おうえんの森スタッフブログ

故郷グルメガイドを企画運営する「おうえんの森」のスタッフブログです。
海外・国内旅行とグルメ等がテーマです。

エチオピアとTOKYOのモニュメント

2024年03月16日 | 旅行

 2024年2月に、海抜2,400mにあるエチオピアの首都アディスアベバを旅行しました。アフリカでも高地は年間を通じて温暖な気候で過ごしやすく、2月の日中の最高気温は約23℃です。

 写真①は、撮影した日は天気が曇りでしたが、エチオピアの歴史と文化に深く根付いて国民に親しまれている標高3,200メートルのエントト山にある展望台から見下ろした緑豊かなアディスアベバの市街地です。写真②は、その展望台近くにあるETHIOPIAのモニュメントでの1枚です。

写真①↑:エントト山の展望台から眼下のアディスアベバを見渡す。

写真②↑:展望台近くのモニュメント、人が入ることでETHIOPIAが完成します。

 そうなんです!面白いのは「T」の字が欠けていて、そこに人が入ることでETHIPIAが完成するのです。誰もが記念写真を撮りたくなりますよね!!

 日本に帰国後に、東京五輪の選手村跡地にある中央区の晴海ふ頭公園に、東京都が税金1億6千万円を投入して建設した「TOKYO」の文字がかたどられた巨大モニュメントがニュースになっていることを知りました(写真③)。

 提案ですが、次に作る場所ではETHIOPIAのモニュメントのように、TOKYOの「T」の字や「Y」の字(西城秀樹のYMCA)を工夫してはどうでしょうか。きっとインバウンドの観光スポットになります。

tokyo モニュメント 晴海 に対する画像結果

写真③↑:TOKYOのモニュメント。

以上

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米国人の肥満の話

2024年03月15日 | 旅行

 2024年(令和6年)2月23日から3月6日までの13日間に渡り、米国東海岸の首都ワシントンDCを皮切りに西海岸のワシントン州シアトル、カリフォルニア州フレズノ、内陸のコロラド州デンバーを旅行しました。それぞれの都市の魅力や感想は別途ブログで報告することとしますが、このブログは「肥満」の話です。

 とにもかくにも、今の米国人の「肥満状態」に驚くばかりです。街中でも空港でも、米国人は「デブ」が普通のように思えます。米国保健社会福祉省とCDCによると、現在、米国の成人の42.4%が肥満(国際基準のBMI30以上)であり、2000年当時の肥満率30.5%から大幅に増加しているというのです。日本では肥満の基準はBMI25以上ですから、もし日本基準をアメリカ人に適用したら、米国人口の半数以上が肥満となることは容易に想定できます。

 米国の肥満比率は、年齢別には中高年が高く、男女別では女性が高く、人種・民族別には黒人とメキシコ系が高く、学歴的には高卒・高卒未満が高く、経済的には貧困層に肥満比率が高いということです。確かに、テレビのニュースやドラマ等に多く登場する経済的に恵まれた大卒だろう白人や黒人、他の人種の出演者等にはスタイルが良い男女が目立ちます。

 以下、今回の米国旅行の最後の数日に見かけた肥満の方々です。思わず写真を撮ってしまいました。

以上

 

 

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驚きました!卵の黄身は白身?

2024年03月14日 | グルメ

・写真①朝食のオムレツ作り。

 

・写真②:黄身は白色。

 あなたは、卵の黄身の色は「黄色」と思い込んでいませんか。2024年2月にケニアのナイロビを旅行したのですが、宿泊したホテルの朝食でシェフが作るオムレツの卵の黄身は「白色」でした(写真①②参照)。

 初めての経験で驚いたのですが、調べてみると、黄身の色はえさの種類や配合割合によって変わるのだということです。栄養価や味には直接関係なく、要は、カロテノイドという自然界に存在する黄色や赤色の色素が影響し、とうもろこしやパプリカの配合が多いと濃いオレンジ色になり、飼料米の配合が多いとクリーム色になるのです。鶏の体内ではこのカロテノイドを合成することができないので、カロテノイドを含む飼料で色や色の濃淡を調整しているのだそうです。

 料理は見た目でも味わうといわれますが、美味しいと感じる卵の色は国や地域等によって異なるようです。例えばですが、生卵を食べる日本人は、卵かけご飯の卵の黄身が白米と同じ白色では美味しいと感じないのではないでしょうか。白色のだし巻き卵も美味しそうとイメージできますでしょうか。

 そもそも「黄身」という名前からして、日本では昔から黄身は黄色なのでしょう。

 ちなみに、卵の殻の色も栄養価に関係はなく、鶏の品種によって赤玉や白玉かが決まるそうです。

以上

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弘前さくらまつり

2024年03月13日 | 旅行

 3月中旬を迎えると桜の開花が話題になります。筆者が住む東京都ではその昔、桜と言えば4月初旬の新学年・新学期開始の象徴でしたが、温暖化で今は3月下旬の卒業式・終了式の景観です。ウェザーニュースは3月6日に2024年の桜の開花予想を発表し、東京のソメイヨシノは全国で最も早く3月19日に開花し、21日に名古屋、福岡などが続きます。

・写真①弘前城。

 さて、青森県弘前市の弘前公園の「弘前さくらまつり」は、毎年約200万人以上が訪れる国内有数の桜の名所です。今年2024年の開催は4月19日(金)~5月5日(日)です。開花予想は4月16日です。

 1918年(大正7年)に始められた歴史あるお花見イベントですが、祭りの期間中はソメイヨシノを中心に早咲きから遅咲きまで様々な種類の約2,600本の桜が咲き誇ります。寿命60年程度とされる桜ですが、特産のリンゴの暫定技術を応用した「弘前方式」によって管理され、鑑賞しやすい高さにたくさんの花を咲かせます。園内を主催者がおススメするコースで巡ると約2時間かかります。正直歩くだけで疲れますので、飲食店や露店に立ち寄ったり、広場等で家族やグループでお花見を楽しんだりする光景も目立ちます。弘前城(写真①参照)の中も見学できます。

 筆者は2022年4月23日に「弘前さくらまつり」を訪問しています。お天気にも恵まれ、飽きるほどのほぼ満開の桜に圧倒されました。その時撮影した写真を以下ご覧ください。

 

・写真②↑:弘前城天守閣の窓から標高1,625mの岩木山の雄姿が臨めます。

・写真③↑:園内のお濠沿いは桜並木が続きます。

・写真④↑:お濠の両側は桜並木が続き、桜のトンネルを通り抜けます。

・写真⑤↑:樹齢約140年の園内最長寿のソメイヨシノです。ご立派です。

・写真⑥↑:咲き誇る桜の木々で偶然できた「ハート」の下で記念撮影が人気です。

・写真⑦↑:園内には様々なお店があり、花見客を迎えます。

・写真⑧↑:ソメイヨシノの他にも様々な桜が鑑賞できます。

・写真⑨↑:公園を取り囲む外濠は桜の花びらが表面を覆い、とてもきれいです。

 機会がありましたら一度「弘前さくらまつり」を訪問してみてはいかがでしょうか。桜の名所は全国津々浦々にありますが、祭り主催者が“日本一”を自負するさくらまつりは感動的です。さて、今年2024年はどんな祭りになるでしょうか、こうご期待!

以上

 

 

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親日国ポーランドのこと

2024年03月12日 | 日記

 ウクライナやイスラエル・ガザ地区の紛争(戦争?)が、今(2024年3月12日現在)進行中です。古代の昔から他国・他民族の支配を経験したことが無い島国の日本人には、それらの背景にある陸続きの国・地域の歴史的な民族や宗教・文化・経済的な対立は複雑で、教科書的には理解できても体感的・感情的には縁遠く思えてしまいます。

写真①講座


 親日国として知られるポーランドも、大国ドイツやロシアに挟まれて国の分割や消滅、領土の交換、キリスト教への改宗等そんな波乱万丈な1000年の歴史を持つ国です。言語的・民族的にはロシア人やウクライナ人、チェコ人、クロアチア人等と同じスラブ系で、第二次大戦後を経て現在は、ポーランド人が人口の96%を占め、EUとNATOに加盟しており政治的・社会的にも安定しています。

 さて、2024年3月10日に東京都多摩市関戸公民館において、多摩市国際交流センター(TIC)が主催する国際理解講座「ポーランド共和国について」が開催され受講して来ました(写真①参照)。講師のマウゴジャタさんは、ワルシャワ大学日本語学科を卒業され、2012年に来日して現在ポーランド語の講師や翻訳・通訳をされています。国土面積は日本の85%、人口約3800万人のポーランドの紹介を、とても流暢な日本語でプレゼンしてくれました。

 ポーランドが生んだショパンやキュリー夫人、ヨハネ・パウロ2世、アンジェイ・ワイダ映画監督等の新旧様々な分野の著名人や、首都ワルシャワやクラクフ、アウシュヴィッツ(ユダヤ人強制収容所所在地)等の都市に続き、料理や民族衣装等を紹介されました。最後に、日本人にも知られている「森へ行きましょう」の音楽に合わせてダンスも踊り(写真②参照)、とても和やかな楽しい時間となりました。

写真②ダンス


 プレゼンの中で印象的だったことは、100年も前のロシア革命時に、シベリアで家族を失ったポーランドの孤児たちを日本赤十字社等が人道的観点から救済し、福井県敦賀市で彼らを保護し、そしてポーランドへ帰国させた史実に触れた時です。マウゴジャタさんが日本人への感謝と感動の思いが込み上げ涙して話されました。恥ずかしながら、筆者には初めての史実でした。

 なお、現在、2008年に敦賀港開館した「人道の港 敦賀ムゼウム」に関連資料等が保管・展示されています。

以上

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