【笑顔とビジネス5 生命力2】
現代社会は高度に分業された社会と誰しも言います。統一教会に限らず多くの宗教は
この分業が進んだ現代を終末と騒ぎ立てます(ちょっと言い過ぎ?)。
終末というには相応しく、地球を何個も消滅させる核爆弾やら、環境破壊、性の問題、
拉致監禁等々、「笑顔の効用」などというテーマはどかにふっとんでしまいそうなご
時世です。一方で希望的な話もあるにはありますが・・・。
さて、このような時代での笑顔を私は宝物のように考えますが、しかし違う笑顔があ
ることを考えなければなりません。
生命力とも関係ない笑顔。それは自己中心的な笑顔です。本来の笑顔は誰かの為に存
在し誰かを幸せにする神様の尊い創造物であります。
合成の誤謬(ごびゅう)という経済用語があります。個々の経済活動を足し算したら
全体像がわかるだろうと言った意味合いで、しかし現実の全体は個々の足し算とはか
け離れた世界になっているということです。似たような言葉に「木を見て森を見ず」
でしょうか。
自己中心的分業と合理主義、もしくは現代資本主義の生み出した笑うに笑えない世界。
あるブログの記事を引用をして「合成の誤謬」をさらに考えていきます。
(長文失礼)
日本の畜産農家・牛乳生産農家は深刻な経営難に直面している。営利企業である大手
の農場経営者と、乳製品メーカーが、営利企業の金儲け至上主義としては、悪しき意
味で「当然」である「最大利益」を求め、牛乳の大量生産・大量販売を目指して来た。
「売れば売る程」利益が出る、という発想であった。
個別の企業の、この最大利益を求めるという「金儲け主義から見れば当然、合理的な」
行動が、業界全体では過剰生産=過剰在庫を生み出し、大量の売れ残りを生み出した。
売れなければ、価格は下落する。
農家は「売っても売っても」利益が出ない=生活が出来ない、という苦境に追い込まれ
て行く。
牛乳は本来、子牛を育てるために母乳として出てくる。それを子牛に飲ませず、人間が
商売道具として奪って来た。代わりに子牛には安価な小麦を水で溶かした物等を食餌と
して与えてきた。
現在、こうして「子牛から奪った」牛乳は、過剰な在庫となり、過剰分は冷蔵しても腐
敗を免れなくなり、最終的には脱脂粉乳の形で長期保存される結果となった。しかし粉
乳となっても消費期限はあり、結局、日々、新しく生産される牛乳は大部分、脱脂粉乳
とし、古くなった消費期限・限界ギリギリの脱脂粉乳が「廃棄を避けるため」水に溶か
され、添加物等で味を調え、消費者に売られる結果となる。
最大利益を求めた「個別企業の合理的行動」が、消費者に「廃棄寸前」の牛乳を毎日飲
ませる、という不合理を生み出した。
しかし、それでも在庫は処分し切れなかった。余った脱脂粉乳は、再び水で溶かされ、
子牛に飲ませる結果となった。最初から子牛に母乳を飲ませておけば良いのだが、「新
鮮な牛乳」は脱脂粉乳として長期保存に回され、古い粉乳から処分するため、子牛には
粉乳を水で溶かした物を飲ませている。
こうして脱脂粉乳を製造するために使用された電力・石油、工場設備、保管倉庫費用等
の全てが「壮大なムダ」となり、消費者は、その全ての費用を「上乗せ」された、廃棄
寸前の古い牛乳を飲む結果になり、畜産農家は、倒産寸前の経営を強いられる。
大手農場が利益拡大のため牛乳の量産体制を作る事も、そのために銀行から多額の設備
投資資金を借金する事も、乳製品メーカーが在庫をムダにしないため脱脂粉乳化し保存
する事も、個々の行動は「全て、金儲け主義の観点からは」合理的で、経済原則に「適
って」いる。この個別の合理主義を「積み上げて行くと」、システム全体では、凄まじ
い不合理が発生する。
合理主義を徹底的に押し詰めてゆくと、不合理に転換する。
次回に続く
現代社会は高度に分業された社会と誰しも言います。統一教会に限らず多くの宗教は
この分業が進んだ現代を終末と騒ぎ立てます(ちょっと言い過ぎ?)。
終末というには相応しく、地球を何個も消滅させる核爆弾やら、環境破壊、性の問題、
拉致監禁等々、「笑顔の効用」などというテーマはどかにふっとんでしまいそうなご
時世です。一方で希望的な話もあるにはありますが・・・。
さて、このような時代での笑顔を私は宝物のように考えますが、しかし違う笑顔があ
ることを考えなければなりません。
生命力とも関係ない笑顔。それは自己中心的な笑顔です。本来の笑顔は誰かの為に存
在し誰かを幸せにする神様の尊い創造物であります。
合成の誤謬(ごびゅう)という経済用語があります。個々の経済活動を足し算したら
全体像がわかるだろうと言った意味合いで、しかし現実の全体は個々の足し算とはか
け離れた世界になっているということです。似たような言葉に「木を見て森を見ず」
でしょうか。
自己中心的分業と合理主義、もしくは現代資本主義の生み出した笑うに笑えない世界。
あるブログの記事を引用をして「合成の誤謬」をさらに考えていきます。
(長文失礼)
日本の畜産農家・牛乳生産農家は深刻な経営難に直面している。営利企業である大手
の農場経営者と、乳製品メーカーが、営利企業の金儲け至上主義としては、悪しき意
味で「当然」である「最大利益」を求め、牛乳の大量生産・大量販売を目指して来た。
「売れば売る程」利益が出る、という発想であった。
個別の企業の、この最大利益を求めるという「金儲け主義から見れば当然、合理的な」
行動が、業界全体では過剰生産=過剰在庫を生み出し、大量の売れ残りを生み出した。
売れなければ、価格は下落する。
農家は「売っても売っても」利益が出ない=生活が出来ない、という苦境に追い込まれ
て行く。
牛乳は本来、子牛を育てるために母乳として出てくる。それを子牛に飲ませず、人間が
商売道具として奪って来た。代わりに子牛には安価な小麦を水で溶かした物等を食餌と
して与えてきた。
現在、こうして「子牛から奪った」牛乳は、過剰な在庫となり、過剰分は冷蔵しても腐
敗を免れなくなり、最終的には脱脂粉乳の形で長期保存される結果となった。しかし粉
乳となっても消費期限はあり、結局、日々、新しく生産される牛乳は大部分、脱脂粉乳
とし、古くなった消費期限・限界ギリギリの脱脂粉乳が「廃棄を避けるため」水に溶か
され、添加物等で味を調え、消費者に売られる結果となる。
最大利益を求めた「個別企業の合理的行動」が、消費者に「廃棄寸前」の牛乳を毎日飲
ませる、という不合理を生み出した。
しかし、それでも在庫は処分し切れなかった。余った脱脂粉乳は、再び水で溶かされ、
子牛に飲ませる結果となった。最初から子牛に母乳を飲ませておけば良いのだが、「新
鮮な牛乳」は脱脂粉乳として長期保存に回され、古い粉乳から処分するため、子牛には
粉乳を水で溶かした物を飲ませている。
こうして脱脂粉乳を製造するために使用された電力・石油、工場設備、保管倉庫費用等
の全てが「壮大なムダ」となり、消費者は、その全ての費用を「上乗せ」された、廃棄
寸前の古い牛乳を飲む結果になり、畜産農家は、倒産寸前の経営を強いられる。
大手農場が利益拡大のため牛乳の量産体制を作る事も、そのために銀行から多額の設備
投資資金を借金する事も、乳製品メーカーが在庫をムダにしないため脱脂粉乳化し保存
する事も、個々の行動は「全て、金儲け主義の観点からは」合理的で、経済原則に「適
って」いる。この個別の合理主義を「積み上げて行くと」、システム全体では、凄まじ
い不合理が発生する。
合理主義を徹底的に押し詰めてゆくと、不合理に転換する。
次回に続く