ひぃ~ひぃ~言いながら登っていくと頂上に近づいたのか人の声が聞こえてきました。
声のする右手を見るとちょっとした広場になっていて、この日の一つの目的地である大津皇子の墓がありました。
鳥居の奥に小さな円墳らしい盛り土があります。
この人の時代の皇位継承争いはすごいというかむちゃくちゃでよく理解できません・・・
大津皇子墓からすぐのところが雄岳の頂上でした。
雄岳の頂上には小さな祠が造られていました。
ふと後ろから声をかけられたので振り返ると人が座っていて「協力金200円お願いします!」とのこと・・・
後で気づいたのですが、ここまでの登り道で人に出会うことが殆ど無かったのです・・・みなさん協力金を取られるのを嫌って雄岳を迂回されているみたいなのです。
私の様な何も知らないよそ者だけが雄岳の頂上を目指していたのですねぇ・・・
次は雌岳へ!
雄岳と雌岳の間の馬の背は売店もあり、ハイキング客が沢山!特に雌岳周辺は公園になっていて家族連れ、犬連れの人たちで賑わっていました。
↑三角点があったので踏んでおきました!
雌岳から当麻寺へ降りる道も幾つかあります。
『風の王国』で主人公が登り、小説に取り上げられている歌碑のある道は雄岳と雌岳の間の馬の背を祐泉寺へ降りていく道なのですが、私は謎の岩窟寺院があるという岩屋が見たくて雌岳の頂上から岩屋方面へ降りてみることにしました。
これが岩屋も見れたし、祐泉寺へも降りれて結果的に正解でした!
行ってみた岩屋はやっぱり謎だらけでした!
↑岩屋の前に横たわった大木
↑岩屋
日本では珍しい岩窟寺院の跡だそうです。
手前の三重石塔は一つの岩から掘り出されているのですが、凝灰岩なので崩れかけています。凝灰岩は崩れやすいので崩れているからといって古いとは言えないのです・・・石造の物は形を見て時代を推定するのが普通だと思うのですが、これだけ崩れているとそれも難しそうです・・・近くにあった年表ではこの岩屋は700年頃に造られたと考えられているようです。
奥の壁に仏像が彫ってあるらしいのですが落書きも多くはっきり見えません・・・
日本では岩の表面に仏が彫られている場合が多いし、だれ某が修行をしたと言われる岩屋も自然に出来ているものがほとんどで、このように岩が削られているのは確かに珍しいと思います。
なんで五木さんは岩屋を小説で取り上げなかったんだろう?不思議なところなんだけどなぁ・・・
岩屋に降りてくるちょっと手前に祐泉寺方面への分岐があったので、そこまで戻って祐泉寺へおりることにしました。
↑初めての水場
水場からの道は谷道でドロドロでした・・・
祐泉寺は書いてなければ寺だとは気づかないような建物しか見えなくて、入るのを断念!
小説に出てくる歌碑は私が降りてきた道と祐泉寺前で分岐するもう一方の道にあります。
だいぶ先まで登っていかないと行けないのかと覚悟をしていたのですが、南叡と書かれた門をくぐってすぐでした。
歌碑と言うか石塔婆の形をした灯篭のようです。
南無阿弥陀仏と続けて読むのが正解だと思うのですが確かに数があいませんねぇ・・・?
声のする右手を見るとちょっとした広場になっていて、この日の一つの目的地である大津皇子の墓がありました。
鳥居の奥に小さな円墳らしい盛り土があります。
この人の時代の皇位継承争いはすごいというかむちゃくちゃでよく理解できません・・・
大津皇子墓からすぐのところが雄岳の頂上でした。
雄岳の頂上には小さな祠が造られていました。
ふと後ろから声をかけられたので振り返ると人が座っていて「協力金200円お願いします!」とのこと・・・
後で気づいたのですが、ここまでの登り道で人に出会うことが殆ど無かったのです・・・みなさん協力金を取られるのを嫌って雄岳を迂回されているみたいなのです。
私の様な何も知らないよそ者だけが雄岳の頂上を目指していたのですねぇ・・・
次は雌岳へ!
雄岳と雌岳の間の馬の背は売店もあり、ハイキング客が沢山!特に雌岳周辺は公園になっていて家族連れ、犬連れの人たちで賑わっていました。
↑三角点があったので踏んでおきました!
雌岳から当麻寺へ降りる道も幾つかあります。
『風の王国』で主人公が登り、小説に取り上げられている歌碑のある道は雄岳と雌岳の間の馬の背を祐泉寺へ降りていく道なのですが、私は謎の岩窟寺院があるという岩屋が見たくて雌岳の頂上から岩屋方面へ降りてみることにしました。
これが岩屋も見れたし、祐泉寺へも降りれて結果的に正解でした!
行ってみた岩屋はやっぱり謎だらけでした!
↑岩屋の前に横たわった大木
↑岩屋
日本では珍しい岩窟寺院の跡だそうです。
手前の三重石塔は一つの岩から掘り出されているのですが、凝灰岩なので崩れかけています。凝灰岩は崩れやすいので崩れているからといって古いとは言えないのです・・・石造の物は形を見て時代を推定するのが普通だと思うのですが、これだけ崩れているとそれも難しそうです・・・近くにあった年表ではこの岩屋は700年頃に造られたと考えられているようです。
奥の壁に仏像が彫ってあるらしいのですが落書きも多くはっきり見えません・・・
日本では岩の表面に仏が彫られている場合が多いし、だれ某が修行をしたと言われる岩屋も自然に出来ているものがほとんどで、このように岩が削られているのは確かに珍しいと思います。
なんで五木さんは岩屋を小説で取り上げなかったんだろう?不思議なところなんだけどなぁ・・・
岩屋に降りてくるちょっと手前に祐泉寺方面への分岐があったので、そこまで戻って祐泉寺へおりることにしました。
↑初めての水場
水場からの道は谷道でドロドロでした・・・
祐泉寺は書いてなければ寺だとは気づかないような建物しか見えなくて、入るのを断念!
小説に出てくる歌碑は私が降りてきた道と祐泉寺前で分岐するもう一方の道にあります。
だいぶ先まで登っていかないと行けないのかと覚悟をしていたのですが、南叡と書かれた門をくぐってすぐでした。
歌碑と言うか石塔婆の形をした灯篭のようです。
南無阿弥陀仏と続けて読むのが正解だと思うのですが確かに数があいませんねぇ・・・?
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます