく、海の向こうであるフランスにおいて
ポーの作品は多く読まれ、人々(主に象徴派!?)に影響を
及ぼすにいたったのだそうです。
ドビュッシーもその一人で、若い頃受けたインタビューにて
好きな作家に「E.A.ポー」と答えているのだそうです。
では、
ドビュッシーが読んでいたであろうと思われる
ポーの詩《夢の夢 A Dream within A Dream》を以下にご紹介します。
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夢 の 夢
その眉にこの接吻を受け給え。
今あなたとお別れするにあたり、
これだけ言わせて戴きます
あの頃は夢だったと考えられても
間違いではないのです。
さりとて希望が
ある夜ある日に、
幻やうたかたと消えたとて、
それ故に、愈 徒し夢にすぎまいか。
我々がみたり、見えたりするものはみな
夢の夢にすぎません。
私は寄せ波のくだける磯の
轟きの中に立っている、
そして私は手の中に
黄金の砂をいく粒、握っている
ほんの少し。しかしそれらはどんなに
私の指の間から波へ這い落ちることであろう、
私が涙を流し泣いていれば。
ああ、神よ、私はもっとしっかり
掴むことはできませぬか。
ああ、神よ、私はその一粒、無情の波から
救えませぬか。
我々の見たり、見えたりするものはみな
夢の夢にすぎませぬか。
A Dream within A Dream
(Edgar Allan Poe) 阿部 保 訳
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上々記のロベール・ゴデに宛てた手紙が1891年2月ということは、
おそらくそれ以前に書かれていたであろうドビュッシーの楽曲《夢》、
若きドビュッシーの心の片隅に居場所を得ていたであろうポーのこの「詩」に、
完全とは言わないまでも、曲とのつながりが感じられなくもないと思われます。
なんともたよりない無情感にひたされた詩・・・
ひとにぎりの黄金、それが、その人その時にとってなんであるのか、
思いを馳せながら、ドビュッシーの音楽《夢》に耳を済ませてみるのは
いかがでしょうか・・・。
♪♪♪♪♪♪♪
具体的な楽曲分析について少し書いてみましょう。
ドビュッシー研究を進めてゆくにつれ、
どうもドビュッシーのよく使う手法のひとつが、
この曲《夢Reverie》にも当たるように思われます。
それは、
「曲の冒頭が主音・主和音で始まらない」というやり方。さらに言うと、それが
第IV音(サブドミナント)で始まることが多いのが特徴として挙げられるようなのです。
この曲の冒頭は「シ♭ドレソ~レドシ♭~ 」という左手のアルペジオで始まります。
この曲は、終わりを見れば明らかにヘ長調F-Durの音楽であることが分かります。
そこから換算してみると、
冒頭の「シ♭」は第IV音にあたり、和音としては「II度の和音」
いずれにしろ、サブドミナントの和声で、音楽が始まっているのです。
(サブドミナントには、本家!?「IV度の和音」の他、
分家!?親戚!?「II度の和音」「VI度の和音」も含まれます)
普通のクラシックの楽曲は、主音・主和音(トニカ)から始まり、
「この曲は、この調性」という主張がしっかりと成されるものです。
しかしこの曲《夢Reverie》では、あえて主音をはずれたサブドミナントで
音楽が始まる・・・
この「あいまいさ」「不安定さ」
この音楽が、何の調性なのかよく分からず始まる、という特徴が、
まさに《夢》という音楽性に合致するようです。
余談ですが、
曲冒頭が主音・主和音でない音で始まる手法は、
ドビュッシーが初めてというわけではありません。
ドビュッシー直系の祖先!?とも言われるショパンはもちろん、
(ショパン《バラード第1番 ト短調g-moll》の冒頭は、
長い「ド」の音で始まり、これが第IV音サブドミナントです!)
クラシック音楽の歴史として、
このような曲の冒頭が問題になる初めての有名な例!?として、
ベートーヴェンの《交響曲 第1番 ハ長調C-Dur op.21》が挙げられるそうです。
ようやくこの曲《夢Reverie》の主調であるヘ長調F-Durが現れるのは、
第9小節になってからです。
そこまでは、「たゆたふ」ような左手のアルペジオの伴奏にのって、
(この伴奏の音からは、ポーの詩にある「波」のような情景が
浮かばなくもありません)右手が静かに歌います。その後もずっと。
第35小節になると、初めて左手が旋律を奏でます。
第51小節の和音の響きに、続く第53小節では
それをオクターヴ下で答えています。
第55小節でまた上がって、第57小節でまた下・・・と、
まるで会話しているかのようです。
このあたりを「中間部」ということが出来るのでしょうか?
第76小節で、冒頭のテーマが戻ってきて「再現部」のようですが、
一つの旋律を左右、両の手で交代で奏でる妙技が、
またこの曲のタイトルでもある「夢」うつろな表現と
相まっているよう感じられます。
素敵な音楽です。
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