ともちんたん

☆日記
☆Iラブ鹿島アントラーズ

受け継ぎしジーコの哲学3

2013-01-21 20:43:55 | 鹿島アントラーズNEWS
「現場を疎かにすればチームに何が起きているかは把握できません。選手たちの些細な表情の変化を見逃してはいけないんです。例えば、誰かがいつもより練習を早く上がってしまう。それは監督の指示なのか、それとも違うのか。確認することで選手の状態が分かりますよね。また、練習前や後の表情を見るだけで分かることもある。そういう意味では練習場がクラブハウスに隣接していることは大きかった。

 四六時中、選手の行動や言動を把握できるし、多くのスタッフが選手とコミュニケーションを取ることで、すぐに情報も入ってきますからね。僕ももう、選手とは年齢も離れていますし、ある程度、線を引いて接していますが、彼らがいろいろな問題で悩み、人生の岐路に立ったときにはいつでも相談できる関係でいたいとは思っています」

 今でこそプロ意識の高い集団となった鹿島だが、アマチュアからプロへと移行するJリーグ創設当初は大変だったと鈴木は笑う。「当時は門限を作ってみたり、それこそホテルから選手が抜け出さないように見張ったりもしていた。そんなところからクラブ作りはスタートしたんですよ」

あれから20年。鈴木は年齢も重ねれば立場も変わった。選手たちにとっても兄貴的な存在から、どちらかと言えば父親のような存在へと変化した。そんな鈴木には自負がある。「何もないところにジーコという先生というか指標があって、その精神をどう選手に、現場に植え付けていくか。そこには本当に労力をかけてきました。それに関しては今、J1とJ2併せて40チームですか。その中で一番、やったと思っています」

 鈴木がいうには、今、鹿島は3度目の過渡期を迎えているという。だが20年間、ぶれることなくスタイルを貫いてきた鹿島は近い将来、4度目の黄金期を迎えることだろう。

受け継ぎしジーコの哲学2

2013-01-21 20:40:52 | 鹿島アントラーズNEWS
 これまで、ほとんどの選手に次なる活躍の場を提供してきたという。なかには移籍した選手のさらに次の移籍先をも探したことがあるという。鈴木は「代理人みたいなことをやっているんですよ」と笑うが、現代社会で希薄になっている人情的な部分が、帰属意識やクラブ愛に結びついているのだろう。

 ジーコはチームを総じてファミリーと呼んだ。そうした環境だから、移籍が活発化しつつある今なお、鹿島の選手たちの在籍年数は長いのだろう。

「そういえば、FC東京戦(4月14日)の先発11人のうち、9人がうちでプロとしての第一歩を踏み出した選手たちだったんですよね」 エンブレムの回りに大きな1つの星と小さな5つの星が刻まれている理由は、そこにあるのかもしれない。「ぶれない組織作り」

クラブが監督に意向を示すからこそ貫けるサッカーのスタイル

 鹿島アントラーズが、Jリーグで最多の優勝回数を誇っている要因にはクラブの指針がある。彼らはこの20年間、ぶれることなく、チームの強化を推し進めてきた。それは宮本征勝以降、監督代行は別として、常にブラジル人がチームの指揮を執ってきたという事実もその1つである。ただし、ブラジル人を連れてくるだけであれば、他のクラブにもできたであろう。鹿島はそれだけではないと強化部長の鈴木満は言い切る。「うちは監督を連れて来て、『あとは好きにやってください』というクラブではありません。クラブとしていろいろなことを要求します。それにブラジルから来た監督がJリーグで成功するために、日本人の国民性であったり社会性であったり、あとはJリーグの生い立ちから今の環境に至るまでの背景など、ありとあらゆることをインフォームします。その上で、クラブとしての意向や考えをしっかりと伝えますね」

 サッカーの戦術やシステムにトレンドがあっても、鹿島のサッカーが大きくは変わらないように、クラブは新たに来た監督にチームの伝統やスタイルを説き、理解させ、そして汲み取ってもらう。クラブは指揮官に未来予想図を話し、監督にもその絵を共有してもらっている。

「例えば、マルキーニョスがいた当時、FWは4人しか置きませんでした。基本的に外国人FWは2人獲らないという僕なりのルールがあったということもありますが、日本人ストライカーの育成ということを考えれば、そういう状況を作り出すこともフロントの仕事なんです。ようするに監督が大迫(勇也)や興梠(慎三)を起用しなければならないシチュエーションを作ればいい。極端なことを言えば、このポジションに外国人選手を補強してくれと言われても獲らなかったり、日本人を主軸に育てたいと考えれば、その選手にチャンスを与えるような環境を作ることもします。可能な限り監督の要望を聞きながらチーム編成はしますが、フロントは中長期の計画を考えていく必要もある」

 監督は選手の起用を決め、試合を動かしていくが、クラブはさらに先の未来を見据えて選手を編成し、年月を動かしていく。ブラジル人監督であっても、そうした姿勢を貫いてきたからこそ、鹿島は20年間、ぶれずにいられる。

厚い信頼関係を築くには顔を合わせ、自分の言葉で話す

 話しは横道に逸れるが、鈴木は監督と信頼を築く方法を少しだけ教えてくれた。異なる文化や習慣を持つ外国人監督は少し気難しく見えるが、鈴木はその付き合い方を熟知している。

「例えば、イベントなどの行事に選手を借り出さなければならないとき、監督は難色を示すかもしれませんよね。その可能性があるときは、通訳はいますが、まず監督と向き合い、一対一で話をします。誰よりも先に「大切なイベントだから協力してほしい」と話すんです。その上で、スタッフを集めてミーティングの場で協力を仰ぐ。すると監督は事前にその話しを聞いているので、反対するどころか、「イベントへの参加は大切なことだから現場も積極的に協力しよう」と、背中を押してくれる。

 これが通訳に『あとで監督に伝えておいてくれ』というような対応をしてしまえば、きっと監督は協力してくれないでしょう。先に話すこと、それも目と目を合わして、自分の言葉で伝えることで、監督は信頼されていると感じ取ってくれるんです。フロントは敵対関係にあるのではなく、常に味方だと。そういう気遣いはいつもしますね」

 その積み重ねにより信頼関係は厚くなり、サッカーにおいてもクラブの意向と監督の理想に近づいていける。

 強化部長であり常務取締役でもある鈴木は、さすがに以前よりはグラウンドに出る回数も減ったというが、何よりも現場が大切だと語る。

「事件は現場で起こっているんですよ」 ある映画のフレーズを引用して、柔らかく伝えてくれたが、チームに起こるさまざまな問題は、現場(グラウンド)での様子や雰囲気を見ていれば感じ取ることができるという。すぐに気づくことができから、小さな芽のうちに問題を摘み取ることもできるのだ。

受け継ぎしジーコの哲学1

2013-01-21 20:31:20 | 鹿島アントラーズNEWS

鈴木 満

1957年生まれ。宮城県出身。

住友金属工業(現・鹿島アントラーズ)でプレーし、引退後はコーチに転身。Jリーグ発足に際しては、当時JSL2部にいた鹿島のリーグ参入に尽力した。その後、強化部長として有能な選手を発掘し、タイトル獲得に寄与。現在も常務取締役兼強化部長としてチーム強化に勤しんでいる

鈴木 満鹿島アントラーズ
常務取締役兼 強化部長

「受け継ぎしジーコの哲学」

ジーコがもたらした
哲学血色力と勝利への執着心

 リーグ創設からの20年で、鹿島アントラーズは燦然たる功績を残してきた。最多となるリーグ優勝7回を筆頭に天皇杯優勝4回、リーグカップ優勝4回と、数多くのタイトルを積み重ね、今やJリーグを代表するチームとして名を轟かしている。

 しかし、Jリーグ創設前のJSL(Jリーグの前身)時代は長らく2部に所属しており、お世辞にも強豪とは言えない弱小チームだった。その鹿島が、この20年でJリーグ屈指のクラブへと成長した背景には、ある男の哲学があった。直接、その男の言葉に触れ、意志を受け継いできた強化部長の鈴木満は語る。

「その誰かとは、もちろんジーコですよね。彼はまだ右も左も分からない我々に、プロの選手とはこういうものだ、フロントとはこういうものだということを示してくれました。我々にプロフェッショナリズムを教えてくれたんです」

 ブラジルから来たレジェンドは、鹿島にサッカークラブの哲学とプロとしてのスピリットを植え付けた。それは大きく分ければ2つあるという。「ジーコの哲学を紐解けば、1つは結束力であり一体感ですよね。サッカーは11人でやる競技ですが、この人数では長いシーズンは戦えない。そのため30人ぐらいの選手が所属しているわけですが、彼らにスタッフも含めた50人程度が、同じ参画意識を持たなければならないのです。それともう1つは、勝利への執念。僕なりにジーコの哲学は大きくこの2つだと理解しています」

 いかにして結束力なり、勝利への執着心を全体に植え付けていくのか。組織をまとめる鈴木の仕事はそこにある。それも1シーズンだけ共通意識が生まれればいいというわけではない。コンスタントに結果を出していくには、長いスパンでの結束力が問われる。鈴木の言葉を借りれば、チーム力を維持し、さらに成長させていくには、「適正戦力」なるものがポイントになってくる。

「チーム編成を考える上で意識するのが適正戦力ですね。例えば所属している30人全員が、同じレベルにあればいいかというと、そうではない。試合に絡む、戦力となる選手は1年で20人程度だと考えています。その20人に対しても互いの競争意識が高まるような編成にしなければならない。全員がゲームをコントロールするような10番タイプではダメだし、サイドアタッカーでもダメ。ポジションや役割に応じた選手を獲得することもまた大事になってきます。

 ただ、ここで気をつけなければならないのが、バックアップを務める選手に力があって、その選手がベンチやベンチ外になってしまうと、チームの一体感に影響が出るということです。だからといって、主力の選手が絶対的な存在になってしまうと、競争意識が生まれないので、チームは活性化しませんよね。このバランスが難しいんです。

 そして残りの10人ですが、彼らは現状では試合には出られないかもしれませんが、将来的には現時点での主力に取って代わるような選手たちになります。彼らが成長することでチームは循環していく。それが適正戦力であり、チーム力を維持していくことになる。ほどよい競争とほどよい序列を作る。これを意識していますね」

 鹿島の選手たちは口々に言う。小笠原満男は本田泰人の背中を見て育ったと語れば、岩政大樹は大岩剛の姿勢に学んだと言う。それは自然と受け継がれ、今の若手は小笠原や岩政の背中を見て成長していく。

帰属意識とクラブ愛を抱かせる戦力外選手の移籍先をも探す心意気

 そしてもう一つ、鹿島にはチームの結束力を高める決定的な要素がある。それが今、どの世界でも薄れつつある“帰属意識"である。「結果を出すには、組織にかかわるすべての人が同じ方向を向かなければならない。その一体感を持たせるのが、帰属意識であり、クラブ愛なんです。そこは刻んできた歴史であり、見本になる先輩たちが示してくれたというところもあります。ただ、チームとしては教育という部分もありますが、それだけではなく、クラブの人間がいろいろな角度から選手たちをサポートしてあげることで、選手たちが恩返しではないですけど、クラブのためにという思いを持ってもらえるように努めていますね」

 Jリーグ全体を見渡しても鹿島にしかないであろう特別な対応がある。来シーズンの契約を結ばない選手に対して、各クラブは契約満了を言い渡す。要するに戦力外通告である。それを通知された選手は、自ら、もしくは代理人が来シーズンの所属先を探すことになる。しかし、鹿島では違う。契約満了となった選手の移籍先を見つけ、新天地を用意しているのだ。世界を見渡しても、そうした対応をしているクラブは見当たらない。鈴木はそれを、獲得してきたクラブの責任でもあると話す。「基本的には将来的な画を描いて選手を獲得しているので、獲ったこちらの責任というのもある。だから、ここでチャンスを得られなくても、次の活躍の場は用意してあげたいって思っていますね」


小笠原、サッカーフェス

2013-01-21 17:54:34 | 鹿島アントラーズNEWS
東日本大震災からの復興支援を目的に、J1鹿島アントラーズの小笠原満男選手(33)がサポートしたサッカーフェスティバルが19、20の両日、神栖市須田のジャーニィー若松グラウンドなど各地で開かれ、県内外の26チームの選手ら約700人が交流試合を通して親睦を図った。

サッカーフェスは小笠原選手が総合アドバイザーを務めるレノヴェンスオガサFC(岩手県盛岡市)主催。

東北地方出身のJリーガーらと被災地の支援活動を続けている小笠原選手や鹿島などの協力で、初開催となった。14歳以下の選手を中心に東北の青森や宮城ほか、アントラーズアカデミー選抜や神栖一中なども参加した。

岩政、サッカー教室

2013-01-21 17:52:51 | 鹿島アントラーズNEWS
 Jリーグ鹿島アントラーズの3選手を招いた少年サッカー教室は19日、県立おのだサッカー交流公園で開かれた。参加した小学生67人は、憧れのプロ選手から直接、基本技術やうまくなるための心構えを学んだ。市少年サッカー連盟(好川桂司会長)、山陽小野田サッカー協会(竹本貞夫会長)主催。

 競技人口の拡大と競技力向上を目的に毎年実施されている。今回は日本代表でも活躍する岩政大樹選手(30)=周防大島町出身=、若手の梅鉢貴秀選手(20)、宮内龍汰選手(18)の3選手と同チームのスクールコーチ2人が参加した。

 開会式では、竹本会長が「きょうは一言も漏らさずアドバイスを聞いて、一つでも技術を身に付けて」と激励。岩政選手は「短い時間ですが、少しでもうまくなって帰ってもらえたら」とあいさつした。

 ボールを使った鬼ごっこで体を温めた後、各選手をコーチに3グループに分かれて技術指導が行われた。

 岩政選手はヘディングを指導。ヘディングで強いボールを打つためのこつとして「体を後ろに反らせ、ぎりぎりまでボールを引き付けること」「眉毛と眉毛の間でボールをとらえること」の2点をアドバイスした。最後に岩政選手のヘディングを子供がキャッチするコーナーがあり、ボールのスピードや威力に驚いていた。

 技術指導の後は、3選手が子供たちに交じって試合をしたり、デモンストレーションを見せたりした。最後には記念撮影もあり、参加者は選手と楽しく触れ合った。