亡くなった人の年齢は数えてはいけないという。俗世から去った人の成仏のため、残された人の自立のため。そのいずれも妥当なのだろう。
それでも残された身にとっては、亡き肉親の誕生日がやってくると心が動くことがあって不思議ではない。
今日は亡父の誕生日だ。生きていれば75歳になった日。1941年12月の真珠湾攻撃を前にした6月生まれは、ギリギリ「戦前生まれ」だと語っていた記憶がある。
その父は、組織人として一定の地位まで登りつめ、それなりに幸せな一生を送ったようにみえる。しかし本当はどうだったのかと思うところもある。
ひとりの人間として、自らの尊厳に気づき、受け入れ、生きていてよかったと思える時間はそう長くなかったのではないかとも思う。
絵に描いたような頑固さとこだわりを持ちながら過ごす人生。生きにくい場面や忸怩たる思いをこの世で見、そして感じてきたのだろう。
それでもすべての人の命には意味がある。真にそのことを理解出来たときに人は自由を手に入れるのかもしれない。
今日という日に、決して自由とはいえなかったのかもしれぬ父の生涯を思う。しかし、これだけは確かなこと。それは、少なくとも死の瞬間には満たされていたということだ。
それでも残された身にとっては、亡き肉親の誕生日がやってくると心が動くことがあって不思議ではない。
今日は亡父の誕生日だ。生きていれば75歳になった日。1941年12月の真珠湾攻撃を前にした6月生まれは、ギリギリ「戦前生まれ」だと語っていた記憶がある。
その父は、組織人として一定の地位まで登りつめ、それなりに幸せな一生を送ったようにみえる。しかし本当はどうだったのかと思うところもある。
ひとりの人間として、自らの尊厳に気づき、受け入れ、生きていてよかったと思える時間はそう長くなかったのではないかとも思う。
絵に描いたような頑固さとこだわりを持ちながら過ごす人生。生きにくい場面や忸怩たる思いをこの世で見、そして感じてきたのだろう。
それでもすべての人の命には意味がある。真にそのことを理解出来たときに人は自由を手に入れるのかもしれない。
今日という日に、決して自由とはいえなかったのかもしれぬ父の生涯を思う。しかし、これだけは確かなこと。それは、少なくとも死の瞬間には満たされていたということだ。
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