統一教会はあなたの応援鯛<゜)))彡

統一教会のカッパ物語

応援鯛流の笑顔の効用6 (7号)

2009-06-05 | 笑い-哲学
【哲学を超える笑顔-4 最終】
笑顔は自分自身を生かしながら相手も生かす「為に生きる」すごいやつ
ということになります。笑顔は喜びの表現であり。生きている証と考え
られます。為に生き合うという人間の本質であり、万物の本質であると。

             

為に生きることの意味は、神様の登場なくしては説明できません。
統一教会の基本書である「原理講論」に、その神様が科学的・論理的に
説明されています。興味がある方は問い合わせ下さいませ。

軽薄な笑いを提供しているこのブログはさらにしつこく、「笑顔の効用」
と題して笑顔の練習・健康・ビジネス・笑顔のあれこれと今後も展開し、
皆様を応援してまいります。

応援鯛流の笑顔の効用5 (6号)

2009-06-05 | 笑い-哲学
【哲学を超える笑顔-3】
さて、笑顔は一人では意味がありません。何故ならその笑顔を見て素敵
とか喜んでもらう存在がなければ「笑顔」は宙に浮いてしまいます。

☆赤ちゃんの笑顔は親の為に。

☆いらっしゃいませと言う某有名デパートの店員の笑顔はお客様の為に。

☆なんて素敵な景色と言って清清しい笑顔はその景色と神様の為に。

☆ペコちゃんのペロッと舌を出した笑顔は虫歯とふくよかなお腹の為に?
 (すみません、最近は虫歯になりにくいペロペロキャンディーも出しているみたいです)

               

      なんとペコちゃんも私に対抗して環境問題にとりくんでいました。
                〔ペコちゃんの森〕
      http://www.fujiya-peko.co.jp/mori/about/contents/index.html

     ※応援鯛は環境問題にもちょっと取り組み中、記事右横の「エコ知恵」
       はエコへの簡単な参加ができます。その下のgoo検索を利用してい
       ただくと地球の未来へ貢献する環境保護団体を支援することができ
       るそうです。(統一教会は無関係)

応援鯛流の笑顔の効用4 (5号)

2009-06-04 | 笑い-哲学
【哲学を超える笑顔-2】
信仰には確かに、縋(すが)るという側面がありますが全てではありません。
多くの涙や血が流され理不尽な扱いの数々、そして無残に死んで行
く人達を多く見ながら必至に人々の幸福や希望を真摯に見つめてき
たのは多くの宗教の歴史です。

殆どの国はその宗教または信仰のシンボルとしての教会や寺院・神社を
町の中心に据え、広がりをもたせている姿を見ることができます。

聖母マリヤの微笑み、日本の国宝1号の弥勒菩薩半跏像の微笑みは、
人間の全ての営みを見てきた神様の心にも思われます。

翻ってどこかの哲学の大先生が、哲学こそ人間を導く最高の学問で
あると豪語しているところを聞いたことがあります。しかるに、
思惟に思惟を重ね問題の数だけ増やしながら、この笑顔の効用の
本質にはまだ到達できていないと、私は勝手に考えています(哲
学の先生ゴメンなさい、若輩者です )。

            
           ニタリと笑うアシカ 
       

応援鯛流の笑顔の効用3 (4号)

2009-06-04 | 笑い-哲学
【哲学を超える笑顔-1】
宗教を信じるのは、何かに縋(すが)りたい心の弱い者がするものだとか、
あまりにも悲惨で苦労の多い人生を生きてきた人には、神だの仏だの
ちゃんちゃらおかしくて、だったら何故俺を助けてくれないんだと、
怒りとも寂しさともとれる目をされて・・・。
そしてボーッと何も考えずに生きてきた、または生きてくることができた方。
その方たちは、笑顔の存在を知らないかもしれません(失礼言い過ぎでした)。

笑顔をテーマに笑いの動画をUPしながら進めてきたこのブログですが、
心の底からの笑いはそうそうあるものではありません。

深刻な病気を抱えた方には、とりあえずコメディーでもバラエティー
でも見て大いに笑っていただければいいのですが、一般の方が最近の
バラエティーの見すぎて体は元気でも頭のほうがバカにならないか、
そちらの方が心配です。

統一教会の信仰に限らず、笑顔の効用は他の宗教でも信仰を持たない
方でも多く語られております。
ではその「笑い」を宗教的側面から考えるとき、「感謝」という言葉
に出会います。

コメディーを見て一時的な笑いの効用は否定しませんが、もっと心の
奥底からでてくる笑顔は日々の「感謝」の度合いで違ってきます。

感謝は、「生かされている」という気づき、絶対的存在の「確信」や
そこからの愛を十二分に感じとった「確信」の状態での発揚と考えます。

気合が入って、生き生きと笑顔で仕事をする方がいます。充実して
いるからでしょうが、ある意味上で述べた「確信」と似たものが、
その方にあるからではないでしょうか。