モッツァレラ・チーズと聞いて非常な違和感を覚えた。最初はモザレラ・チーズとは違うものだと考えていたが、そのチーズの使用法を聞いていると、同じチーズの事だと知った。私がこのチーズと出会ったのは1960年代であった。その頃の日本でこのチーズは全く知られていなかったし、ピザ・パイも食べられていなかった。
イタリアではどのように発音するのかと思い、友人のイタリア人に聞いた。彼は「モツァレラ」と発音した。決して「モッツァレラ」とは云わなかった。Mozzarellaのことを、アメリカ人は「モザレラ」と云い、イタリアでは「モツァレラ」と云う。「モッツァレラ」とはどこから来たのか、誰が云いだしたのか。
アメリカ空軍の勤務を終え、本格的に貿易の仕事を始める前に、アメリカ空軍時代の経験を買われ、コンビニエンス・ストアーの本部に籍を置いたことがあった。上司に云われ、京都で開かれているコンビニエンス・ストアーについてのレクチヤーを受けに行った。
我々に上から目線で話していた講師が「コーペラティブ・チェーン」と云った。何度も同じことを云ったので聞き間違えたわけではなかった。その時はどのようなチェーンなのか、全く理解出来なかった。宿に戻ってからもう一度考えてみた。どうやら「cooperative チェーン」のことを云ったのではないかと結論した。それなら、「コ・オペレイティヴ」或いは「コーポレイティヴ」である。以前はco-operativeと綴っていた。而し、使用頻度が高くなると、間の「-」が取れてしまう。同じように、recycle(再生利用する),rebuild(再建する)等々「-」が取れてしまった単語は数多くある。
この講師はアメリカに行って(ほんの一週間らしかった)徹底的にコンビニエンス・ストアーのことを勉強し、多くの店を見て廻ったと自慢げに説明した。講師はレクチュアーの中でアメリカのコンビニエンス・ストアーとは全く意味合いの違うものを我々に想像させた。広いアメリカの国土で、遠くのスーパーマーケットに行けなかったり、ほんの当用買いのために利用されるのがアメリカのコンビニエンス・ストアーである。文字通り「便利な店」である。日本ではどの店もコンビニエンス・ストアーである。トンチンカンな講師や他に参加した講師も、コンビニエンス・ストアーとは長時間営業の小型のスーパーマーケットであると勘違いしていた。
だが、現在の日本のコンビニエンス・ストアーは日本流の独自の進化を遂げてきた。驚きである。言葉も日本流に解釈され、本来の意味とかけ放されたものがある。戸惑うばかりだ。外国語だけではない、「全く」「全然」は否定する場合に使われる副詞である。これを「全くいいです」「全然美味しいです」と使っているタレントが非常に多い。そのように云われると、いいのか悪いのか、美味しいのかまずいのか判断に迷う。タレントは仕方ないとしても、きちんと教育を受けた筈のプロデューサーが見逃しているのはどうしたものか。

鎌倉の安国論寺

埼玉のさざえ堂近くの寺

堀切の多門寺。非常な美人であることに驚いた。

奈良井宿の裏手にあった馬頭観音

北鎌倉の円覚寺

日本民家園
石仏を撮る上で、私はそれほど拘らないが、馬頭観音だけを撮る人がいる。それ以外の石仏には目もくれない。休みを利用し、或いは仕事をサボってでも全国を巡り歩く。私も馬頭観音に魅了され、出合えばかなりの時間をかけて撮らせて頂く。馬頭観音は確かに魅力がある。そして他の石仏に比べ数も少ない。ご存じとは思うが、馬頭観音は柔和の相と憤怒の相を併せ持つ。非常に興味のある石仏である。また、此の観音像を背中一面に入れ墨をしている人がいる。男だけではない。ご婦人のなかにもいらっしゃる。
イタリアではどのように発音するのかと思い、友人のイタリア人に聞いた。彼は「モツァレラ」と発音した。決して「モッツァレラ」とは云わなかった。Mozzarellaのことを、アメリカ人は「モザレラ」と云い、イタリアでは「モツァレラ」と云う。「モッツァレラ」とはどこから来たのか、誰が云いだしたのか。
アメリカ空軍の勤務を終え、本格的に貿易の仕事を始める前に、アメリカ空軍時代の経験を買われ、コンビニエンス・ストアーの本部に籍を置いたことがあった。上司に云われ、京都で開かれているコンビニエンス・ストアーについてのレクチヤーを受けに行った。
我々に上から目線で話していた講師が「コーペラティブ・チェーン」と云った。何度も同じことを云ったので聞き間違えたわけではなかった。その時はどのようなチェーンなのか、全く理解出来なかった。宿に戻ってからもう一度考えてみた。どうやら「cooperative チェーン」のことを云ったのではないかと結論した。それなら、「コ・オペレイティヴ」或いは「コーポレイティヴ」である。以前はco-operativeと綴っていた。而し、使用頻度が高くなると、間の「-」が取れてしまう。同じように、recycle(再生利用する),rebuild(再建する)等々「-」が取れてしまった単語は数多くある。
この講師はアメリカに行って(ほんの一週間らしかった)徹底的にコンビニエンス・ストアーのことを勉強し、多くの店を見て廻ったと自慢げに説明した。講師はレクチュアーの中でアメリカのコンビニエンス・ストアーとは全く意味合いの違うものを我々に想像させた。広いアメリカの国土で、遠くのスーパーマーケットに行けなかったり、ほんの当用買いのために利用されるのがアメリカのコンビニエンス・ストアーである。文字通り「便利な店」である。日本ではどの店もコンビニエンス・ストアーである。トンチンカンな講師や他に参加した講師も、コンビニエンス・ストアーとは長時間営業の小型のスーパーマーケットであると勘違いしていた。
だが、現在の日本のコンビニエンス・ストアーは日本流の独自の進化を遂げてきた。驚きである。言葉も日本流に解釈され、本来の意味とかけ放されたものがある。戸惑うばかりだ。外国語だけではない、「全く」「全然」は否定する場合に使われる副詞である。これを「全くいいです」「全然美味しいです」と使っているタレントが非常に多い。そのように云われると、いいのか悪いのか、美味しいのかまずいのか判断に迷う。タレントは仕方ないとしても、きちんと教育を受けた筈のプロデューサーが見逃しているのはどうしたものか。

鎌倉の安国論寺

埼玉のさざえ堂近くの寺

堀切の多門寺。非常な美人であることに驚いた。

奈良井宿の裏手にあった馬頭観音

北鎌倉の円覚寺

日本民家園
石仏を撮る上で、私はそれほど拘らないが、馬頭観音だけを撮る人がいる。それ以外の石仏には目もくれない。休みを利用し、或いは仕事をサボってでも全国を巡り歩く。私も馬頭観音に魅了され、出合えばかなりの時間をかけて撮らせて頂く。馬頭観音は確かに魅力がある。そして他の石仏に比べ数も少ない。ご存じとは思うが、馬頭観音は柔和の相と憤怒の相を併せ持つ。非常に興味のある石仏である。また、此の観音像を背中一面に入れ墨をしている人がいる。男だけではない。ご婦人のなかにもいらっしゃる。
言葉は日々変化すると云われていますが、間違ったままの変化は困ります。
石仏の撮影は撮る時間により、光の具合が違いますから、次に行くと全く違う石仏が撮れます。ですから、同じ石仏を何度も撮る事があります。