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インド タージ・マハル

2019-05-14 23:33:16 | 日記
 ムガル帝国第5皇帝のシャー・ジャハーンが、1631年に
亡くなった愛妻ムムターズ・マハルのために、常に2万人
が17年とも22年とも言われる年月をかけ建てました。

愛妻ムムターズ・マハルが亡くなるとシャー・ジャハーン
は憂いのあまり顎鬚は真っ白になり、以降政治への情熱が
薄れていったそうです。
 ムムターズ・マハル亡くなるとき後世に残るお墓を建てて
ほしい、後添えの皇妃は迎えないで欲しいと遺言をしました。
シャー・ジャハーンは、遺言どおりタージ・マハルを建て、
自分の霊廟としてタージ・マハルの対岸に黒大理石のタージ・
マハルを建てようとしましたが失脚により建てられることは
ありませんでした。

 もう一つの遺言である後添えは、ムムターズ・マハルの死後、
好色にふけるようになり、多数の側室と臣下の妻と関係を持ち、
年に一度は女性の品定めをする市を開いたそうです。
20年以上にわたりこのような生活を続け催淫剤の服用によって
体を壊したことにより、息子たちの後継者争い場勃発し息子に
よって幽閉され亡くなりました。

 亡くなったシャー・ジャハーンはタージ・マハルに愛妻ムム
ターズ・マハルの脇に葬られています。麗しい夫婦愛のように
思えますが、対称性を重視するイスラーム建築にあって、これ
に反する夫妻の墓碑の並びは、アウラングゼーブが父をいかに
憎んでいたかを物語るそうです。

 ガイドさんの話では、1828年から総督に就いたウィリアム・ペン
ディングはタージ・マハルを、イギリスで記憶が正しければ10万
円で売りに出しました、解体・運送・復帰は飼い主負担というこ
とで売れなかったそうです。


































画面右の川の対岸が、黒大理石タージ・マハルの建築予定地



北岸の胸壁と望楼は、その基礎工事の名残とも言われています。


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