ちょっと「プロレス技」という範疇から外れてしまうかもしれないのだが、最近のプロレス技の傾向について気になることがある。それは「雪崩式」という技の出し方についてである。
以前から思っていたことであるが、rollingmanさんのブログ「回転富士山」に「我が意を得たり」という記述があったのでちょっと紹介させていただく。rollingmanさんごめんなさい(汗)。
詳細はリンク先を読んでいただきたいが、全く同感である。
中邑の「ランドスライド」という技は、相手を肩に担ぎ上げ、前方に落とし(その際身体が当然横向けになっていたものを頭を下に向けた落下に切り替え)、脳天ないしは後頭部をマットに叩きつけるという技であるが、この技には多少無理がある、と僕は見ている。デスバレーボムやバーニングハンマー、或いはオリンピック予選スラムのように肩に担ぎ上げた相手をそのまま横方向に落すのであれば、身体を固定しているために受身も取りづらく説得力を持つのだが、前方に落すのであれば相手の身体を方向転換させなければならないためにタイミングが難しい。実際、中邑が帰国してこの技を最初に出したとき(相手は中西だったが)、見事に崩れて失敗している。パイルドライバーやパワーボムの方がより説得力がある、と思われる。なんで肩に担ぎ上げるのだろう。まだまだ未完成である技という印象が強い。
(おっと書きすぎた。肩に担ぎ上げる「エアプレンスピン」系の技についてはまた改めて書こうと思うのでここではこれ以上言及しない。ランドスライドについては、やはりrollingmanさんの必殺技には説得力が大事な場合に詳しい。)
問題は「雪崩式」という技の形態である。
コーナー最上段にいる相手に対して仕掛けるこの技の歴史は、さほど古いものではないと思われる。最初は「デッドリー・ドライブ」という技しかなかった。コーナーに昇ってニードロップ、或いはボディプレスなどを仕掛けようとする相手に対し、いち早く立ち上がって相手を下からとらえて放り投げる。ボディスラムの危険版。これは切り返し技で、相手がわざわざコーナートップに昇るように仕向ける技であったわけではない。
ただそれだけの「コーナー最上段にいる相手」に対する切り返しの技であったデッドリードライブであるが、もちろん普通のボディスラムより落差があり威力があるわけで、この技をコーナー最上段に相手がいなくても仕掛けるパワーファイターが出てくる。ウォリアーズが印象的だが、自ら抱え上げた相手をリフトアップして頭上高く持ち上げて投げる。それはそれで凄いものである。そういう発展も見られたわけでパワーを誇示する発展形だと思っていたのだが、この技はもうひとつ別方向の発展をする。コーナートップにいる相手に別の技を仕掛けてより落差を生み威力を増そうという方向である。
海外情報に疎いので誰が最初に始めたのかはよく知らないが、日本では国際プロレス時代の阿修羅原が「コーナートップにいる相手にブレーンバスター」を仕掛けたのが最初であるとされる。これが日本における「雪崩式」の始まりとなる。
これは一種衝撃的だった。その落差。当時垂直落下式は一般的でなく、背中落ちブレーンバスターに新しい可能性が生じた。いかにも危険だった。
その後、新日で藤波辰巳や木村健悟が使い出す。しかしこれも連発すれば色褪せる。何よりもスピーディプロレスに「間」が生じてしまう。これが問題だと思った。
相手がコーナーによっこらしょと上がるとすぐさま起き上がり、そのままデッドリードライブであればすぐに投げるわけだけれども、ブレーンバスターであれば相手の首に自分の腕を巻きつけ、態勢を整える。そしておもむろに投げるわけで、相手はその間コーナートップで待っているわけだ。いかにプロレスが「受け」の美学と言ってもこれはちょっと…とどうしても思う。技を仕掛けるときのダメージ度合いはもちろんトップに昇った相手が元気であるわけで、叩きつけられてのち起き上がった仕掛ける側の方がその時のダメージは大きいはずなのである。なのに黙って仕掛けられるとは。うーむ。藤波はそこに説得力を増そうと、必ず仕掛ける場合は先に腹部に一発パンチを入れてから態勢に入っていた。それにしても…。
プロレスは「受身の凄さ」を見るものという観点を知っている我々ファンはそれでもいいが、そうでない人にはまた揶揄される原因になる、と危惧した。ロープに飛ばされて跳ね返ってくる不思議を突っ込まれるどころではないぞ、と思った。
この技は一度終止符が打たれたことがある、と僕は思っている。猪木vs藤波シングル戦で、コーナーに昇った猪木に対し藤波が雪崩式を狙い駆け上がった。しかし何のダメージもない猪木は「そんな技受けてやんない」と言わんばかりに、駆け上がった藤波にナックルパートをかまし、マットに落ちた藤波に速攻ニードロップを決めた。
これで「雪崩式ブレーンバスター」は敗れたのである。完全防御されてしまった以上、これでもう雪崩式は終わり、と僕は思った。
しかしである。雪崩式は滅びなかった。新しいパターンとして、相手がコーナーに上がるのを待たない方式が登場した。相手を散々叩きのめしダメージを蓄積させ、そしてコーナーに相手をよっこらしょっと担ぎ上げ(驚)、相手をコーナートップに座らせてそして雪崩式を放つという新形態が生まれたのである。これだと相手がコーナートップで動けなくてなすがままであっても「待ってる」という感じはしない。相手はフラフラなのだから。
そしてどんどん雪崩式はエスカレートする。旧来の相手がコーナーに昇る形式も継続され、そして技もブレーンバスターにとどまらず、フランケンシュタイナー、DDT、そしてダブルアームスープレックス。相手を担ぎ上げコーナーに据えるわけだから対面式の技だけでなくてもよくなり、ジャーマンも飛び出し、あげくはツームストンパイルドライバーまで飛び出した。怖い。無茶をする。
もうこうなれば投げ技であればなんでも「雪崩式」にすることが可能だ。そして立ち位置も、相手がトップに座り投げ手がロープ二段目くらいだったものが、両者ともロープ最上段に立つようになった。どんどんエスカレートする。
「雪崩式垂直落下ブレーンバスター」なんてのはいったいなんだ。死んじゃうぞ。
さてそこで「雪崩式」にプロレスにおける問題点が生じてくるのである。
昔のプロレスというものは、相手をヘッドロック等で痛めつけダメージを蓄積させ、ボディスラムを何発かかましてフラフラになったところに自分のフィニッシュホールド(ルーテーズならバックドロップ)を持ってくる。そして一発で決める、という流れがあった。まともな技は最後。それが出れば終わり。それがプロレスだった。
しかし受身の向上とともに、観客もより過激なものを望みだす。馬場・猪木全盛時代にその傾向が生まれ、技を積み重ねていくようになる。それに従い「痛め技」「繋ぎ技」という概念が生まれ、旧来の技が一発で決まらなくなる。バックドロップやブレーンバスター、パイルドライバーが「繋ぎ」に堕ちてしまったのもこの頃。これはいたしかたない部分もある。観客もたくさんの技を見たい。だが、こういう傾向は必ず行き詰まりを生み出す。フィニッシュ技をどうすれば説得力ある「これなら決まり」というものに出来るかが名レスラーの見せ所ともなってきた。
100年を超えるプロレスの歴史で、新技はある程度出尽くした感のあるここしばらくは「技の復興と堕落」の繰り返しであるとも言える。バックドロップやブレーンバスターは「へそ投げ」「垂直落下」によって息を吹き返し、逆にジャーマンスープレックスやラリアートは痛め技へと堕ちた。しかしまた歴史は繰り返すだろう。スープレックスが復活する時代も来るやもしれない。そうしてレスラー達の才覚と努力でプロレスは保たれてきたとも言える。
しかし「雪崩式」というものはその箍を外した存在となってしまう可能性が高い。
「雪崩式」はレスラーにとって実に「安易な方向」ではないか。確かに威力は増す。コーナートップからバックドロップを放てば、急角度で落下し負荷も確実に大きくなる。だがそれは技のレベルが上がったのではない。完璧なバックドロップでなくても高みから落すことによって威力を倍増させる方向性はいかがなものか。
そして、そのことで従来の「バックドロップ」の神秘性が失われてしまうことになるのもまた事実ではないだろうか。実際、rollingmanさんのおっしゃるように「雪崩式エクスプロウジョン」を三沢が出すことによって、旧来の「エクスプロウジョン」が絶対的必殺技ではなくなってしまった。この事実は重い。
安易な方向性は次々に過激さを求め、ノアでは昨今必ず「断崖式(奈落式。エプロンや花道からマットのない場外へと落す)」が出る。危険だ。しかしこれをただ「凄い」と言っていてもいいのか。こういうものは本当の「奥の手(by rollingmanさん)」にすべきであって日常的に放たれれば必ず色褪せる。それに従って従来の「元技」までもが遺物となる可能性が高くなる。自分で自分の首を絞めるのだ。 「奥の手」は、例えばかつてのブル中野の金網最上段ギロチンドロップのようなものではなかったのか。
「プロレスは浪漫が大事」とrollingmanさんは喝破する。そのとおりだ。僕は、雪崩式は安直、とあえて言ってしまいたいと思う。これは技術ではない。物理的に道具(コーナートップや花道)を使って高角度、急速落下にしてワンランク上げるより、もっとレスラーは自分の技を磨いて欲しい。己の肉体だけを武器に、技量で相手を窮地に陥れるようにして欲しい。棚橋や中邑ら次代を担うとされるレスラーにそのことをもっと肝に銘じて欲しいのである。
以前から思っていたことであるが、rollingmanさんのブログ「回転富士山」に「我が意を得たり」という記述があったのでちょっと紹介させていただく。rollingmanさんごめんなさい(汗)。
中邑が修行の成果のひとつとしてひっさげてきた新必殺技「ランドスライド」ですが。
雪崩式はまだ早くないですかね・・・?
まだ公開してからろくに見せてない技だというのに。雪崩式で出すというのは、普通のランドスライドでは決まらないことを認めたということではなかろうか。
(中略)
昨今のプロレスは高度になりすぎたが故に、かなりの危険技を決めないと勝負がつかない傾向があります。なので、奥の手を出さざるを得ない。
その傾向はNOAHマット上で顕著ですが、幻の必殺技と言われた小橋のバーニングハンマー、そして三沢のエメラルドフロウジョンはかなりの頻度で出されるようになってしまいました。その前段階の技では決まらなくなってしまったからです。前回のGHCヘビー級選手権、丸藤戦での三沢にいたっては、エメラルドフロウジョンのさらに奥の手のタイガードライバー'91まで出して返されて、雪崩式のエメラルドまで出す始末。
まあ中盤でも、場外に向かっての奈落式という超々危険技が次々と出てしまうわけですから、もう歯止めが利かなくなっているとしか言いようがない気がします。
詳細はリンク先を読んでいただきたいが、全く同感である。
中邑の「ランドスライド」という技は、相手を肩に担ぎ上げ、前方に落とし(その際身体が当然横向けになっていたものを頭を下に向けた落下に切り替え)、脳天ないしは後頭部をマットに叩きつけるという技であるが、この技には多少無理がある、と僕は見ている。デスバレーボムやバーニングハンマー、或いはオリンピック予選スラムのように肩に担ぎ上げた相手をそのまま横方向に落すのであれば、身体を固定しているために受身も取りづらく説得力を持つのだが、前方に落すのであれば相手の身体を方向転換させなければならないためにタイミングが難しい。実際、中邑が帰国してこの技を最初に出したとき(相手は中西だったが)、見事に崩れて失敗している。パイルドライバーやパワーボムの方がより説得力がある、と思われる。なんで肩に担ぎ上げるのだろう。まだまだ未完成である技という印象が強い。
(おっと書きすぎた。肩に担ぎ上げる「エアプレンスピン」系の技についてはまた改めて書こうと思うのでここではこれ以上言及しない。ランドスライドについては、やはりrollingmanさんの必殺技には説得力が大事な場合に詳しい。)
問題は「雪崩式」という技の形態である。
コーナー最上段にいる相手に対して仕掛けるこの技の歴史は、さほど古いものではないと思われる。最初は「デッドリー・ドライブ」という技しかなかった。コーナーに昇ってニードロップ、或いはボディプレスなどを仕掛けようとする相手に対し、いち早く立ち上がって相手を下からとらえて放り投げる。ボディスラムの危険版。これは切り返し技で、相手がわざわざコーナートップに昇るように仕向ける技であったわけではない。
ただそれだけの「コーナー最上段にいる相手」に対する切り返しの技であったデッドリードライブであるが、もちろん普通のボディスラムより落差があり威力があるわけで、この技をコーナー最上段に相手がいなくても仕掛けるパワーファイターが出てくる。ウォリアーズが印象的だが、自ら抱え上げた相手をリフトアップして頭上高く持ち上げて投げる。それはそれで凄いものである。そういう発展も見られたわけでパワーを誇示する発展形だと思っていたのだが、この技はもうひとつ別方向の発展をする。コーナートップにいる相手に別の技を仕掛けてより落差を生み威力を増そうという方向である。
海外情報に疎いので誰が最初に始めたのかはよく知らないが、日本では国際プロレス時代の阿修羅原が「コーナートップにいる相手にブレーンバスター」を仕掛けたのが最初であるとされる。これが日本における「雪崩式」の始まりとなる。
これは一種衝撃的だった。その落差。当時垂直落下式は一般的でなく、背中落ちブレーンバスターに新しい可能性が生じた。いかにも危険だった。
その後、新日で藤波辰巳や木村健悟が使い出す。しかしこれも連発すれば色褪せる。何よりもスピーディプロレスに「間」が生じてしまう。これが問題だと思った。
相手がコーナーによっこらしょと上がるとすぐさま起き上がり、そのままデッドリードライブであればすぐに投げるわけだけれども、ブレーンバスターであれば相手の首に自分の腕を巻きつけ、態勢を整える。そしておもむろに投げるわけで、相手はその間コーナートップで待っているわけだ。いかにプロレスが「受け」の美学と言ってもこれはちょっと…とどうしても思う。技を仕掛けるときのダメージ度合いはもちろんトップに昇った相手が元気であるわけで、叩きつけられてのち起き上がった仕掛ける側の方がその時のダメージは大きいはずなのである。なのに黙って仕掛けられるとは。うーむ。藤波はそこに説得力を増そうと、必ず仕掛ける場合は先に腹部に一発パンチを入れてから態勢に入っていた。それにしても…。
プロレスは「受身の凄さ」を見るものという観点を知っている我々ファンはそれでもいいが、そうでない人にはまた揶揄される原因になる、と危惧した。ロープに飛ばされて跳ね返ってくる不思議を突っ込まれるどころではないぞ、と思った。
この技は一度終止符が打たれたことがある、と僕は思っている。猪木vs藤波シングル戦で、コーナーに昇った猪木に対し藤波が雪崩式を狙い駆け上がった。しかし何のダメージもない猪木は「そんな技受けてやんない」と言わんばかりに、駆け上がった藤波にナックルパートをかまし、マットに落ちた藤波に速攻ニードロップを決めた。
これで「雪崩式ブレーンバスター」は敗れたのである。完全防御されてしまった以上、これでもう雪崩式は終わり、と僕は思った。
しかしである。雪崩式は滅びなかった。新しいパターンとして、相手がコーナーに上がるのを待たない方式が登場した。相手を散々叩きのめしダメージを蓄積させ、そしてコーナーに相手をよっこらしょっと担ぎ上げ(驚)、相手をコーナートップに座らせてそして雪崩式を放つという新形態が生まれたのである。これだと相手がコーナートップで動けなくてなすがままであっても「待ってる」という感じはしない。相手はフラフラなのだから。
そしてどんどん雪崩式はエスカレートする。旧来の相手がコーナーに昇る形式も継続され、そして技もブレーンバスターにとどまらず、フランケンシュタイナー、DDT、そしてダブルアームスープレックス。相手を担ぎ上げコーナーに据えるわけだから対面式の技だけでなくてもよくなり、ジャーマンも飛び出し、あげくはツームストンパイルドライバーまで飛び出した。怖い。無茶をする。
もうこうなれば投げ技であればなんでも「雪崩式」にすることが可能だ。そして立ち位置も、相手がトップに座り投げ手がロープ二段目くらいだったものが、両者ともロープ最上段に立つようになった。どんどんエスカレートする。
「雪崩式垂直落下ブレーンバスター」なんてのはいったいなんだ。死んじゃうぞ。
さてそこで「雪崩式」にプロレスにおける問題点が生じてくるのである。
昔のプロレスというものは、相手をヘッドロック等で痛めつけダメージを蓄積させ、ボディスラムを何発かかましてフラフラになったところに自分のフィニッシュホールド(ルーテーズならバックドロップ)を持ってくる。そして一発で決める、という流れがあった。まともな技は最後。それが出れば終わり。それがプロレスだった。
しかし受身の向上とともに、観客もより過激なものを望みだす。馬場・猪木全盛時代にその傾向が生まれ、技を積み重ねていくようになる。それに従い「痛め技」「繋ぎ技」という概念が生まれ、旧来の技が一発で決まらなくなる。バックドロップやブレーンバスター、パイルドライバーが「繋ぎ」に堕ちてしまったのもこの頃。これはいたしかたない部分もある。観客もたくさんの技を見たい。だが、こういう傾向は必ず行き詰まりを生み出す。フィニッシュ技をどうすれば説得力ある「これなら決まり」というものに出来るかが名レスラーの見せ所ともなってきた。
100年を超えるプロレスの歴史で、新技はある程度出尽くした感のあるここしばらくは「技の復興と堕落」の繰り返しであるとも言える。バックドロップやブレーンバスターは「へそ投げ」「垂直落下」によって息を吹き返し、逆にジャーマンスープレックスやラリアートは痛め技へと堕ちた。しかしまた歴史は繰り返すだろう。スープレックスが復活する時代も来るやもしれない。そうしてレスラー達の才覚と努力でプロレスは保たれてきたとも言える。
しかし「雪崩式」というものはその箍を外した存在となってしまう可能性が高い。
「雪崩式」はレスラーにとって実に「安易な方向」ではないか。確かに威力は増す。コーナートップからバックドロップを放てば、急角度で落下し負荷も確実に大きくなる。だがそれは技のレベルが上がったのではない。完璧なバックドロップでなくても高みから落すことによって威力を倍増させる方向性はいかがなものか。
そして、そのことで従来の「バックドロップ」の神秘性が失われてしまうことになるのもまた事実ではないだろうか。実際、rollingmanさんのおっしゃるように「雪崩式エクスプロウジョン」を三沢が出すことによって、旧来の「エクスプロウジョン」が絶対的必殺技ではなくなってしまった。この事実は重い。
安易な方向性は次々に過激さを求め、ノアでは昨今必ず「断崖式(奈落式。エプロンや花道からマットのない場外へと落す)」が出る。危険だ。しかしこれをただ「凄い」と言っていてもいいのか。こういうものは本当の「奥の手(by rollingmanさん)」にすべきであって日常的に放たれれば必ず色褪せる。それに従って従来の「元技」までもが遺物となる可能性が高くなる。自分で自分の首を絞めるのだ。 「奥の手」は、例えばかつてのブル中野の金網最上段ギロチンドロップのようなものではなかったのか。
「プロレスは浪漫が大事」とrollingmanさんは喝破する。そのとおりだ。僕は、雪崩式は安直、とあえて言ってしまいたいと思う。これは技術ではない。物理的に道具(コーナートップや花道)を使って高角度、急速落下にしてワンランク上げるより、もっとレスラーは自分の技を磨いて欲しい。己の肉体だけを武器に、技量で相手を窮地に陥れるようにして欲しい。棚橋や中邑ら次代を担うとされるレスラーにそのことをもっと肝に銘じて欲しいのである。
がっつり引用していただいて恐れ多いです・・・!凛太郎さんの記事を感銘を受けながら読ませていただいている一人ですので・・・(笑)。
最近80年から90年にかけてのプロレスのビデオを掘り出しては見ているのですが、それらの試合と比べると、プロレスはこの10年であまりにハードになりすぎてしまったんだな~と思わされます。
大御所になりつつある選手達が軒並みカラダに故障を持っている(特に武藤が・・・)のを見ると、果たしてこんな潰しあいみたいなプロレスで、いつまで選手のカラダが持つのか・・・と心配でなりませんです。
雪崩式なんか、ドラゴンがやってた雪崩式リングインだけで充分です(笑)。確か、タッグマッチでリングインしたあとにリキラリアットを喰らってた記憶が(爆笑)。誰かあれを継いでくれないですかね~。
男子はともかく女子では男子以上に危険な技が
繰り出されてます。
そろそろ抑制が必要なのでは・・・
結局雪崩式は、技術的な技の凄さは全く見せてくれないのではと思うのです。危険度が増すだけで。「安直」と書いたのは書きすぎかもしれませんが(汗)。ただ技を仕掛けられる側の受身の凄さは強調されます。しかしプロレスの視点を「受け」のみに絞るというのもどうなのかなぁと。
本当にここしばらくのプロレスはハードですね。雪崩式、断崖式のみならず技の主流が「脳天逆落とし」となっている。ノアの出現が結局拍車をかけてしまったとも言えますが、否定もしにくい。ただ心配になります。うーむ。
雪崩式リングインはいいですねーホント。あの「何かをしそうと思わせて実は何もしない」ところがいいんだな(笑)。
とくにスープレックスは一時、ダルマ式かその亜流ばかりでした。危険だな。事故も起きているんですから…。