- 私の心の中の北方領土問題-8 -
私の仕事場には観葉植物が幾つか置いてある。
カッパ親父の都合で居たくもない場所に置かれ、身動きもできず、
本当は外の世界で生きたいと願っているのかもしれない。
その緑の葉っぱがどれほど癒しを与えてくれているか。
存在するものはすべて他のために愛を与えるように神様は創られたようだ。
はたして人間はどうなのだろう。
昔の社会は教科書でしかしらないが、最近の社会、特に資本主義の社会は
自己の利益を過多に追求するが故に神様が下さった他の為に生きるという
霊性が希薄になった。
そのような中で日本は独特の精神文化を作り上げてきた。それは恥の文化が
変形し他人に迷惑をかけることを極端に嫌うというものだ。
それは自己中心と裏腹の文化に思える。
自分だけがということは、他の人と距離をおきたい、他の人から干渉されたくない、
だから私も他の人と関わりを持ちたくない、他人に迷惑をかけたくないと。
都会は特に人が多く、情報が錯綜し、じっくりと話している暇がない。本音で付き合う
ことをおざなりにした結果、定年後妻から離婚・友人もいないという寒い話しがよく
聞こえる。
為に生きあうということは、見方を変えれば迷惑をかけあう間柄とも言える。
赤ん坊はお母さんに迷惑のかけっ放しだが、60億以上の人類がいるということは
その迷惑は却って人間に生命力を与えた証拠ではないのだろうか。
自己の利益の追求が予定調和をなすとする学者が最近は批判の対象となり、
文鮮明先生が主唱する共生共栄共義の声が最近増えてきたように思う。
今年、来年と未曾有の患難が人類を襲うと聞きます。
既にそのようなニュースが世界を駆け巡っています。
今、人類に「気づき」を神様は与えようとしているのでしょうか?
為に生きあうという原点への気づき。
北方問題をこの原点から解決し、患難の時代に人類に希望を日本が与えてくれ
るならばどんなに嬉しいことでしょうか。
私の仕事場には観葉植物が幾つか置いてある。
カッパ親父の都合で居たくもない場所に置かれ、身動きもできず、
本当は外の世界で生きたいと願っているのかもしれない。
その緑の葉っぱがどれほど癒しを与えてくれているか。
存在するものはすべて他のために愛を与えるように神様は創られたようだ。
はたして人間はどうなのだろう。
昔の社会は教科書でしかしらないが、最近の社会、特に資本主義の社会は
自己の利益を過多に追求するが故に神様が下さった他の為に生きるという
霊性が希薄になった。
そのような中で日本は独特の精神文化を作り上げてきた。それは恥の文化が
変形し他人に迷惑をかけることを極端に嫌うというものだ。
それは自己中心と裏腹の文化に思える。
自分だけがということは、他の人と距離をおきたい、他の人から干渉されたくない、
だから私も他の人と関わりを持ちたくない、他人に迷惑をかけたくないと。
都会は特に人が多く、情報が錯綜し、じっくりと話している暇がない。本音で付き合う
ことをおざなりにした結果、定年後妻から離婚・友人もいないという寒い話しがよく
聞こえる。
為に生きあうということは、見方を変えれば迷惑をかけあう間柄とも言える。
赤ん坊はお母さんに迷惑のかけっ放しだが、60億以上の人類がいるということは
その迷惑は却って人間に生命力を与えた証拠ではないのだろうか。
自己の利益の追求が予定調和をなすとする学者が最近は批判の対象となり、
文鮮明先生が主唱する共生共栄共義の声が最近増えてきたように思う。
今年、来年と未曾有の患難が人類を襲うと聞きます。
既にそのようなニュースが世界を駆け巡っています。
今、人類に「気づき」を神様は与えようとしているのでしょうか?
為に生きあうという原点への気づき。
北方問題をこの原点から解決し、患難の時代に人類に希望を日本が与えてくれ
るならばどんなに嬉しいことでしょうか。