フォークが好きだと言うと暗いと言われる。
まあしかしその話をしだすと僕の場合どんどん横道にそれていって収拾がつかなくなるのでやめる。好きなものはしょうがないということにしていこう。
僕は吉田拓郎の世代ではない。拓郎世代はもうひとつ世代は上だろう。音楽を聴き始めたころにはもう既に拓郎さんは大スター。「襟裳岬」が9歳のとき。だから伝説の中津川フォークジャンボリーは知らない。
「旅の宿」や「結婚しようよ」はもうスタンダードだったのでよく耳には入っていたけれども子供にはなんの感慨もなかった。だが中学生ともなり思春期を迎え、ギターを手に持つようになると視線が少しづつ変わっていったと思う。
あるとき「春だったね」という曲を聴いて、僕は吉田拓郎にのめりこんでいくこととなる。
僕を忘れた頃に君を忘れられない そんな僕の手紙が着く
まだ恋という恋も知らず、若者特有の熱狂の中で生きていた僕に、ちょうど沁みいる感性だったのだと思う。淡い想いや切なさや翳りを初めて経験した頃だった。
ああ僕の時計はあのときのまま…
その頃の気持ちが僕の原点であり、あれから四半世紀が過ぎてもまだ「僕の時計」はあのときのままなのだ。
僕は高校、大学と進み、旅行や酒を覚えていく事になる。吉田拓郎はいつもバックグラウンドに在った。
「落陽」「春を待つ手紙」「7月26日未明」「この歌をある人に」「誕生日」等々、好きな歌は多いのだが、中でも「大阪行きは何番ホーム」は何度も何度も聴き続けている。
19の頃だったと思うけれど 家を出る事に夢をたくして
1人きりで暮らしてみようと 希望に満ちていた時があった
傷つくことも多かったし、裏切られることも多かった。しかし、若い僕は何かを探して生きていた。それは何だったかは未だにわからないし、わからないにも関わらずまだ探している。答えは出ないけれども、それは「僕の時計はあのときのまま」の「あのとき」なのかもしれない。
外の景色が変わって行く中で
人とのかかわりがわずらわしくなり
1人の男であった筈だと 真実を隠したまま旅に出た
家を捨てたんじゃなかったのか?
家を捨てたんじゃなかったのか!
今 東京駅に立ち尽す僕は 長すぎる人生の繰り返しと同じ
大阪行きの電車は何番ホーム
繰り返し 繰り返し旅に出ている
同じように僕もまた繰り返し、繰り返し旅に出ている。
探し続ける心はまだ変わらぬまま。
まあしかしその話をしだすと僕の場合どんどん横道にそれていって収拾がつかなくなるのでやめる。好きなものはしょうがないということにしていこう。
僕は吉田拓郎の世代ではない。拓郎世代はもうひとつ世代は上だろう。音楽を聴き始めたころにはもう既に拓郎さんは大スター。「襟裳岬」が9歳のとき。だから伝説の中津川フォークジャンボリーは知らない。
「旅の宿」や「結婚しようよ」はもうスタンダードだったのでよく耳には入っていたけれども子供にはなんの感慨もなかった。だが中学生ともなり思春期を迎え、ギターを手に持つようになると視線が少しづつ変わっていったと思う。
あるとき「春だったね」という曲を聴いて、僕は吉田拓郎にのめりこんでいくこととなる。
僕を忘れた頃に君を忘れられない そんな僕の手紙が着く
まだ恋という恋も知らず、若者特有の熱狂の中で生きていた僕に、ちょうど沁みいる感性だったのだと思う。淡い想いや切なさや翳りを初めて経験した頃だった。
ああ僕の時計はあのときのまま…
その頃の気持ちが僕の原点であり、あれから四半世紀が過ぎてもまだ「僕の時計」はあのときのままなのだ。
僕は高校、大学と進み、旅行や酒を覚えていく事になる。吉田拓郎はいつもバックグラウンドに在った。
「落陽」「春を待つ手紙」「7月26日未明」「この歌をある人に」「誕生日」等々、好きな歌は多いのだが、中でも「大阪行きは何番ホーム」は何度も何度も聴き続けている。
19の頃だったと思うけれど 家を出る事に夢をたくして
1人きりで暮らしてみようと 希望に満ちていた時があった
傷つくことも多かったし、裏切られることも多かった。しかし、若い僕は何かを探して生きていた。それは何だったかは未だにわからないし、わからないにも関わらずまだ探している。答えは出ないけれども、それは「僕の時計はあのときのまま」の「あのとき」なのかもしれない。
外の景色が変わって行く中で
人とのかかわりがわずらわしくなり
1人の男であった筈だと 真実を隠したまま旅に出た
家を捨てたんじゃなかったのか?
家を捨てたんじゃなかったのか!
今 東京駅に立ち尽す僕は 長すぎる人生の繰り返しと同じ
大阪行きの電車は何番ホーム
繰り返し 繰り返し旅に出ている
同じように僕もまた繰り返し、繰り返し旅に出ている。
探し続ける心はまだ変わらぬまま。
私も北海道、そして吉田拓郎さんの曲に魅せられています。
旅が好きで、毎年のように出かけていますが、やはりフォークの歌詞に乗せて車窓の風景は流れてゆくように思えます。
最近は小檜山博さんという作家の本も携えて・・・。
これからも、よい旅を!!!
これからも、旅の話、フォークの話も続けていきたいと思いますのでぜひご愛顧の程を。小檜山博さんをはじめ、更科源蔵さんから八柳鐡郎さんまで、北海道が香る本の話もぜひしたいと思いますねー。
そちらこそ、これからもよい旅を♪
かぐや姫の、「遥かなる想い」思い入れのある唄です。まだギターのコード覚えています。
レコードが見つからなくて、ラジオ局にリクエストし、かけてもらいました。
ローカルなFMラジオ局の、その番組は70年代の曲だけかけてくれる、「ベルボトムよナントカ(うろ覚え)」という題名の10分くらいの番組だったのだけれど。
「ささやかなこの人生」も、何年も前だけど、あるユースのミニコン(ミニミニコンサート)で唄いました。
また、じっくり読みに来たいです。
最近はユースに泊まって落書き帳に長い文章を綴るひとが少なくなったのが残念。
旅の途中で、何年も前に書かれた旅への想いが書かれた文章を読むのが何よりの楽しみで、自分も心のままに書き綴っていたようなところがあります。
吉田拓郎、そしてかぐや姫は、数年前までは旅の定番アイテムのような趣きさえありました。僕は歌を知るのが先で、後から旅が追いかけてきたため、余計にシンクロして想いが溢れます。
僕も中年になって家庭も持ち、ユースも遠い存在になってしまってはいますが、あの頃の思いはいつまでも色褪せない宝石であり、遅ればせながら、このブログもユースの落書き帳みたいな気持ちで書いています。昔は落書き帳によく書いたOBとして(笑)。
また是非読みに訪れてください。旅好きに読んでもらえるのがなによりの喜びです。
ユースホステル関連のホームページを見つけたことはあるのですが、内輪だけ盛り上がってたり、あんまり読んで感動を覚える内容ではなかったり、だったので、ここでこうして落書きできるのをうれしく、楽しく思っています。
落書き帳、ユースホステルだけじゃなくて喫茶店なんかにも置いてあって、時間を忘れて読みふけってた時期もあります。いろんな旅人がそれぞれの思いを持って旅してたんだなあって思うんです。
では、また!
きのう、ある駅の待合室で発見!
列車を待っている時間に走り書きってのが多いけど
それでもとてもいいものだなあと思いました。
そのうち手書きのノートの良さが見直される時期が
戻ってくるような気がしています。
先日ユース協会から、昭和44年にヨーロッパを7ヶ月にわたって旅した人の本がとどきました。
寄せ書きや手紙も手書きの原文で載っていて、心がこもってるなあと思いました。
いまは掲示板を書くことで、なんだか自分の感性というより他人の眼を意識しすぎてる人もいるなあというのが残念。同意同調がないと不安になるのかなあ。
魅力的な人というのはどこか、人の思惑というよりも自分の心の声を聴いてる人だったような気がすると、ふと思うときがあります。
自分の心の声に耳を傾けられる人に早くなりたいものです(笑)。