26日土曜日は和歌山で勉強会を開催させていただいた。今回はそのことえではなく、帰りに立ち寄った「関西国際空港」について書いてみたい。
27日(日)の午前中は移動時間。JRで帰れば新大阪と岡山2か所で乗り換える必要がある。そこで思いついたのがリムジンバスの乗り継ぎ。うまい時間に便があった。
思い返せば、2001年2月28日を最後にこの地から縁遠くなった。何故「最後の日」を記憶しているかというと、新卒で入社し10年11カ月務めた旅行会社を退職した日だからだ。
私は、最後の出張先としてタヒチを選び、帰国日を退職日と決めた。帰国後経費の精算を行い、事務処理をしてそのまま退職というスケジュールを選択した。
関西国際空港で頭の中を巡ったことは、開港日直後に団体旅行を見送り出迎えたこと、車いすの方々とともに世界各国を旅したこと、意気揚々とオリンピックのツアーを率いたこと、そして「最後の日」のことなど、数えきれないほどの経験だ。
1994年9月に開港。間もなく23年となるが、私がこの空港と関わったのはわずか6年半。それでも数多の大切な時間を過ごした場所だと実感することができた。
自己概念の形成過程になくてはならない空間。偶然の経路選択によって改めて自分を見つめることとなった。
近いうちにこの空港を起点として世界へ出かけてみたいと思った。
27日(日)の午前中は移動時間。JRで帰れば新大阪と岡山2か所で乗り換える必要がある。そこで思いついたのがリムジンバスの乗り継ぎ。うまい時間に便があった。
思い返せば、2001年2月28日を最後にこの地から縁遠くなった。何故「最後の日」を記憶しているかというと、新卒で入社し10年11カ月務めた旅行会社を退職した日だからだ。
私は、最後の出張先としてタヒチを選び、帰国日を退職日と決めた。帰国後経費の精算を行い、事務処理をしてそのまま退職というスケジュールを選択した。
関西国際空港で頭の中を巡ったことは、開港日直後に団体旅行を見送り出迎えたこと、車いすの方々とともに世界各国を旅したこと、意気揚々とオリンピックのツアーを率いたこと、そして「最後の日」のことなど、数えきれないほどの経験だ。
1994年9月に開港。間もなく23年となるが、私がこの空港と関わったのはわずか6年半。それでも数多の大切な時間を過ごした場所だと実感することができた。
自己概念の形成過程になくてはならない空間。偶然の経路選択によって改めて自分を見つめることとなった。
近いうちにこの空港を起点として世界へ出かけてみたいと思った。