TDY、Temporary Duty。アメリカの軍隊用語で出張を意味する。世界の僻地の出張記録!TDYの次は日常の雑感

現役時代の出張記録。人との出会いと感動。TDY編を終え、写真を交えた日常の雑感を綴る。

折々の写真&雑感 50

2016年02月29日 | エッセイ
 新聞である若手国会議員についての記事を読んだ。国会の審議中であるにもかかわらず、彼はずっとスマートフォンを操作していた。彼は二年間で一度か二度質問したのが議員活動の全てのようだ。別の若手議員が云った「議員の数が多すぎて、我々若手は何もすることがないんです」。国会では議員の数を6か10を減らすの減らさないのとの議論が行われている。6か10ではなく、100か200の議席を減らしたらどうだろうか?数が多ければ良い政策が生まれるわけではないだろう。

 ある人が冗談を云った。「字さえ読めれば、猿だって議員は務まる」。確かにそうだ。国会中継を観ると、質問をしている大部分の議員は紙に書いたものを読み、その答弁をする与党側の多くの議員も紙に書いたものを読んでいる。途中、読み辛そうにしているのは、自分で書いたものではなく、誰か(国家公務員?)が書いたものであるからか。

 インターネットで国会議員一人にかかる経費を調べてみた。所謂給料に相当するものが年間で約2千万円。実働はわずか150日程度だそうだ。その他に、税金のかからぬ交通費、通信費、立法費などで年間約2千万円。これだけではない。議員会館内の無料の電話付きの事務所、格安の議員宿舎、海外視察費、3人の秘書の給料。莫大な年金。大臣や役職議員に使われる公用車。全てをひっくるめると、議員一人当たりの年間経費(収入?)は約1億円だそうである。100人か200人の議員を減らすことで年間100億円から200億円の税金が助かる。これを全国の罹災地復興に使ったら、日本国民の幸福度はぐっと増すに違いない。

 以下の5枚の写真は長野県の辰野町にある「枝垂栗」である。新緑の頃にも行ったことがあるが、雪の降るこの時期の方が似合っているように思う。


5Dに17-40mm、4Lを装着。 ISO:100、 f5.6、 1/200秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
 寒さで指先の感覚が薄れた。手振れを起こさぬよう、絞りを開けてシャッタースピードを早くした。風が治まると、指先の感覚は徐々に戻ってきた。


5Dに17-40mm、4Lを装着。 ISO:200、 f16、 1/50秒、 露出補正:+1/3、 WB:オート。


5Dに17-40mm、4Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/25秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


10Dに28-135mm、f3.5-5.6を装着。 ISO:200、 f11、 1/60秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


10Dに28-135mm、f3.5-5.6を装着。 ISO:200、 f11、 1/90秒、 露出補正:-1、 WB:オート。

 下の3枚は、上の5枚が如何にも凍えそうなのに、ほぼ同じ時期の新宿御苑の「ラクウショウ」の写真である。春を感じるようになると、毎年このラクウショウを撮るのを楽しみにしている。同じ場所から撮っても、年々その顔は変わっている。


7Dに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:100、 f5.6、 1/160秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


7Dに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/100秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


7Dに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/160秒、 露出補正:±0、 WB:オート。

折々の写真&雑感 49

2016年02月22日 | エッセイ
 私の双子の娘の片割れが香港に住んでいる。その娘に頼まれて、このブログの「16」と「22」でも多少触れたが、香港の一番暑い6月、7月、8月の三カ月ほど香港で過ごしたことがあった。娘の娘(孫娘)を日本人学校からのスクールバスの発着所まで迎えに行くのが私の日課だった。それ以外は全くの暇。一人で香港のあちこちに出かけた。電車やバスの乗り場や乗換場所を娘に聞いてから出かけた。最初のうちはきちんと説明してくれていたが、毎日の事で面倒になったらしく、「英語を話せるんだから、行った先で聞けばいいでしょ」と云われた。聞いてわかるなら娘に聞かない。ビルマ人の英語もそうだが、香港人の英語も分りにくい。簡単な事ならわかるが、少し込み入った話になるとまるで分らない。ある時、日本のスイカやパスモと同じ機能を持つ乗車券が不具合だったのに気付いた。地下鉄の駅員にそのことを話すと、彼はそのカードを専用の機械で調べてくれた。そして説明してくれたが、彼が話していることをまるで理解出来なかった。幸い娘が一緒だったので、彼女が後ろから通訳してくれた。そして云った、「香港では、英語を話せない外国人は馬鹿にされるのよ。だから、あの駅員の声がだんだん大きくなったでしょ。馬鹿にされていた証拠よ」と。そして奥の手を教えてくれた。「何回も聞き直すのではなく、『貴方の話している中国語を理解出来ない』と云えばいいのよ。そうすると相手は自分の発音が悪いのだと思い、ゆっくりと、一生懸命に正確に発音するわ」。娘は香港に来たての頃、アメリカからの旅行客がそのように云っているのを聞いたのだ。非常にいい手だと思い、随分と使ったらしい。香港人の英語は分りにくいと娘も認めている。アメリカに生まれ育った人と変わらぬほどの英語を話す娘の友人が娘の住いに何日か滞在した。彼女は英語に対する自信を失い、肩を落として香港から帰って行ったそうだ。だから、私に気を落とすなと慰めてくれた。

 此の何年か前の事だが、香港の地下鉄に乗った時に若者から席を譲られた。自分では席を譲られるほどの年ではないと考えていたが、彼等から見れば年寄りに見えたのであろう。若者に感謝すると同時にがっかりもした。今までは、日本で席など譲られた事など一度もなかった。

 以下の写真であるが、最初の雪景色は2010年の2月の初めに日本民家園で撮ったものであり、次の春めいた写真は先週の金曜日(2月19日)に新宿御苑で撮ったものである。今年は暖冬と云われているが、それを証明するような速さで寒緋桜が咲いた。中の池に面している処に3本の寒緋桜がある。写真は真ん中の木であるが、満開を過ぎ、そろそろ散り始めている。今年も雪の日本民家園を期待していたが、今年は積もるほどの雪は降らずに寒桜が咲いてしまった。


7Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/80秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


7Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:400、 f11、 1/100秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


7Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:400、 f16、 1/100秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


7Dに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:200、 f11、 1/200秒、 露出補正:+1/3、 WB:オート。


7Dに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:100、 f5.6、 1/400秒、 露出補正:+1/3、 WB:オート。


7Dに100-400mm、4.5-5.6Lを装着。 ISO:100、 f5.6、 1/500秒、 露出補正:+1/3、 WB:オート。

折々の写真&雑感 48

2016年02月15日 | エッセイ
 私の家内は徹底したアナログ人間である。だから、安心して存分に悪口を此処に書ける。朝の連ドラ、「あさが来た」の主題歌がお気に召したようで、主題歌が始まるとテレビの前にへばりついて歌詞を書きとっている。何日も続き、煩わしくなったので、インターネットから歌詞をプリントして渡してやった。家内にも私と同じ作業が出来た筈である。もう何年も前に、OSがウィンドウズXPの頃にノートパソコンを買い与え、最低限の使用法、即ちワードでの文章作成法と保存法、メールのやり取り及びインターネットの使い方を教えた。大変な作業だった。猫に「お手」を教えるようなものだった。孫娘に「大変ねぇ」と同情された。それと云うのも、彼女が小学校3年か4年の時、家内の部屋から首を振りながら出てきて「ありゃ駄目だわ」とつぶやいた。孫娘が家内に携帯電話の操作法を教えていたらしい。その時の苦労が忘れられず、私に同情してくれたのだ。

 それでもなんとか使えるようになった。友人とのメールのやり取りを何とかこなし、ワードで文章も簡単に書けるようになった。それで、OSがウィンドウズ8になったのを機に、もっと高機能のノートパソコンに買い換えてやった。もっと進歩するかと思ったが、パソコンに興味を失ったのか、メールはもっぱら携帯電話で済ますようになった。普段は開くこともないノートパソコンを私の部屋に持ってきて立ち上げてみると、ウィンドウズの更新の連続であった。またノートンからも最新のものをダウンロードしろとのダイヤログが出てきた。

 一般にスマートフォンを使っているご婦人方は、パソコンを使わずにスマートフォンで済ませてしまっているようだ。私の従妹などはパソコンのプロバイダーを解約してしまい、全てをスマートフォンで代行している。彼女のご亭主がパソコンを使えないから独断でやったと云っているが、彼は密かに私にパソコンの使い方を教えてくれと云ってきている。


5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:800、 f11、 1/15秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
 この役目を終えた根は鎌倉の妙本寺に向かう道路の左手にある。私が此の根に気付いてから15年ほど経っているが、当時のまま、何も変わっていないように見える。


5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/30秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
 妙本寺の以前の住職が丹精込めて育てていた梅。今の住職は「花」に興味がないらしく、手入れを怠っている。日本に何本かしかない「カーネーション椿」の一本が此の妙本寺にある。彼はその価値も知らないらしい。


5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/50秒、 露出補正:-1、 WB:オート。(鎌倉、長谷寺)


5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:200、 f11、 1/125秒、 露出補正:-1、 WB:オート。(鎌倉、長谷寺)


5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:200、 f11、 1/50秒、 露出補正:-1、 WB:オート。(鎌倉、長谷の高徳院)
 やっと大仏の修復に取り掛かっているが、この写真で見る痛み具合からして遅すぎたのではないかと心配である。


5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:200、 f11、 1/60秒、 露出補正:-1、 WB:オート。(鎌倉、長谷の高徳院)
 外国からの若いお嬢さんも大仏を気に入ったようだ。これほど大きいとよく分からないが、長谷の大仏さんは「美男子」であるとの定評がある。そう云われてみると、確かに整ったお顔をしている。


5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/20秒、 露出補正:-1、 WB:オート。(芝、増上寺)


10Dに17-40mm、4Lを装着。 ISO:100、 f11、 1/250秒、 露出補正:-1、 WB:オート。(明治神宮)
 この10Dが発売されて直ぐに、飛びつくようにして買った。当時、キャノンの1Dはボディーだけで95万円もした。その1/3以下で10Dが買えた。だが、CFカードが高かった。256MB(1ギガの1/4の容量)で、1万2千円もした。現在私が使っている4ギガのサンディスクのCFカードは3千8百円ほどで買った。容量は256MBの16倍で、値段は1/3強だ。540万画素しかない此の10Dを私の従弟が今でも使っている。彼は私ほど多量の写真を撮らぬが、使いやすいと充分に満足している。

折々の写真&雑感 47

2016年02月08日 | エッセイ
 我が家に居た巨大なボス猫が家出したまま帰ってこなかった。此のボス猫は代々他家で飼われていた由緒ある飼い猫の子孫であった。下の娘が美大に入ったばかりの頃に友人から二匹の仔猫を貰ってきた。我が家に居たメス犬(シェパードと柴犬の合いの子)は大の猫嫌いだったが、小さな猫には興味があったようだ。近寄って匂いを嗅ぎだした。一匹の仔猫は背中を丸めて攻撃の姿勢を取った。将来ボス猫になる方の仔猫は自分から犬の前足の間に入ってしまった。犬は後ずさりしただけで、咎めるようなことはしなかった。結局相性の悪そうな仔猫はお引き取り願って、将来のボス猫が我が家の一員になった。娘が名前を「兵太」と付けた。茶虎であるため、犬と姉弟のように毛並みが似ていた。
 兵太の歩き方がしっかりとしてくると犬の散歩についてきた。犬は引き綱に引かれているが、兵太は自由だ。犬と並んで歩いたり、寄り道をしたりしていた。犬がその途中で兵太以外の猫を見かけると猛然と追いかけようとした。その度に引き留めるのに苦労した。

 兵太が2才の頃から獣医通いが始まった。病気ではない、怪我である。一夜の入院だったり、5日ほど入院したこともあった。先生のお話では、「一匹では敵わないから何匹か徒党を組んで兵太君を襲うんです」とのことだ。余程の乱暴者と見える。
 
 我が家の隣で犬種は知らないが、白い小さな犬を飼っていた。庭に面した窓を開けて貰い、そこから外を眺め、誰かが通ると「キャン、キャン」と吠える。実にうるさい。兵太が隣家の庭を横切ると、その吠え声は一層うるさくなる。兵太は足を止め、振り向いて一睨みする。犬はピタリと吠えるのを止す。そのまま帰ってくればいいものを、兵太はまた引き返す。犬が吠える。睨む。止す。これを日に何度か繰り返しては楽しんでいた。
 遊びに飽きると、我が家の犬の腹を枕に大の字になって寝てしまう。我が家の犬は、隣で飼っていた鶏が来て犬の食事中に関係なく、餌の皿をつつき始める。それでも黙ってやらせておくほど大らかな所がある。だが、入浴が苦手で風呂場に連れて行くだけで泣き声を出す。そんな時、様子を見に来た兵太を見ると、泣き声はピタリと治まった。以後、兵太と一緒に犬を洗うことにした。

 我が家の犬が老衰で死んでしまうと、しばらく犬小屋に居たが、そのうちに家出をしてしまった。その半年ほど前、下の娘がやはり茶虎の猫を拾ってきた。オスであった。後で聞いた話だが、一軒の家に二匹のオス猫は両立しないのだそうだ。犬のいる間は兵太も我慢して我が家に居たが、犬が死んでしまったのを機に家出してしまったようだ。娘は悔やんでいた。

 一年で今頃が一番寒い時期だそうだ。ご購読者の皆様に、多少でも温まって頂けたらと、囲炉裏の火を集めてみた。お役にたてれば幸甚である。


5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:800、 f5.6、 1/20秒、 露出補正:-2、 WB:オート。
 補正を「-2」にしたのは、周囲が明るすぎ、「-1」では重厚な雰囲気が出ないため、敢えてこの補正にした。


5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:800、 f5.6、 1/50秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:1600、 f5.6、 1/80秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


5Dに17-40mm、4Lを装着。 ISO:1600、 f5.6、 1/50秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


5Dに17-40mm、4Lを装着。 ISO:1600、 f5.6、 1/15秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


5Dに17-40mm、4Lを装着。 ISO:1600、 f5.6、 1/30秒、 露出補正:絞りとシャッタースピードをマニュアルに設定したので露出補正は無し。 WB:オート。


5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:1600、 f5.6、 1/25秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:1600、 f5.6、 1/60秒、 露出補正:-2、 WB:オート。
 一枚目の写真と同様の理由から補正を「-2」にした。


5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:1600、 f11、 1/25秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
 f11まで絞って撮ったのは、鉄瓶を主体に周囲にまで詳細な画像を得たかったからである。


5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:1600、 f11、 1/20秒、 露出補正:-1、 WB:オート。


5Dに24-105mm、4Lを装着。 ISO:200、 f5.6、 1/6秒、 露出補正:-1、 WB:オート。
 板の間に腹ばいになり、両肘を床につけ、息を殺してシャッターを押した。三脚を使えばこのような苦労をしないのだが、日本民家園の屋内では絶対に三脚は使えない。また、私は暗闇の時とか花火や花筏を撮るときにしか三脚を使わない。特に、花火は別として、人の多い場所では絶対に使わない。他の人の迷惑になることを恐れるからである。

折々の写真&雑感 46

2016年02月01日 | エッセイ
 申年にちなみ、多少猿の話をしたい。私は第二外国語にフランス語を選択した。恥ずかしいことに、マダガスカルとの商取引に於いて全く役に立たなかった。彼等の公用語はマダガスカル語とフランス語である。多少は覚えていた単語もあったが、商売とは何の関係もない単語だった。

 フランス語が役に立たなかった反省から、「猿語」の習得に努めた。長野県の地獄谷野猿公苑に10年も通い続け、日夜努力した。以下にその成果をご覧に入れたい。


「ねぇ、ドレス買ってぇ」


「寝たふりしないでよ!」


(ヘソクリを出すしかねぇかなぁ)、と彼は私にぼやいた。


「ちょっと、ウチの人にチョッカイ出さないでよ!」


 ポートレートを撮らして頂けないかとボスにお願いすると、彼は気軽に応じてくれた。私にはこれほど威厳のある表情は出せない。


「何か文句あるか!」と悪ガキに凄まれた。


「誓って嘘は申しません」と彼はボスに訴えていた。


「よっ」「お前、遅ぇじゃねぇか!」


「そのへんで止せよ」と喧嘩の仲裁をしていた。


「やるか!」。彼は勇敢にも2匹を相手に立ち向かおうとしていた。


「綺麗に撮ってね」と妙齢のご婦人に頼まれた。


「今年こそ」と彼は一大決心をしたようだ。私も自然と力が入った。

 以上の写真の共通データは、5Dに24-105mm、4L、5Dに70-200mm、2.8L及び7Dに24-105mm、4Lを装着し、絞りはf5.6~f22で全てを絞り優先で撮影した。露出補正は―1~±0で、雪景色であっても主体が猿であったので+補正は一切しなかった。

 「折々の写真&雑感2」でも多少触れたが、少々付け加えたい。ご存じのように猿は犬や猫と違い、相手を匂いではなく「顔」で認識する。それだけ知能が高いのであろう。私の家内は「猿に顔を覚えられるほど通うなんて!」と呆れているが、何回も、何回も行きたくなるほど彼等は可愛い。
 この野猿公苑の猿は全くの野生である。病気になっても、怪我をしても保護されることはない。自然のままに息絶える。それまで精一杯、たくましく、楽しく生きる。彼等は気が向けば私に近寄り、手を握る奴もいる。肩に乗ってしまう奴もいる。だが、私からは手を出せない。餌もやれない。それが野生猿に対する接し方のルールである。