今回は、『教行証文類』の後序にある「信順を因とし、疑謗を縁として、信楽を願力に彰し、妙果を安養に顕さん」というお言葉についてお話ししました。
私たちは、もともと仏に対して「疑謗(ぎほう)」というあり方で生きています。「疑謗」とは、「疑い、そしる」ということです。「仏なんて、そんなのいないし、仮にいたとしても自分には関係ない」というあり方です。
そういう私に対し、そういう私であるからこそ、仏は何度も何度も私を呼び続け、目覚めさせようとはたらき続けています。少しくらい呼んだところで、気づくはずのない私だからです。そういうあり方を「疑謗」と言います。
しかし、気づくはずのない私であったのに、仏がいつまでも呼びかけ続けてくださったおかげで、気づかされた時、それを「信心」と言い、それを「智慧」と言います。
そしてその時、多くの仲間に支えられていたことに気づかされます。
「どうしてこんな目に遭うんだ」と思っていたことが、しかし、そのことがあったからこそ、今、仏の呼びかけに気づくことができたのでした。「疑謗」を縁として、「信心」という因をいただいたのでした。それはまったく仏の願力のおかげでした。「絶対にお前を救う」という仏の願いの強さが、私を目覚めさせたのでした。
そういうことを、お話しさせていただきました。
しかし、もう少しで『アジャセからの贈りもの』も読み終わります。次に何を読むか、そろそろ考えなければならないようです。