むのたけじさんの言葉
サカナは、海中にいても店頭におかれてもサカナである。人間は死ねば「故人」あるいは「遺体」である。生きているから人間である。しんじつ生きていないなら、しんじつ人間ではあり得ない。
生きているから人間なんだ、本当の意味で生きていなければ、それはすでに人間ではないのだ、という言葉です。
『涅槃経』の言葉
二つの白法あり、よく衆生を救く。一つには慚、二つには愧なり。慚はみづから罪を作らず、愧は他を教へてなさしめず。慚はうちにみづから羞恥す、愧は発露して人に向かふ。慚は人に羞づ、愧は天に羞づ。これを慚愧と名づく。無慚愧は名づけて人とせず、名づけて畜生とす。慚愧あるが故に、すなはちよく父母・師長を恭敬す。慚愧あるが故に、父母・兄弟・姉妹あることを説く。
慚愧があるのが人間で、慚愧がなければ人間ではない、という言葉です。
慚愧とは、自らを恥ずかしく思い、他に対して申しわけなく思う心です。恥ずかしいな、申し訳ないな、という心があってこそ、家族も成立するんだ、と。
親鸞聖人の言葉
「是人」といふは、「是」は非に対することばなり。真実信楽のひとをば是人と申す、虚仮疑惑のものをばといふ。
最後、親鸞聖人の言葉ですが、もともと私たちは「虚仮疑惑のもの」です。それが、阿弥陀仏のはたらきによって、真実信心をいただき、「真実信楽のひと」とならせてもらいます。
つまり、阿弥陀仏によって、人間ではなかった私が、人間にさせてもらうんだ、ということです。
本当の意味で生きていなかった自分、「恥ずかしい、申し訳ない、悪かった」という心のない自分、そんな自分が、阿弥陀仏のはたらきによって、本当の人間にさせてもらうのです。
本当の人間に成らせていただくはたらき、それが阿弥陀仏のはたらきだったのでした。
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