統一教会はあなたの応援鯛<゜)))彡

統一教会のカッパ物語

統一教会と散歩 25 (81号)

2009-09-15 | 統一教会と散歩
〔統一教会の横顔〕

あるお医者さんから、人の筋肉の話を聞くことができました。
人間のなかでより発達した筋肉は手または指先とのことでした。
しかし、顔には手の筋肉よりも多い10個あまりの表情筋があるとのことです。
私のブログ「笑顔の効用」で顔の表情のなかで笑顔を多くとりあげてきました。
その顔の筋肉の話の前に、手の話からをはじめようかと思います。



確かに、日常生活で大活躍の手であります。

多分、初めての人と接するのはこの手からでしょうか。
この手で愛する人とと手をつないで散歩してみたいと思ったり。
かわいい動物を撫でたり。
万札を”うはうは”しながら数えているのもこの手だし。
美味しいご飯を口に運び、排泄される部分も拭き取るのもこの手。
ものを書いたり、この文章を打っているのもこの手。
私の一つの分身のような手、生命線とか頭脳線とかその人の運命も見せてくれる手。
産み落とされる命をとりあげたり、指圧や手術で命を繋ぐ手。

でも、道路に平気でゴミを捨てる手、人を殴る拳をつくる手、核ミサイルの発射
ボタンを押す指。

この手には希望と死が同居しているのでしょうか。

いやいや、やはりかわいいわが子を抱きしめる手でありたいし、誰かに役立ちたい
と願う手であるし、いろんな面白い仕事をやり遂げたいと思う手でありたいと本心
は誰しもそう思っているのではないのでしょうか。

そして、あなたの顔の表情はその手以上にいろんな仕事をしています。
10個あまりの筋肉をつけたのは顔以外には人間の体にはありません。
何故、神様は顔にそんなに投入したのでしょうか。
10個も筋肉があるということは無限ともいえる表情の組み合わせができることにな
ります。

表情に関する言葉の表現はあまりに多くあります。
「日本人の無表情」として私のブログでもとりあげたことがありますが、表情は役者
や詐欺師、病気の方でないかぎり心の表情として現れるように思います。

統一教会はよく「為に生きなさい」といいます。
笑顔はまわりの人に喜びを与える為に生きるとてもよい表情の一つのように思います。

時には苦虫を噛むように、時には愁いにみちたり、妖艶な表情は私を惑わすのでよろ
しくないです。

無表情は神様からの宝物という贈り物を眠らせることになります。あなたの表情の豊
かさに比例して人生も豊かになるのではと思います。

そうそう、統一教会も世間で言われるような一つだけの表情しかないわけではありま
せん。
修行の身の方が多くいるため様々な問題も起こすには起こすのですが、地球の未来を
真剣に考え、人間の幸福も科学的に捉え、多様な活動をしているのが統一教会です。
国を愛し、隣人を愛し、家族を愛し。愛の統一教会であります。
そう豊かな表情の統一教会です。
(すみません手前味噌になりました)

懲りずに、右のリンク先でいろんな統一教会の横顔を知っていただければ幸甚であり
ます。

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統一教会と散歩 24 (80号)

2009-09-08 | 統一教会と散歩
〔神さまになった人々〕

日清戦争が終わって下関条約が結ばれた明治28(1895)年のこと。

当時の日本は伝染病であるコレラが大流行していた。

佐賀県肥前町も例外ではなく、コレラが猛威を振るっていた。

町の駐在巡査は病気がちで、村人たちを助けることができず、県の警察本部に
応援を求めていた。

県警察本部が、適任者の面接を行ない、知識もあって行動力もある25歳の増田
敬太郎巡査を抜擢した。

増田敬太郎巡査は、熊本県泗水村出身の人で、警察官になる夢を抱いて佐賀県
警察学校に入り、普通なら3ヵ月かかる警察官教習課程を、なんとわずか10日
間で習得したという、優秀な青年巡査です。

人一倍正義感が強い増田巡査はすぐに引き受け、唐津から交通機関が何もない
山道をたどり肥前町に向かった。

赴任した増田巡査は、さっそく区長たちとコレラ対策を立てた。

地元の人々は、コレラという伝染病への知識を持っていない。

増田巡査は先頭に立って患者の家をまわり、消毒を行い、縄を張りめぐらして
人々の往来を禁止した。

また、生水を飲んだり、生のままの魚介類を食べないよう指導して回った。

ところが増田巡査の懸命の努力とは裏腹に、すでに手遅れの患者が薬を飲んで亡
くなったのをきっかけに、「増田巡査が毒薬を飲ませている」という何の根拠も
ないうわさが広まった。

噂はあっという間に村々に広がり、治ると思われる症状の患者まで「この薬は毒
薬だから飲まない」といい出した。

増田巡査は村中を一軒一軒まわり、根気強く人々の誤解を解いていった。

しかし、伝染病とわかると、今度は病気が移ることを恐れた村人たちは、亡くな
った人の遺体を運ぶことを拒むようになった。

増田巡査は、たった一人で遺体を背負い、対岸の丘の上の墓地に埋葬した。

患者への手厚い看病や予防活動に不眠不休で取り組む増田巡査の疲れも極限に達
していた。

そしてコレラは疲れきった増田巡査の体にも容赦なく襲いかかった。

着任して3日目の午後、増田巡査は、とうとう倒れてしまいます。

死期を悟った巡査は遺言のように次の言葉を残した。

「このようになっては、回復の見込みはないと覚悟しています。しかし、村のコレ
ラは私が全部背負っていきますから安心してください。また、村人たちには、私が
指導したように看病と予防をしっかりやるように伝えてください」

死の間際にこう言い残して、増田巡査は、帰らぬ人となった。

頼りにする巡査の悲報を聞いた村人たちは深い悲しみに暮れた。

増田巡査が警察官になって7日目、村に来てわずか4日目のできごとだった。

増田巡査の遺体は翌日、高串沖の小松島(こまつしま)で村人により火葬されました。
その後、増田巡査の言葉どおりコレラが収まり、村にはまた穏やかな平和な日々が戻
ってきました。

増田巡査の献身的な行為に心を打たれた村人は、巡査の遺骨を分けてもらい、秋葉神社
(あきばじんじゃ)の境内に埋葬し神殿づくりの石碑を建立しました。秋葉神社は、明治
三十九年(一九〇六年)に神殿が建てられ、境内も拡張されました。その後、昭和十二
年(一九三七年)に行われた現社殿の改築の際、秋葉神社と合祀して増田神社となりま
した。

肥前町高串地区では、毎年七月二十六日に近い日曜日に、警神(けいしん)となった増田
巡査をしのび「増田神社夏祭り」が盛大に開催されています。
また、火葬された小松島には「警神火葬の碑」が建てられ、航海や漁での安全を祈る神様
としても崇められています。
村人たちを守った増田巡査の偉業は、地区の人々によって代々語り継がれています。

【出典、参考文献】
「神様になった人の話 増田敬太郎物語」増田さま一〇〇周年記念誌(肥前町企画振興課)/
「巡査大明神全傳」内田守(増田神社奉賛会)

                       ***********

歴史にはこのような方がたくさんおられたのではないでしょうか。
自分の命を顧みず人の命を助けた人々。

最近では新大久保駅の転落者の救出。
神風特攻隊。
イエス様の十字架。

歴史を学ぶのはこのような命の祭壇で私たちが現在生きていることを感じとることではないで
しょうか。歴史の学校教育のあり方に苦言を覚えるものです。

歴史や自分の家系を辿り、自分の生命を尊く感じ取り次の世代に連結する。

歴史に神様を見出したらあなたに統一教会は必要ないかもしれません。

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統一教会と散歩 23 (79号)

2009-09-05 | 統一教会と散歩
〔ときにはまったり〕

丑年生まれのタコ親父、ではなく、カッパ親父は行動がのろい。
そう言えば昔「ノラクロ」と言われたこともあったような。

それに比べ統一教会の早いこと早いこと。
それは神様も早いことを意味しているらしい。

それは当然といえば当然だ、呆然としていれば地球はどんどん
悪くなるばっかりだ。
ニュースもよく言われるように事件・事故に比重をかけすぎるよ
に思う、地球が悪くなると言っても、毎日毎日の悪いニュースに
は心が停滞する。

統一教会が頑張っている良いニュースは全然でてこない。
(カッパ親父が実は美女だとは誰も知らないように・・・ウソウソ)

悪いニュースの何倍もの量の良いニュースを流していたら、無
気力な若者を増やさなかったようにも思う。

今日は昨日の忙しさの影響で眠気との戦いで一日仕事をしてきた、
生産性はよくなかった。

時間があいたところで近くの喫茶店でキュウリ色の抹茶ラテを一人
楽しんでしまった。神さまがあれほど忙しいというのに。

一人まったりとした時間。

眠かったはずなのに心地良いまったり時間に胡瓜抹茶ラテが溶け合
い、眠らずその時間を楽しめた。

まったりな時間を過ごす奴もひきつれながら、統一教会は今日も元気
なようだ。

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統一教会と散歩 22 (78号)

2009-09-02 | 統一教会と散歩
〔神様にモテる〕

神様にモテる人とモテない人はいるのだろうか?
私は唯一奥さんと子供だけにはモテてるだろうと思い込んでいますが。

モテるモテないの違いのひとつには「気が利くか利かないか」の差だと
いう。
心理学では気の利く人のことを「心の運動神経が優れている」というそ
うです。

気が利くというのは、相手にとって自分のことをよくわかってくれてる
ということである。

困っている時に言葉と同時に具体的な動作が加わった時に相手は素直に
その行為に好意をいだく。

男女の恋の駆け引きに悪用しないように願いたいのだが、以前、授受作
用または相対基準の話の中で、相手に関心を持つことの重要性を書いた
ことがあります。
好きな相手であれば相手をよく観察し、何を望んでいるのかに最大限の
関心を寄せ、それがわかり次第、行動に移し喜んでもらう。その積み重
ねが彼氏、彼女にモテる技の一つです。

この心の運動神経を鍛えることは、プラス思考の実践といえるものです。

夫婦の間にも、仕事にも、相手の困っていることを助けるために一生懸
命だったり、相手の喜びはどこにあるのかに一生懸命のように。

でも神様にモテるということは一般人の方は考えも及ばないことです。
心の中での良心との対話や自然界の美しさに感嘆を上げることは、本人も
知らないうちに神様にモテる行為です。

統一教会の門に逡巡を覚えるのであれば、自分の心の中の良心の運動神経
を磨き、自分とその環境のすべてに感謝の言葉を口癖にするようにお願いい
たします。
あなたが望まなくても神様はあなたのことを大好きになっているはずです。


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統一教会と散歩 21 (77号)

2009-09-02 | 統一教会と散歩
〔温かい雨〕

人間と他の動物の違いはいろいろあるようですが、傘を差すのは人間
だけだろうか。

線路わきに白い百合に似た花がうつむきかげんに雨に濡れる姿にそん
なことを感じた。

傘は何かの盾のように人間を守ってくれるようだ、心配・不安の雨か
ら守ってくれるもの。

しっかりした傘を持っている人、骨の折れたボロ傘を差している人、
相合傘の人達、傘がないずぶ濡れの人とと。

時々宗教という傘は人間に必要なのだろうかと統一教会という宗教に
身を置きながら思うことがある。というか、人間の存在時から宗教は
人間の暮らしに溶け込んでいたのは事実である。

嵐のときの雨のように破壊的な時もあれば、慈雨と呼ばれる温かい雨
もある。

傘を差したくてもない時、あっても激しい風で差すことができない時、
涙を隠すために濡れて歩きたいとき、あの白い花は傘の存在さえ知ら
ない。

全ての雨に意味があるものの、人の温もりが心を生かしてくれるよう
に、わだかまりを洗い流し、温かい慈雨になってあなたの生きる力に
なれればと統一教会は思う。


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