ともちんたん

☆日記
☆Iラブ鹿島アントラーズ

植田、豊川、新人コメント

2013-01-30 14:23:46 | 鹿島アントラーズNEWS

●井畑滋社長

「それでは紹介させていただきます。まず熊本県立大津高校より加入の植田直通でございます。ご存じの通り、これまで世代別日本代表で実績があり18歳という年齢ながら国際経験が豊富な選手でございます。積極的にチームでの競争に加わり活性化してくれることを願っております。

続きまして、同じく熊本県立大津高校から加入となります豊川雄太でございます。高校時代にはチームのムードメーカー的存在。なおかつ技術と得点センスを兼ね備えた存在です。植田選手と同様に日々の練習からチーム内の競争を意識して欲しいと思っています。以上新人選手2名については、つねにプロ意識を向上、そして少しでも早くチームの戦力になれるよう努力してもらいたいと思います」

●植田直通選手(鹿島)

「こんにちは。このたび、鹿島アントラーズに加入しました植田直通です。よろしくお願いします」

●豊川雄太選手(鹿島)

「こんにちは。このたび、鹿島アントラーズに加入しました豊川雄太です。よろしくお願いします」

Q:鹿島アントラーズに加入したいまの気持ちをお聞かせ下さい。

●植田直通選手(鹿島)
「自分にとっても憧れだったプロの選手になれて、そしてこの鹿島アントラーズに入れて光栄です。自分はこれからが勝負だと思っているので、練習では少しも甘えず、レギュラー争いに関わって、自分の向上と共に鹿島アントラーズの優勝に貢献していきたいと思います」

●豊川雄太選手(鹿島):「鹿島アントラーズという伝統あるチームに加入できて嬉しい気持ちでいっぱいです。でもこれからが厳しい世界なので、誰よりも努力し、早く鹿島の中心選手になれるようにがんばります」

Q:今年の目標と豊富を聞かせて下さい。

●植田直通選手(鹿島)「自分の目標は、少しでも早い段階でレギュラーに定着して、鹿島のために精一杯がんばっていきたいと思います」

●豊川雄太選手(鹿島):「まず、ここまで育ててくれた親に一番に感謝し、平岡先生や大津のスタッフなど、プロに成る道をつくってくださった椎本さんや亀谷さんなどに感謝します。こういう気持ちをもって鹿島では1年目から積極的に誰よりも動き、自分のレベルアップとプロでやれる自信をつけて、2年目、3年目で試合に絡んでスタメンを取り、鹿島の中心選手となり、日本一というものを鹿島で成し遂げたいです。つねに向上心をもって1日、1日妥協せずに、サッカーにすべてを捧げてがんばっていきたいです」

Q:いまの自分を動物に例えると?

●植田直通選手(鹿島)「ワニです。ワニは水の中に引きずり込んで自分の勝利に持っていくことを得意としていて、自分も得意の空中戦だったり地上戦の1対1とか自分の得意なところに持っていって、相手を完全に仕留めたいです」

●豊川雄太選手(鹿島):「僕はイタチですね。チョコチョコしてるんで。そんな感じがします」

Q:お二人は高校でもチームメイトでお互いのこともよくわかっていると思うので、それぞれ相手のことをお話しいただけたらと思います。

●植田直通選手(鹿島):「豊川くんは大津でも3年間やってきて、ほんとうにチームのムードメイカーで、チームが苦しいときに点を取って助けてくれるという信頼感があって、自分もディフェンスをやっているときに、こいつが決めてくれるという安心感がありました。なにをやってくれるかわからないという期待感を持って試合を楽しんでいました」

●豊川雄太選手(鹿島):「試合を見ていて、こいつが負けたところは見たことがないな、と思います。高さだったり1対1だったり、大学生相手でも普通に吹っ飛ばしますし、プロ相手でも吹っ飛ばします。やっぱりそこはすごいなと思います。日常生活ではちょっと怖そうに見えるんですけど、ほんとうはめっちゃかわいい感じで、めっちゃシャイボーイなんですよ。普段は笑わないふりをしてるんで、ほんとうはめっちゃおもしろい奴です」

Q:世界のなかで自分が目指している選手、憧れの選手をあげていただければと思います。

●植田直通選手(鹿島):「自分はまず鹿島アントラーズのなかでは岩政大樹さんを越えたいな、と思っていて、世界ではプジョル選手を一番の目標にしています」

●豊川雄太選手(鹿島):「僕は小さい頃から海外のサッカーばかりを見てきたのでイニエスタやセスク・ファブレガスが大好きで、日本人で言うと本山さんと野沢さんです。特に本山さんは練習参加したときに衝撃を受けました。プレーはもちろんなんですけど、人間的にも間近で盗みたいと思ったのがアントラーズに決めた理由でもあるので、本山さんと野沢さんには弟子入りして学ばせてもらいたいと思います」


2013チームスローガン

2013-01-30 14:17:18 | 鹿島アントラーズNEWS
鹿島アントラーズの今季のスローガンは、ポルトガル語で「再生」を意味する「Renascimento(レナシメント)」に決定した。

昨季リーグ戦はクラブ史上ワーストの11位に低迷。本来のポゼッションスタイルが影を潜めただけに「原点に返り本来の姿を取り戻す」との誓いを込めた。

 8年ぶりに古巣に復帰するセレーゾ監督は「前回と同様、もしくはそれ以上の成果を残したい」と宣言。00~05年の6年間で国内5冠を達成した第1次政権以上の結果を目指す。

鹿島、新体制発表

2013-01-30 02:44:24 | 鹿島アントラーズNEWS
鹿島の新体制発表が29日、茨城・鹿嶋市のカシマスタジアムで行われ、トニーニョ・セレーゾ新監督(57)とFWダビ(28)ら新加入選手6人が会見に臨んだ。

 8年ぶりにチームを率いるセレーゾ監督は「日本は以前のように4、5チームが優勝争いをする時代ではなく、全てのチームにチャンスがある。だからこそ開幕ダッシュを決めたい」と抱負を話した。2年ぶりに古巣に戻ってきたMF野沢拓也(31)は「目標に近づくように努力して優勝するだけ」と力強く語った。

植田、加入コメント

2013-01-30 02:24:44 | 鹿島アントラーズNEWS

鹿島アントラーズは29日に新人会見を行い、大津高から加入したDF植田直通とFW豊川雄太が出席した。

初めて深紅のユニフォームを身にまとった植田は「やっとアントラーズの一員になれた気がします。でも、これからが本当の勝負。(鹿島の)一員になったことで満足せず、毎日の練習から頑張っていきたい」と、意気込みを語った。

 Jリーグの10を超えるクラブが獲得を目指したDFは、鹿島を選んだ理由についてDF岩政大樹の存在を挙げた。「2回、アントラーズの練習に参加させてもらって、2回目の練習の後に(岩政)大樹さんといろいろ話しました。そのときに『(岩政の)プレーを盗めれば、よりパーフェクトなDFに近づける』と言われて、自分もそう感じたので入団を決めました」と明かす。

 もちろん現役日本代表とのポジション争いを制すことができれば、日本代表入りも近づいてくる。「ここは選手層が厚く、レギュラーになることも難しい。その環境の中で切磋琢磨し、プレーを盗んで、越えて行ければ代表にも近づくと思います。リオ五輪にも出たいですし、ブラジルW杯も狙っていきたいです」と、世界の舞台を見据えた。

 開幕スタメン出場を狙う186センチの大型CBは「もっともっとビルドアップを意識して、一つひとつのパスの精度を上げていきたいです」と、自身の課題を挙げた。その一方で、守備の能力には絶大な自信を持っている。

『自分を動物に例えると?』という変化球の質問をぶつけられると「ワニです」と答え、その理由を「ワニは水の中に引きずり込み、勝利に持っていくことを得意としている。自分も得意とする空中戦や地上戦での1対1という得意なところに持ち込み、相手を仕留めたい」と説明した。

 鹿島という町についても「大津とそっくりで過ごしやすいです。都会は人酔いしてしまうので好きじゃない。過ごしやすいし、やりやすい」と喜ぶ。将来を嘱望されるDFは、厳しい競争、そしてサッカーに専念できる環境の整った名門で牙を磨き、タイトルを目指す。


野沢、加入コメント

2013-01-30 01:34:06 | 鹿島アントラーズNEWS
MF野沢拓也が、鹿島に戻って来た。


29日に行われた新加入選手会見の冒頭で、トニーニョ・セレーゾ監督が「私は長年ここにいたので、復帰したというよりちょっと散歩して戻ってきた感じです」と挨拶をした。

その後にマイクを取った野沢は、「僕もセレーゾ監督と同じ気持ちで、散歩に出ていたのかなと。また我が家に帰って来ることができました。家出した息子が帰ってきました」と、笑顔を見せた。

 昨シーズン、ジュニアユースから過ごした鹿島を飛び出し、ヴィッセル神戸へ移籍した。神戸ではゲームキャプテンも務めたが、思うような活躍はできずにクラブはJ2へ降格してしまう。今オフ、神戸をもう一度J1に上げたいという思いもあったというが、最終的には鹿島への復帰を選んだ。「移籍して、ヴィッセルを優勝に導くことができなかったし、ましてやJ2に落とした責任もありました。もう一度(神戸を)J1に上げて、将来的に優勝させることも考えました。すごく悩んだけれど、僕自身は先を考えるためにサッカーをやっているわけではありません。先を見るよりも、今勝ちたい。今の勝利に飢えている。複雑な思いはありましたが、また(鹿島に)声を掛けてもらえて、先のことを考えるよりも、今の自分を生きたい。そう思って、鹿島(復帰)という道を選びました」と、野沢は決断の理由を説明した。

 野沢は2000年に鹿島のトップチームに登録された。そのときの指揮官も、今シーズンから8年ぶりに戻ってきたトニーニョ・セレーゾ監督だった。

指揮官は愛弟子に高い期待を寄せている。「青年から大人になっていく過程も見たし、選手としても両足でボールを扱えて、プレースキックの能力も高い。雑談の中で(野沢が)17点取ってくれると言っていたので、それが実現できたら、われわれは優勝しているでしょう」と、ニヤリ。やや困惑した野沢は「入団当時は、FWだったから17点という話になったのかな?」と首をかしげたが「当時も、今回も一緒で、本当に不思議な縁ですね。僕もいろんな経験を積んだので、成長を含めて見てもらえたらと思います。甘えが利かない、厳しい人ですが、見ているところの素晴らしい監督です。また同じ舞台でできることに喜びを感じています」と話す。

 よく知るチーム、恩師の下で迎える2013シーズン。2年前との大きな違いは、彼の背番号だろう。1997年に2種登録だったときに与えられた35番を付けることになった。息子、娘の名前にも、2年前まで付けていた『8』にちなんだ名前を付けた野沢は「8番を着けたかった」と、素直に認める。「でも、ジュニーニョという偉大な選手が付けているので。娘の名前が『ミコ』というんです。それで(鹿島の)35番が空いていたし、足して8になるので35にしました」。

 復帰に関しては、決して優しい言葉ばかりを掛けられているわけではない。『一度はチームを捨てた選手が戻ってきた』という声も彼の耳には届いている。「賛否両論があると思いますが、僕はサッカー選手として、常にベストな選択肢を選びます。サッカー人生は短いですし、周囲は世代交代を求めるかもしれませんが、僕たちは今、勝ちたい。目の前の勝利しか見えていません。今年は今まで以上にプレッシャーを感じていますが、結果で返せたらと思います」。断固たる決意を持ち、鹿島に復帰した野沢。その目にはタイトルしか、映っていない。