ちょっとかたい話が続いたので、今日は少し昔の業界裏話を少し書いてみたいと思います。大昔の話なので、時効と言うことで・・・・。
私がビクターに入社したのは1978年で、早いもので30年が経ちました。当時のビクターは、スピーカーユニットの部品事業を担当するスピーカー事業部というのがあり、私はここに配属されたのです。ビクターを希望した私でさえビクターがそんな部品事業をしているとは意外でしたので、一般のユーザーの皆さんでこの事を知っている方は非常に少ないでしょうね。
このスピーカー事業部は、スピーカーユニットを部品として国内外のいろんなオーディオメーカーにOEM販売しており、その歴史は国内メーカーの中でもかなり古いものでした。当時の販売先には、ソニー、ヤマハをはじめ自社でスピーカーを生産していない多くのメーカーがありましたが、その中に同じビクターのステレオ事業部もありました。ビクターは松下電器の子会社ということもあり、当時事業部制をとっていたため、同じ社内といえどステレオ事業部とスピーカー事業部の関係は売り手買い手ということもありかなり微妙で、はっきり言ってしまえば決して仲の良い関係ではなかったのです。実は、私がビクターを退社することになった大きな原因もここにあったりします。
余談ですが、同じ系列の松下電器にもスピーカーを扱う松下電子部品と親会社の松下電器があり、関係者から聞いた話では両社の間ではビクター以上にいろいろややこしい事があったようで、ちょっとここで書けないような逸話があったりもします。まぁ松下の場合は同じ会社ではなく親子の関係だったので、余計大変だったのでしょうね。
私はビクターでは主に社内向けのユニットを担当する部署だったため、入社直後は希望どおりビクターブランドのスピーカーが設計できるのでラッキーと思っていました。ところが徐々に内情を知るにつれそこが一番大変な部署だということに気がついていきました。まぁこの時あったどろどろした話はさすがにここでは書けませんが、つくづく感じたのはビクターという会社は本当にすごい技術力のある会社だなぁということです。何故なら、商品が市場に出て行くまでにあれだけ社内でいろいろな事(ここでは書けません)があって、かなりのエネルギーをそういったくだらないことに消耗していたにもかかわらず、あれだけの商品を出していたのですから・・・・。
ちなみに社外OEMを担当していた連中にどこが一番好きなお客かを聞いたらダントツでソニーでした。理由は簡単で、ソニーが仕事に関して一番紳士的に話が出来るということでした。別にこれは私がソニーに長年働いていたから言うわけでは決してないのですが、当時のソニーは本当に余裕があって、他のパーツメーカーからもソニーとの仕事が一番やりやすいという話はよく聞いたものです。
逆の質問もしましたが、その答えは何とビクター社内向けだけはやりたくないと・・・・・。やっぱり、骨肉の争いというか身内で関係がこじれると、たちが悪いということかも知れません。
これはビクターのスピーカー事業部では有名な話ですが、ビクタースピーカーの長い歴史の中でも最もヒットした往年の名機であるSX-3のソフトドームトゥイーターは当初ビクター向けに開発されたのではなく、ソニーからビクターのスピーカー事業部にOEMでの開発依頼があってその開発がスタートしたのです。この開発は数年がかりの本格的なもので、ソニーから当時ヨーロッパで有名だったピアレスのトゥイーターを渡され、これに勝つソフトドームトゥイーターを開発してほしいとのことから始まったのです。私がピアレスの存在を知ったのも、先輩からこの時の話を聞いてでした。
ところがその開発もほぼ終了するころになって、ソニー側から商品企画上の関係でこのユニットが使えないことになったとの連絡を受け、ソニー側もせっかく良いユニットが出来たのだからビクター社内で使ったらとの話も出て、それからビクターの社内向けとして商品化の話が進んでいったのです。いわばSX-3の生みの親はソニーと言ってもいいくらいなのです。
今ではこんな話は信じられないかも知れませんが、当時のオーディオ業界はかなりオープンなところもあり、私が入社する以前の話ではありますがビクター・ソニー・ヤマハの3社で毎年スピーカー忘年会というのがあったくらいです。さすがに私の時代にはこれは無くなっていましたが、この忘年会はビクターが中心となってその販売先であるソニーとヤマハのスピーカーエンジニアが一緒に集まってこれからの日本のスピーカーについていろいろと語ろうというのが主旨だったようです。私は先輩から当時の話を聞くたびに、本当に羨ましく思ったものです。今のオーディオ業界では考えられないですね。
もっと信じられないのが、当時はまだ社内でスピーカーを始めて経験が少なかったヤマハのエンジニアがビクターに電話をかけてきて、「トゥイーターでボイスコイルの断線が出ちゃうんだけどどうすればいいの?」 「ああその時は、ここにダンプ材を塗ってこういう感じにすればOKですよ。」なんていう会話が普通にあったりしたそうです。ある意味、ビクターが日本のスピーカーメーカーの先生のような立場だったとも言えますね。本当に良い時代だったと思います。
では今日はこの辺で。
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SX-3に興味がわきました。中古で探してみるかな?
いつもコメントありがとうございます。
SX-3をお探しなら、是非初代モデルをお勧めします。生ゴムを振動板に手造りで塗布するという今では絶対にできない製造方法で作られており、本当に貴重価値があると思います。
裏話については、これからもぼちぼちとあまり問題の起きない範囲で書いていきますね。ではまた。
初代のSX-3を、2004年に中古で購入して現在メインで使用しております。デザイン、音共に気に入っていて毎日2時間は聴いています。聴き疲れしない音がいいですね。
SX-3の(ソフトドームの)開発秘話、大変興味深く読まさせていただきました。SONYが絡んでいるとは「想定外」でした。
でも他社のスピーカーの宣伝してる私って・・・。
PARC Audioのスピーカーもよろしくお願いいたしますね。
「PARC Audioは、音離れが良く、クセのない、聴き疲れのしないサウンドを目指しています。」
SX-3ユーザーにも適いそうですね。
故・長岡鉄男先生の本でも見ながら、(PARC Audioのフルレンジを使い)スピーカーの自作も一興ですね。
機会があれば是非自作にもトライしていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
あった事を関連しているのでしょうか。
>画期的コンセプトのスピーカーを出しては直ぐにそれを捨て去り別の画期的コンセプトのスピーカーを出す
ビクターがどうかは別として、この件を一言で言ってしまうと、何か新しいものをやっても売れなくなると我慢できなくて、また新しいものに手を出すということではないでしょうか。
これはソニーでも少し言えるかも知れません。この件に関してはどちらかというとマーケティングの問題もあるかも知れませんね。
そういう意味では、良くも悪くもボーズやJBLのようなメーカーは昔から一貫して一つの技術を熟成していくという感じがありますね。