pacific0035'写真BBS

文学や史跡で登場するマチを旅しながら、折々、紹介することを心がけています。

雑穀輸出仲介への温床 小説『海霧 UMIGIRI』読むキーワード240322 (4)

2024年03月21日 08時39分07秒 | 季節
  雑穀輸出仲介への温床 小説『海霧 UMIGIRI』読むキーワード240322 (4)

●「佐賀県人脈と原田文学」の話。小説「海霧」で南大通を愉しむ方法。
原田さんの『海霧』では、一番、最初に釧路駅に集合してもらいました。『海霧 Umigiri』の最終章にある一節を確認しました。
「(1930年6月)東京からの列車が厚内の短いトンネルをぬけ」、「二歳の曾孫は毛布にくるまれて、ふたり掛けの椅子をひとりで占領」。そういう形で自画像を示しつつ、「海は濃霧にとざされていた」の情景で作品をむすんでいます。
まだ、幼かった康子さんが東京から釧路に初めて帰ってきた時の一節が記載されています。それで「お帰りなさい、康子さん」というわけで、私たちは旧釧路停車場跡に迎えに行きました、ですよ。その足で、川上町にあった原田留五郎宅に向かいました。
川上町の旧旭小学校前にあったお宅こそ、原田さんの実家。そこから「教育大学釧路校の位置へ通学したんだよネ~」、と。「ぶぶる
●2023年11月16日「ぶぶる11th」は『海霧』片手に南大通八丁目界わい歩く。
23年11月16日午前、米町公園駐車場に集合し南大通八丁目、七丁目を10人ほどでまわりました。お目あては『海霧 Umigiri』上巻です。そこに登場する平出幸吉 ひらいでこうきち、島義勇 しまぎゆう、武富善吉 たけどみぜんきち らの事績をたどるツアーです。
釧路市には「明治四二年 電話帳」が記録に残っています。『海霧 Umigiri』上巻の主人公たる平出幸吉を模す原田惣吉の名は電話帳には出てきません。しかし、佐賀県人脈につらなる福富甚吉 ふくどみじんきち 武富善吉らの住まい地は記録があります。
●観光講座2024で「釧路の街の魅力」。「佐賀県人脈と原田文学」で提案です。
『明治四二年 電話帳』にはまた、前述の武富家が経営し釧路銀行の所在地は判明します。電話帳には住所の記載があります。そこでその細かな住宅所在地の地番を、こんどは町名と地番を記載した地図を取り出して、一つずつその位置を現在の街並みのなかで記録していく作業を現地ですすめました。
南大通八丁目に「武富小路」、その先に「武富私道碑」があります。そこで『海霧 Umigiri』に登場する「北洋商会」。実体は広業商会 こうぎょうしょうかい という会社のお話をさせていただくのです。


コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 平出幸吉家に大正末期の難色... | トップ | 「奥座敷」、そう言われた温... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

季節」カテゴリの最新記事