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TDY、Temporary Duty。アメリカの軍隊用語で出張を意味する。世界の僻地の出張記録!TDYの次は日常の雑感

現役時代の出張記録。人との出会いと感動。TDY編を終え、写真を交えた日常の雑感を綴る。

折々の写真&雑感 549

2025年08月17日 | エッセイ

 次回のブログの写真をどうするかと考えているときに、スマホに電話の呼び出し音が鳴った。私の電話帳にはない番号からだった。最初に「+」があったので、外国からのものと判断した。番号からもしかしたら香港からかもしれないと考え、一応電話に出た。きれいな女の声で、「こちらは入国管理局です。貴方のまだ受け取っていない荷物がありますので、至急連絡して下さい」と非常に正確な日本語で云われた。イントーネーションも日本人そのものだった。次いで中国語(カントン語か北京語かは不明)のアナウンスが流れた時に、電話を切ってしまった。

 折角、非常に上手な日本語を話すお嬢さんを雇ったのに、入国管理局と国際郵便局を間違えるような詐欺集団では大したことはないと、警察に連絡することもなく、全ての記録を消去してしまった。

 次の日、また「+」で始まる番号から電話があった。今回は電話に出ずに切ってしまったが、その番号を私の管轄の警察署に報告した。

 中には入国管理局と国際郵便局の間違いに気づかず、電話してしまう人がいるのかもしれない。だが、誰でも落ち着いて考えれば入国管理局に荷物が届く筈はないし、間違っても外国の国際郵便局からそのような連絡があろうはずがない。

 我が家の固定電話は常時留守電にしてしまってある。その直後にはかかってくる電話が多かったが、「ただ今留守にしています」のアナウンスが流れると同時に電話は切られ、かかってくる電話の数が劇的に減った。固定電話を外してしまってもいいのだが、中には携帯やスマホを未だに使っていない人もいるので、またパソコンでインターネットを使用しているので外してしまうわけにもいかない。

 友人の中には留守電ではなく「この電話は詐欺防止のために録音されています。これから呼び出します」のアナウンスだけで切られ、かかってくる電話の数も考えられないほど減ったそうだ。

 先週に続き、今回は8月の小石川後楽園の写真である。

 


折々の写真&雑感 548

2025年08月10日 | エッセイ

 写真仲間たちが7月の第4週に不忍池にハスの写真を撮りに行った。私が計画していた葛西臨海公園の水族館へは、私は腰痛のため参加出来ないと元看護婦さんに伝えると、水族館には私の腰痛が治ってから行くとして、今回は炎天下でのハスの撮影に決めたいがどうかと云われた。私に反対する理由はない。その事について他の仲間からの電話では撮影はとても暑くて一時間も続けられず、早々に撮影を切り上げて涼しいウナギの店で精をつけながら二時間ほど過ごしたと云っていた。だが、行った人たちは丁度見ごろを迎えたハスのいい写真を数多く撮ったらしい。あの炎天下でもいい写真が撮れたなら、誰も熱中症にならなかったのなら、大成功だったと私は思う。良かった。

 私が通う病院の内科医の女医は「看護婦さんが一緒なら、安心ね」と我々の撮影行きを評しているが、その元看護婦さんについて行くのが大変なのだ。「元」だが、彼女は現役並みに、いやそれ以上に若く元気だ。

 腰痛でしばらく歩かなかったので、リハビリを兼ね、暑いのを承知の上でバスを利用して最寄りの駅の近くでビーチ・サンダルを探しに行ってみた。バスの窓からピンクと真っ白の花を観た。恐らく百日紅の花だろう。ピンクの花を咲かせる木と、真っ白な花を咲かせる木が二本並行していたのではなく、手前がピンクで奥が真っ白の花を咲かせる木であった。バスを降りて写真を撮りに行きたかったが、カメラを持っていなかった。

 写真仲間のご婦人の一人にバカチョンカメラを常時持ち歩いている人がいる。そして、そのカメラで実にいい写真を撮っている。最近のバカチョンカメラは一眼レフカメラに劣らぬ性能を持っているのは確かだが、それより機を逃さず撮った写真は何よりも勝る。私も常時持ち歩くように心がけてはいるが、荷物になるのが嫌で持ち歩かぬ方が多い。これからはデイ・バックに入れっぱなしにしておこう。

 この暑さでは写真を撮りに行けない。誠に申し訳ないが、この暑さが少し収まるまで以前に撮った写真の中から未掲載の、ほぼ同時期の写真を選んで掲載したい。取敢えずはお台場に納涼船がゆったり、ゆったり運航している写真から掲載する。

 

 


折々の写真&雑感 547

2025年08月03日 | エッセイ

 写真を撮りに逗子に行ったとき、お昼に寄った店のメニューで「自家製マグロ」と書いてあるのが目に入った。今のようにツナ缶が何処のスーパー・マーケットやコンビニエンス・ストアーでも売られるようになるずっと前のことである。どうやって鮪を自分のところで育てられるのかと考えながらそれを注文してみた。出てきたのは、現在のツナ缶のように料理されたもので非常においしかった。恐らく店主が外国旅行でそれを知り、自分の店でそれよりずっと美味しく料理したのであろう。

 以前に漢字で書くものとカタカナで書くものでは同じ食べ物であるのに、出される時に容器が違うと書いた。今回は同じ食材なのに、漢字とカタカナではその料理法が変わることを体感した。鮪は刺身だが、ツナは味をつけて煮て、その身をバラバラにほぐす。所謂ツナ缶だ。鮪を刺身で食さない国から輸入された鮪の缶詰がツナ缶なのだ。缶に「TUNA」と印刷されていたので、そのままツナ缶として売り出されたのであろう。最初にそのツナ缶に出会った客はこれが鮪であるとは知らずに買い、食べた後も気が付かずに、かなり後になって、これは鮪なのだと気が付いたか誰かから聞いたのであろう。鮪とツナの違いは判らなくもないが、ややこしい。

 アメリカの空軍に勤務していたころ、ハワイの二世からツナ缶を沢山頂いた。その時、「刻んだ玉ねぎとマヨネーズを混ぜ、それにお醤油を少しかけて食べるとおいしいよ」と説明された。そのようにして、炊き立てのご飯の上にのせて食べた時、そのうまさに感動した。今までに味わったことのない味だった。日本にツナ缶が出廻るようになったのはこの10年以上経ってからだった。

 ハワイの二世からはこのツナ缶だけではなく、いろんな食材の美味しい食べ方を教わった。だが、鮪のトロを刺身で食べずに天ぷらにしてしまうことには賛成しかねた。同じ日本人でありながら育った環境により、食べ物の味わい方が全て同じではないことを初めて知った。だが、彼らは寿司ネタにはマグロのトロが一番だと云う。おかしなものだ。

 暑い時期には外での撮影をする気にはなれない。その気力もないし熱中症も心配だ。今回も先週に続いて鎌倉の長谷寺の写真である。ご存じのように、この寺に行くには鎌倉駅から江ノ電に乗って江の島方面に向かうのであるが、面倒なようで、その道中はワクワクするような楽しみを感じる。

 


折々の写真&雑感 546

2025年07月27日 | エッセイ

 今回の参院選で、多くの候補者は確実に実現出来そうもないことを、自分が当選した暁には実現させると無責任なことを訴えていた。今回に始まったことではない。選挙前の公約通りになっていれば、日本は世界でも有数な金持ちの国になっており、庶民の収入は現在の何倍にもなっている筈だ。そうなっているか?とんでもない、ますます貧乏国になっており、収入は物価高にまるで追いついていない。当選した議員たちは知らん顔だ。選挙の時の公約はどうした?だから私は政治家を信用していない。

 出来もしないことを並べ立てるだけなら誰でも出来る。選挙演説ではそれをどのような方法で実現するかなど誰一人説明していない。食料品の消費税をゼロにする。我々庶民にとってはいい事だ。而し、それ財源にしている医療費や介護の費用はどうする。無責任も甚だしい。

 石破首相が、この自民党の大敗でも続投すると云っていた。トランプの課した意味のない関税相手に、「日本は他国と違って多額の投資をアメリカに対して行っている。そして大変な雇用を生み出している」とまだ云っている。彼の云う通りなら、いくら馬鹿なトランプだって最初から意味のない関税の被害から日本を外しているだろう。

 だが、どうしたわけか、25%が15%になった。それに対して日本はアメリカに対して80兆円もの投資を行い。大して売れもしないアメリカの車を無税で、またコメの輸入を他国の数量を削ってまでアメリカ産のコメを買うことにした。その上100機もの飛行機や武器を買う約束をした。その他にも、我々に入っていないが譲歩した事項が多くあるのではないか?そうでなければ自己顕示欲の塊とも云えるトランプを黙らせることは出来なかった筈だ。そこまで日本が譲歩したなら、交渉の仕方では15%ではなく10%でも可能だったのではないか?

 選挙速報で石破首相の云っていることを聞いて、彼は全くアメリを、特にトランプを知っていないと感じた。だからこそ今までの日米の交渉は的外れなのだ。あの頭が狂っているとしか考えられないトランプを相手にまともな交渉をしても全く意味がない。だからこそ、冷静で大人のヨーロッパの諸国はつまらない交渉にアメリカ詣でなど最初からしていない。あの関税で困るのはアメリカ国民だ。だから「勝手にやらせておけ」との態度だ。今後はトランプを大統領にしたようなあんな国を貿易主要国と考えずに、アメリカなどは無視し、他に生きる道を探す方が得策であろう。それは無理なのであろうか?

 大部分のアメリカ人は、今になって最悪の大統領を選んでしまったと悔やんでいるようだ。そんなことは前回で懲りている筈であろう。今回は優秀な留学生が大量にアメリカを去った。あの国の衰退も非常に近い将来になったのではないか?

 とても暑くて撮影どころではない。従って以前に撮った鎌倉の長寿寺の写真を掲載したい。この寺は常時拝観出来るわけではない。拝観日が決まっていて、それも月によって違う。この日は偶然に拝観日に当たったのか、事前に調べてから行ったのかの記憶がない。

 

 


折々の写真&雑感 545

2025年07月20日 | エッセイ

 ロサンゼルスから国内便でサン・フランシスコ方面に向かって一時間か二時間のところに「San Jose」と云う街がある。土地の人間は「セノゼ」と云っているが、それ以外の人たちはその他に「サン・ジョセ」「サン・ノゼ」、又はメキシコ風に「サン・ホセ」と云う人もいる。どれが正しいのか私にはわからない。だが、土地の人たちが云うセノゼで通したい。

 現役時代の事であるが、ロサンゼルスでの仕事が全て終わった。取引先の好意で仕事が予想をはるかに超える速さで終わったのだ。「San Jose」に高校時代から家族ぐるみで付き合っていた仲の良い友人がいる。彼女のご亭主は空軍の大尉で、戦闘機の重要な部分を撮るプロのカメラマンだったが日本人と結婚したことにより、その任を解かれてしまった。彼は「友好国のお嬢さんと結婚して、この仕事を続けられないとは冗談じゃない」と云って空軍を辞めて、一流のピザ店での修業を終えると自分のピザの店を開いた。その店を開くにあたり、友人の母親から多額の資金を預かり、空軍の軍人軍属に両替と送金をお願いした。私からその話を聞いた多くのアメリカ人の友人たちの協力を得てかなりの額の闇ドルを彼に送ったことがあった。この機会に友人に会い、その店の状況を知りたいと電話してみた。友人は喜び、何日でも私の家に泊って行ってくれと云われた。

 取引先に、「San Jose」への行き方を聞くと、ロサンゼルス空港まで送ってくれ、「あそこのカウンターでチケットを買い、そこで乗り場を聞いてくれ」と云って彼は再会を約して帰ってしまった。チケットを買った後は乗り場までは簡単に行けた。友人に予定到着時間を電話すると「主人と一緒に空港まで迎えに行くわ」と云ってくれた。

 「San Jose」まで行く飛行機に乗ると、座席のテーブルには既にビールの小瓶とおつまみが置かれていた。座席が狭く、田舎を走るバスに乗った感じだった。隣に座った客と話が弾み、「どこまで行くんだ?」と聞かれた。おかしなことを聞く奴だなと思ったが、「セノゼだ」と云うと、「それなら此処だ」と云って前方に向かって「降りる客がまだいるぞ!」と大声で云ってくれた。そして、私に「出口は後ろだ。またな」と云ってくれた。後ろを見ると、階段が下ろされているのが見えた。礼もそこそこに急いで出口に向かった。「San Jose」で客を下ろすと、次の空港まで行くのだそうだ。チケット売り場ではそのようなことは一言も云ってくれなかった。危ないところだった。

 友人のご主人に「俺の店に寄って、ピザを食って行ってくれ。旨いぞ!」と云われた。確かに旨かった。ロサンゼルスで食べたピザは台が厚めに切った硬い食パンのようだったが、彼の店「Old Calif」(オールドカリフ、古き良き時代のカルフォルニアを懐かしんで付けた名前だそうだ)のパイの台は何処までも薄く、具が多く、何よりチーズが旨かったのを覚えている。

 上野寛永寺の写真を掲載するが、最近撮ったものではない。何年か前に撮ったものである。当時は時間さえあればどこへでも、また掛け持ちで撮影に歩き廻っていた。車を止して電車とバスでの移動に感動し、非常に便利だと感じていたのを覚えている。