TDY、Temporary Duty。アメリカの軍隊用語で出張を意味する。世界の僻地の出張記録!TDYの次は日常の雑感

現役時代の出張記録。人との出会いと感動。TDY編を終え、写真を交えた日常の雑感を綴る。

折々の写真&雑感 132

2017年09月24日 | エッセイ
 過労死とか過労による自殺とかのニュースに接するたびに暗い気持ちになる。日本人の多くはアメリカ人の勤務態度を怠惰だとか効率が悪いと考えているようだが、私はそうは思わない。彼らの仕事の手順は実に合理的である。その合理性からコンピューターの基礎が生まれたとお考え頂きたい。

 アメリカの公務員の最たるものは軍人であると思う。以前にも述べたように、私は15年ほどアメリカの空軍で働いた。その間、上司の許可なしに、或いは命令なしに残業をしたことは一度もなかった。アメリカでは「人」や「労働時間」に給料を払うのではなく、「仕事」、云い換えれば「職種」に給料を払うのである。その仕事を一週間で、或いは一カ月で終わらせる事が出来るなら、その代価として給料を払うのである。従って、一日に8時間働いてその仕事を規定の日数で終わらせる事が出来ないのは、その人間の能力がない証拠である。そのような考え方の下では残業は恥である。但し、通常の仕事以外に特別な仕事が派生してしまったときは、上司から残業をお願いされたり命令されたりする。当然に高額な残業手当が出た。

 この仕事には、このような能力のある人間なら何時間で終わらせる事が出来るとの判断を、過去の膨大なデータから専門家が調べ、その「仕事」(「職種」)の給与の額を決めている。と云うことは、その仕事に就き、その給料を受取っている以上、規定の時間内で終わらせなければ、その給料を貰う資格がないのである。終わらせることが出来なければ、恥を忍んで残業するしかない。当然のこと残業手当は出ない。

 与えられた仕事を終らせてしまえば、席を離れてしまっても読書をしていても問題はなかった。私はさっさと仕事を済ませ、隣のビルに遊びに行ってしまったことが月に何度もあった。また、勤務時間中でも床屋に行くことは許されていた。常に身体を清潔に保つことは軍人及び軍属の義務であった。自分の名前が書かれている白板の行き先欄に「Hair Cut(散髪)」と書いて基地内の床屋に行っていた。余談だが、昼食に小瓶のビールを一本なら飲むことを許されていた。私はその小瓶一本で酔っ払って寝てしまったことが何度もあるが、規定の一本なので咎められることはなかった。ただ、上司から「頼むから、忙しいときは飲まないでくれ」とは云われた。

 30代の頃、「おわら風の盆」の踊り手の名人を主題にした小説を読んだ。それ以来毎年風の盆に行きたいと願っていたが、仕事が忙しく実現しなかった。それがやっと実現したのが2005年の9月であった。小説から想像していたよりずっと俗っぽくなり、会場は観光客で埋め尽くされていた。それでも風の盆の雰囲気は多少は残されていたようで、懲りずに2008年にも行ったのである。最初の2枚が2005年で後の4枚が2008年の写真である。


キャノンEOS10DにEF28-135mm、f3.5-5.6を装着。 ISO:400、 f4、 1/60秒、 露出補正:±0、 WB:オート。


キャノンEOS10DにEF28-135mm、f3.5-5.6を装着。 ISO:400、 f4、 1/60秒、 露出補正:±0、 WB:オート。


キャノンEOS5DにEF70-200mm、2.8Lを装着。 ISO:800、 f5.6、 1/60秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


キャノンEOS5DにEF70-200mm、2.8Lを装着。 ISO:800、 f5.6、 1/60秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


キャノンEOS5DにEF70-200mm、2.8Lを装着。 ISO:800、 f2.8、 1/50秒、 露出補正:-1/3、 WB:オート。


キャノンEOS5DにEF70-200mm、2.8Lを装着。 ISO:800、 f2.8、 1/25秒、 露出補正:-1、 WB:オート。

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折々の写真&雑感 131

2017年09月17日 | エッセイ
 2、3ヶ月ほど前だったと記憶しているが、横浜に40種類ものパクチー料理を出すレストランがあり、それに興味を持ったタイからの取材クルーがそのレストランを訪れる様子を番組で放送した。取材クルーの誰もがその料理に驚いていた。タイでは絶対に作らないであろうパクチーの料理が幾つも紹介されていた。

 ご存知と思うが、パクチーはタイ語で、英語名はコリアンダーである。日本ではコリアンダーが通り名であったが、いつの間にかパクチーと呼ばれるようになった。ビルマではこれをナンナンベーと呼んでいる。私はこの香菜をそれほど好きではなかったが、除けて食べるほどではなかった。それがビルマに通い始めるようになって、近づいてくるビルマ人からナンナンベーの匂いがしてくるのに気がついた。市場のような人が多く集る処に行くと、汗とナンナンベーの匂いが入り混じった体臭に辟易した。北の都のマンダレーで余儀なく満員のバスに乗った時は周囲の体臭で吐き気さえ覚えた。それ以来、この香菜を食べられなくなった。臭いを嗅ぐのさえ嫌になった。

 バンコクのレストランで野菜サラダを注文した時、パクチーを使わないでくれと云うのを忘れたことがあった。出されたサラダにはパクチーがたっぷり混じっていた。私がそれを一つ一つ取り除いていると、ウエィトレスがやって来て「パクチーをお嫌いですか?そのように云って下されば最初から入れなかったのです」と云うと、私のサラダを引き上げ、パクチー抜きのサラダを笑みを浮かべながら持ってきてくれた。このようなサービスが私をタイに惹きつけるのだ。ビルマでメニューとは違う形で料理を注文すると極端に嫌な顔をされる。「ナンナンベーを抜きにしてくれ」と云って料理を注文すると、メニューに表示された価格より請求書が高くなっているのが通常だった。

 以下の写真は写真仲間と湘南の腰越漁港に行った時のものである。鄙びた漁港を期待して行ったのであるが、若者の海の遊び場に漁港の半分を明け渡してしまったようで、昔の面影は全くなかった。


キャノンEOS7Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/80秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
 漁網の先に見えたのは全く違った景色だった。


キャノンEOS7Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/125秒、 露出補正:±0、 WB:オート。
 漁師が遠慮がちに岸壁に船を着けた。


キャノンEOS7Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/125秒、 露出補正:±0、 WB:オート。


キャノンEOS7Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/160秒、 露出補正:±0、 WB:オート。
 楽しそうに遊ぶ若者のいる砂浜にブルー・ジーンズを履いたオジさんが入って行くのは気が引けた。


キャノンEOS7Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/80秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


キャノンEOS7Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/80秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
 漁船の群れは、隅の方に遠慮がちに係留されていた。

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折々の写真&雑感 130

2017年09月10日 | エッセイ
 8月6日付の「折々の写真&雑感125」の中で、ホテルのバーで私に話しかけてきたアメリカ人をご記憶であろうか。私にスパイの話をした元アメリカの軍人である。彼の名前を仮に「B」としておく。既に25年以上も経っているので問題はないと思うが、やはり彼の本名は伏せたい。そのBとタイのバンコクのホテルで偶然に再会した。ビルマで彼と会って一カ月ほど経っていた。バンコクでの仕事を全て終え、翌日の便で日本に戻るだけであった。暇を持て余し、ロビーで旨くもないコーヒーを飲んでいた。彼は私を見つけると、旧友に会ったような笑顔を浮かべて走り寄ってきた。私にはその笑顔が作ったものに感じられた。

 ストランド・ホテルのバーで知り合った次の日、レストランでまた会った。朝食を一緒にとりながら、「私の取引先の社長はNLDを率いているスー・チー女史を応援し、高校の英語の教師をしている彼の奥さんは軍事政権寄りの珍しい夫婦ですよ」と笑いながら話したことがあった。彼は異常なくらいに熱心に聞き、更にもっと詳しく話して欲しいと催促された。どうしようかと迷っているとき、一人のボーイが我々の方をじっと見ているのに気が付いた。私は彼との話を途中で打ち切った。それ以来彼とはビルマで会うことはなかった。ただそれだけの付合いだったBの笑顔を不自然と感じたのは不思議ではないであろう。

 お互いの近況を軽く話し合った後で、Bは私にビルマ人の意識調査の手伝いをしてくれないかと頼んできた。「理由は?」と聞くと「個人的な興味です。あの国は非常に面白いので私を惹きつけます」。それ以上は何も云わなかった。取引先を通して多くのビルマ人の知人や友人が出来たので、その手の調査は容易であると思った。だが、彼は私に全てを打ち明けず、「個人的興味」以外のことは何も云わなかった。それならこちらも彼を本気で手伝う義理はないと考えた。「次にビルマに行ったときに、何人かに聞いてみましょう」と云っておいた。他人にものを頼むなら、礼儀と云うものがあるだろう。「身分と調査の理由は政府の機密事項で話せない。だが、何とか協力して頂けないか」と云ったのなら、協力したかもしれない。それを「個人的な興味」と嘘をつかれたら、間違っても協力する気はなかった。

 勘が鈍っては困ると考え、8月の終りに白内障手術後に初めて撮影に行くことにした。動きの速いものを捕らえるにはボート・レースがいいと単純に決め、江戸川競艇に行くことにした。行く前日、私が支度をしていると家内も行きたいと云い出した。久しぶりの撮影を一人で楽しむ計画は夢と消えた。
 船堀駅から無料のバスに乗って競艇場に着くと、入り口にはシャッターが下ろされ、強風のため今日の全レースは中止との説明を受けた。このまま帰るのも悔しいので上野動物園に行った。それが以下の写真である。


キャノンEOS7Dに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:1600、 f5.6、 1/125秒、 露出補正:±0、 WB:オート、PLフィルター使用。


キャノンEOS7Dに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:1600、 f5.6、 1/80秒、 露出補正:±0、 WB:オート、PLフィルター使用。
 顔の縞模様から、今日の当番の虎は10歳のメスの「マニス」であると確信した。偶然だが、彼女との出会いがこのところ多い。


キャノンEOS7Dに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:1600、 f5.6、 1/50秒、 露出補正:±0、 WB:オート、PLフィルター使用。


キャノンEOS7Dに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:1600、 f5.6、 1/100秒、 露出補正:±0、 WB:オート、PLフィルター使用。


キャノンEOS7Dに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:1600、 f5.6、 1/100秒、 露出補正:±0、 WB:オート、PLフィルター使用。


キャノンEOS7Dに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:1600、 f5.6、 1/100秒、 露出補正:±0、 WB:オート、PLフィルター使用。
 ゴリラを撮っていて飽きないのは、実に表情が豊かであることである。彼らを見ていると、今は何を感じたか、何を考えているか分るような気がしてくる。全く分らないときでも、それを想像するだけでも楽しい。

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非常に腹が立つので以下の一文を付け加えたい。
 北朝鮮詣でを続けているような国会議員に、我々の税金から渡航費や歳費を払わなければならないのだろうか?国や国民の意向に反するようなことを得意げな顔で行う議員を懲戒免職に出来ないのか、或いは再入国を拒否出来ないのか?このような国会議員を野放しにしているようでは、今後も無法な国々から日本は舐められ続けるのでないのか?

折々の写真&雑感 129

2017年09月03日 | エッセイ
 「アメリカ人はヨーロッパ人を崇拝し、東洋人を下に見ている」。確かにこの傾向はある。黒人やラテン系は別として、アメリカ人のルーツはヨーロッパにある。先祖の地を大事に思い、憧れるのは当たり前のことではないか。東洋人とは言葉の問題で相互の理解に欠ける。日本の政治家が得意とする「腹芸」などは通じない。相手が実際に話したことしか感じ取れない人が大部分である。彼らにしてみれば、控えめな東洋人は何を考えているかわからないところに不安を感じ、単に「俺たちの方が上なんだぞ」と考えているだけではないだろうか?長野県の地獄谷野猿公苑の猿どもは、自分たちは人間と同等か或いは上だと考えているらしい。この一方的な考え方に似たところはないだろうか?

 「アメリカ人は常識がなさすぎる」。確かにお説の通りである。以前にも述べたことがあるが、アメリカ人のあるご婦人が、「ミスター・ⅩⅩ 、アメリカの軍人とその家族を見て、それが一般的なアメリカ人と思わないで下さい」と私に云ったことがある。アメリカ人はもっと知性があり、もっと常識的であると云いたかったのであろうが、軍隊はアメリカの縮図のようであると私は考えている。アメリカの国民で軍隊の経験のある人は非常に多いし、軍隊式の物の考え方をする人も多い。知性を持った常識人とは別にトランプのような脳味噌の発達が多少遅れている非常識人間が多くいることは確かである。

 だが、総じてアメリカ人は友好的である。アメリカのある店で偶然会い、何日かして別の店でまた会うと、まるで以前からの友人であったように「暫くだなぁ、ミスター。調子はどうだい?」と聞いてくる。他の国でこんなことを味わったことはなかった。その反面、街ですれ違った人たちから微笑みかけられるか軽く挨拶をされるのは、単なる社交辞令の場合が圧倒的に多いと考える方が無難である。

 いくら親しくなっても、相手がどこそこに行くと云わない限り「どこに行くんだ?」と聞いたことはない。もし、聞けば「余計なお世話だ。お前には関係ないことだ」と云われるに違いない。別に人に聞かれて困る場所に行くわけではない。日本人は気軽に、何処に行くのか、誰に会うのかを聞く。別に特別な意味はない。挨拶のようなものだ。その辺の処がアメリカ人と物の考え方が違う処である。このような些細なことで相互の理解が得られず、相手を非難したりするのではなかろうか。

 私が中学で初めて英語の授業を受けたとき、教師から「絶対に宗教と政治の話をしてはいけない」と注意を受けた。だが、「あなたの宗教は何ですか?」とか「神を信じていますか?」、或いは「教会に行っていますか?」と聞かれたことは何度もある。英語を教える教師は、この辺のところをしっかり調べて生徒に教えて欲しいものだ。2015年3月30日付の「折々の写真&雑感2」をご参照願いたい。

 写真は自称カメハメハ大王の子孫だと云っているハワイ系日本人の友人と行った秩父の「さざえ堂」の写真である。建物の外側から見ると二階建てであるが中は三階建てである。建物の中はさざえのようになっており、通路に沿って歩くと一番上の三階まで登り、その通路が自然と下まで降りてくる。


キヤノンEOS5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:100、 f4、 1/200秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


キヤノンEOS5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:400、 f11、 1/60秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


キヤノンEOS5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:400、 f11、 1/40秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
 上の「どら」は、戦時中の供出を免れた数少ない物だそうだ。それだけに此のさざえ堂は徳のあるお堂であるとの説明を受けた。


キヤノンEOS5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:400、 f16、 10秒、 露出補正:-1、 WB:オート、 三脚使用。


キヤノンEOS5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:200、 f11、 2.5秒、 露出補正:-1、 WB:オート、 三脚使用。


キヤノンEOS5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:400、 f11、 3.5秒、 露出補正:-1、 WB:オート、 三脚使用。