凛太郎の徒然草

別に思い出だけに生きているわけじゃないですが

お通し問題1

2013年07月28日 | 酒についての話
 居酒屋に入る。座る。さすれば、注文を聞かれる。
 「とりあえずビール」でもいい。「おちょうし一本、あったかくしてね」でもいい。まずは、のむ酒を伝える。しばらくすれば、酒がやってくる。
 その酒が出される前に、目の前に小鉢が置かれたりする。或いは酒と共に何か運ばれてくる。もちろん、こちらはまだ酒しか注文していない。肴は、これから品書きを見て決めようと思っている。しかし何も言わずとも、そういう類のものは出てくる。中身は店によって違う。ちょっと気の利いたものから「え?」と思うものまでさまざま。
 決してサービスではない。しっかりと勘定はなされる。
 これが「つきだし」である。関東では「お通し」と言う。お通しのほうが全国的に通じるらしいのでそう書くことにする。

 これについては、いろいろ考えてしまった人も多いのではないかと思う。
 僕はつい「お通しはなぜ必ず出るのか(子安大輔著)」という本まで読んでしまった。これはビジネス書であり、お通しの話はほとんど載っていなかったのだが(こういうタイトルは何とかならんかね)。
 しかしせっかく読んだので引用する。かえって簡潔に書いてあったので。
 お通しの意味は、一般的には料理が出るまでの「つなぎ」と言われています。客が注文した料理を待つ間、お酒のアテとして気軽につまめるものを提供するという意味です。
 確かにそういう一面もありますが、本当の狙いは「席料を取る」ことにありそうです。
 客が頼んでもいないものをただ出すだけで、一人当たり二百円から五百円程度の売上を店側は自動的に計上することができるのです。客単価が三千円の居酒屋であれば、三百円のお通しは実に売上の十パーセントを占めることになります(ちなみに大きな声では言えませんが、それに対する原材料費は限りなく安いはずです)。
 モノを出さなくてもテーブルチャージやサービス料という名目で合計額の十パーセント程度を取る店もありますから、お通しの実態はやはり「席料」という見方が正しいと言えるでしょう。
 なるほどね。わかりやすいわ。
 ただ、ここに書かれていることが全てではない、と一応ことわっておいたほうがいいだろう。もちろん料理を出すまでの時間を考慮し客を待たせない手段として「お通し」に力を入れている店も当然あると思うし、個性を発揮しようとしている酒場も当然あるだろう。そういう店も、僕は知っている。
 だが、席料の一部としてお通しを考えている店が、やはり多いのではないだろうか。子安氏の見方はある意味においては当たっていると思われる。
 居酒屋という場所は、客の回転が悪い。これはわかる。ただでさえ酔っ払いは長っ尻で、しかも酔えば何も注文しなくなったりする。ただ笑ったり泣いたり、寝たりしている。さすれば、席料を取らないとやっていけない。その店側の事情だって、むろん理解できる。
 そういったことを踏まえながらも、僕はこの「お通し」については、肯定的か否定的かと言われれば否定的である。なんとかならんのか、といつも思っている。
 問題点を考えていこうと思う。

 お通しの何が好ましくないかについて、突き詰めて考えると、主として三点ある。
 ①頼んでもいないものを最初に出されるつまらなさ
 ②好みでないものを出されるつまらなさ
 ③コストパフォーマンスにあわないつまらなさ
 僕の場合は、こういったところだろうか。世間的にもこう思っている人はいるはず。

 まず、頼んでもいないものが最初に出てくる違和感について。
 僕の場合居酒屋の楽しみは、自分で段取りが決められるところにある。一人でのむならなおさらだ。まず、ビールが飲みたい。で、串モツ焼きを注文する。ビールは、瓶にする。生ビールもあったが、ジョッキで出されると、既に注がれているものだから直ぐに飲まなければ不味くなる。だから、瓶で頼んでグラスに一杯だけク~っと飲む。あとは、モツ焼きが来るまで待つ。
 そこまでは計画が立っているのだが、そのあとはどうしようか。豚足焼きと厚揚げで焼酎にするか。あるいはたこぶつと湯豆腐で燗酒にするか。ふたパターン考えられるがまだ決まらない。モツ焼きを食べたあとの気分で決めよう。こういうことを考えながら待つのは楽しい。
 しかし、そこに「お通し」としてポンとポテトサラダを出された。これは、困るのである。
 ポテサラが嫌いだと言っているのではない。
 僕の場合、組み合わせとして例えば串カツ+ポテサラ+ビールなら、○アリである。だが、モツ焼き(しかもタレ焼きを頼んでいる)+ポテサラ+ビールは、×ナシだ。この理由は人に説明できないわけではないが長くなるので割愛する。
 いやなら食べなきゃいいだろう。そのとおりである。だが、僕は母親に「食べ物を残してはいけない」としつけられている。三つ子の魂百まで。結局そのポテサラは残してしまったのだが、なんとも後味がわるい。

 「今日はアジフライでビールだっ♪」と昼間から考えていて(不謹慎をお許し下さい)、夕刻に連れ立ってざっけない居酒屋へ。そこのアジフライが美味いのを僕はよく承知していて、何度も食べたことがある。
 だがオーダーする前にお通しで「小鯵の南蛮漬」を出された。
 こういうの、実に気分が削がれるのである。
 それでも頑固にアジフライを押し通したのだが、「鯵好きなんですね~」とまわりから口々に言われた。なんでそんなことを揶揄のように言われなきゃならんのだ。ワシはアジフライにソースかけてビールと共に食べたかっただけなのに。南蛮漬さえ出てこなければ。

 ある日は、3人でのんでいた。一軒目はビアガーデンであり、しこたまビールを飲んだ。ただそのビアガーデンは非常に騒がしく、落ち着いて話も出来なかったのでもう一軒行こうか、となって、居酒屋へ入った。
 小上がりに座ると、お通しとして枝豆が出された。
 「こりゃビールだな」と一人が言った。僕は正直もうビールは飲みたくなかった。さっき散々飲んだじゃないか。だが話はそういう方向性にゆき、場の空気もあるのでビールをオーダーせざるを得なかった。僕はビールばかり飲むと決まって悪酔いする。この日も、翌日に残った。枝豆さえ出てこなければ。
 お通しは、飲む酒の種類や体調にまで影響を及ぼすことがある。

 お通し、また突き出しというものが本音の部分では席料であるとしても、それが一応は、頼んだ料理が出てくる間の「しのぎ」の役割を果たそうとしていることはわかる。
 料理というものは手がかかるものが多く、酒はたいていはすぐに出てくる。店側も「まずお飲み物のほうはどういたしましょうか」などと言って酒を先に出そうとする。日本人は「最初はビール」派が多いので、瞬く間に目の前に置かれる。
 こうなると、何か食べるものもないと寂しい。それもわかるのである。
 けどなぁ。
 
 僕は、コース料理というのがあまり好きではない。そりゃ料亭の会席料理や旅館の夕食など、自由に注文できない場所で酒をのむ機会もそりゃあって、そこまでウダウダ言うつもりはない。でも、アラカルトが選択できるのであればそうしたい。
 僕は、そういう性格なのである。何でもいいから適当にみつくろって出してくれ、とは言わない。定食屋に入っても、どんな料理かを確認せずに「日替わり定食を下さい」とは絶対に言わない。日替わりが得なのはわかっていても、だ。
 ましてや、居酒屋。好きなものを「好きな順番で」食いたい。
 「おまかせコースありますお得です」と言われても「じゃそれで」とは言わず「品書きを見せて」と言う。鬱陶しい客かもしれないが、食事くらい好きにさせてくれ。ちょっと上等な店で「うちにはメニューはありません全ておまかせで承りますお客さんの顔を見てお出しします」あんたにワシの何がわかると言うのだ。だいたいおまかせで承りますって日本語はおかしいんじゃないのか。立ち飲みの串カツ屋を愛しおしゃれな「串揚げ屋」に行きたくないのは、たいていコースしかないからだ。大好きなウインナー揚げを5本とか頼めないじゃないか。「おなかがいっぱいになったらおっしゃってくださいそこでストップ致します」アホかと思う(暴言でした陳謝します)。
 ちなみに、店の常連になると時々「これサービスね」と一品ひょいと出されたりすることもある。好意はわかっていても、僕はそれすら好きではない。自分の心積もりを乱されるのは望ましくない。
 そういう偏屈な人間が、最初の一品をコントロールできないことは誠に残念なのだ。

 このことは、好みの問題にも大きく関わってくる。
 お通しはまずあてがいぶちであり、自分の好みが反映されることはない。
 勝手に出されるお通しだが、自分の好みに合致したものが出れば、不満の何割かは解消するのではないかと思う。しかし僕個人の経験だけで言えば、打率一割いくかいかないか、だろうか。
 お通しは最初にしのぎの一品として出されるのだが、それをすぐ食べるかどうかは客の勝手である。たいていは作り置きの品なので、これは例えばとりあえずのビールに合わない品だと思ったら、別にあとから食べてもいい。
 ところが、それすらその気になれないのもある。
 前述のポテサラもそうなのだが、例えばかつお造り、焼き茄子、若竹煮、子鮎天ぷらと注文をし清酒の杯を重ねる中で、最初に出されたもやしのナムル風小鉢をどこに組み込めばいいのか。別にもやしが嫌いだと言っているのではないのだが、このようにして呑んでいるとどうも箸をつけたくない。
 まして、本当に嫌いなものが出てきたらどうするのか。

 僕の知り合いで、どうしても生のオニオンがダメという人がいる。前述のポテサラは困るに違いない。生魚だけでなく、魚全般がダメという人もいる。そういう人にも本来居酒屋は優しかったはずだが、お通しにイカとキュウリの酢の物を出してきたりする。
 そういえばキュウリが駄目な人もいたなあ。
 僕だって、雑食に見えて苦手な食べ物はある(自らの弱点は晒したくないので何が嫌いかは書かないが)。そういうものを出されれば、困る。
 これ、取り替えてくれる店もあるだろう。だが酒を呑んでいるとそういうみみっちいことが面倒になるし、多人数で来ていればなおさら「これキライだからヤメて」とは言いにくい(格好悪いし弱点を晒すことにもなる)。しかし無理して食べるのも馬鹿げている。
 大人が好き嫌いを言うのはみっともないかもしれないが、アレルギー体質の人だっている。以前にも書いたことがあるがお通しに「かに酢」を出してきた店があった。これは600円であり、もしも席料込みの値段だとすれば、かなり頑張っている内容だったと思う。しかし、こういうのは危ないのではないか。
 
 しかしこういう頑張っているお通しはあるものの、多くはその値段に見合わないものを出してくる。お通しが席料だとすれば、それは当然の帰着と思われる。一品としてみればコストパフォーマンスに合わないのは当たり前だろう。
 この話は長引きそうなので、次回にまた。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 上代の日本酒 | トップ | お通し問題2 »

コメントを投稿

酒についての話」カテゴリの最新記事