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TDY、Temporary Duty。アメリカの軍隊用語で出張を意味する。世界の僻地の出張記録!TDYの次は日常の雑感

現役時代の出張記録。人との出会いと感動。TDY編を終え、写真を交えた日常の雑感を綴る。

TDY, Temporary Duty ビルマ編 マンダレー 4

2013年11月17日 | 旅行
 カリンが買えなかった前回のマンダレー旅行の別れ際に、セイン・ウェイが私に提案してくれたのは「カリンのこぶ」の事であった。一般に樹木が病気になるとこぶが出来る。カリンのこぶは大きく、切り方によってはそのままテーブルになる。非常に高価なものである。先方の見積もりは新木場で事前に調べてきた金額をはるかに上廻っていた。かなりなめられた見積りだった。日本からこんな遠くまでやって来たのだから、よほど欲しい筈だ。この際儲けてやれと考えたのだろう。交渉の余地が全くない値の開きだった。セイン・ウェイは申し訳なかった、他の業者を紹介すると云ったが断った。此の業界は横のつながりが強い。各国共通である。表面は敵対していても、裏では常に情報交換をしている。

 ラングーンに比べ、マンダレーの物価はかなり安い。特にホテルのランドリーサービスの値段には驚かされた。以下の9点で15チャット(30円)だった。ズボン=1、半袖シャツ=2、Tシャツ=2、パンツ=2、ソックス=2足。
 空港のタクシーは60チャットだったが、街中を走るタクシーは50チャット、馬車は4人乗れば30チャットだが、3人までなら25チャットだった。全て闇のチャットを使用したので、2倍にして頂ければ円価が出る。

 朝の散歩のときに日本製の中型トラックの荷台を低くして、乗りやすいように改造したバスがやって来た。乗り降りは全て後ろから。ステップがついていたが、何かにつかまらないと無理だった。マンダレー・ホテルまでだと云って車掌に5チャットを払うと3チャットのお釣りとよれよれの乗車券をくれた。ほぼ満員だったが、乗り込むと先客が体を動かして場所を開けてくれ、吊り革を譲ってくれた。バスの中はビルマ人特有のナンナンベー(コリアンダー、タイのパクチーと同じ)が染みついた臭いが充満していた。バスが走りだすと幌の間から風が入り多少涼しくなった。次の停留所で停まると何人かの乗客の入れ替わりがあった。そして、その次の停留所ではステップから降りた車掌が私に向って大きなしぐさで降りるように伝えた。バス停はホテルの角にあった。ホテルは腰高のコンクリートの台に太めの金網のフェンスに囲まれていた。フェンスの中には南国の花と樹木がびっしりと植えられてあった。ホテルというより、広大な個人の邸宅であるとの印象を与えていた。

 余談だが、ラングーン空港で出国手続きの時、「えっ、これしか使わなかったのか?」と云われた。正規のチャットを使っているのだとの証明のために10,000円をホテルで両替をしていたが、今回はビルマに来るのはこれが最後だと決めていたので3,000円しか換えなかった。「チップとタクシーの分だけで、あとは全てクレジットカードを使った」と云うと、首を振りながらも私を通した。


 カリンの木から切り落としたこぶを、3インチ(7.5センチ)ほどに製材したもの。これを徹底的に磨きあげて足をつければ高価なテーブルになる。大きいものは長さが2メートル、幅が1メートルほどもある。テーブルには小さすぎるものは床の間や玄関を飾るのに使用されている。


 商談に入る前の「カリンのこぶ」の扱い業者一家。精一杯私をもてなす体制を整えていた。まさか、私がネギをしょってこないとは考えていなかったであろう。見かけは人が良さそうだったが、貪欲な一家だった。


 決して大きな家ではないが、如何にも豊かそうな感じを受けた。而し、ビルマの電力状況によるのか、エアコンが高価すぎるのか、冷房は風に頼るしかないようだった。


 ラングーンから新婚旅行に来た幸せそうなご夫婦。飛行機はとても高くて乗れず、列車を利用して来たそうだ。昨日までに周囲のめぼしい観光地を巡ってきたので、明日は夜行列車でラングーンに帰ると云っていた。このご夫妻と話していると、マンダレーに住んでいなくても、此処に来る人は幸せになれる見本であるような印象を受けた。
 
 勿論マンダレーにも貧富の差はあるが、セギョウ・マーケットに行ってもラングーンのボジョウ・マーケットのように乞食を見かけることはかった。ボジョウ・マーケットで買い物をしていると、乞食が小銭をねだってくる。無視すると、しつこく私の肘をつつく。あまりしつこくされたので、日本語で「働け!」と大きな声で云った。意味は理解出来なくとも、その剣幕で敵は消えた。
 マンダレーもビルマの一部なので貧しいに違いない。而し、その貧しさを表面に出していない。人々は心のゆとりを持って暮らしていた。此の印象は今でも私の頭の中から消えることはない。