おうえんの森スタッフブログ

故郷グルメガイドを企画運営する「おうえんの森」のスタッフブログです。
海外・国内旅行とグルメ等がテーマです。

東京の雪景色。暖冬の中で

2024年02月07日 | 日記

 2024年2月5日(月)から降り始めた雪が翌6日(火)には積雪8㎝となり、東京は2022年2月以来の積雪で高速道路や鉄道等に影響が出ました。東京都八王子市の多摩ニュータウンエリアにある筆者自宅周辺も雪景色になりました(写真①参照)。続く7日(水)は晴天となり雪が解け始めましたが、撮影したお昼でもまだ少し残っていました(写真②参照)。

写真①2/6

写真②2/7

 

 大雪の記憶と言えば、2014年(平成26年)です。2月8日(土)と15日(土)と2週続けて週末が記録的な大雪になりました。八王子市に設置されている気象庁の「地域気象観測システム」(アメダス)には積雪計の機能がないため、市の独自観測によると、8日が28㎝、そして15日は3日間の積雪で歴代1位の50.5 cmを記録しています。筆者の団地でも住民総出が要請され、自助・共助で団地内道路や駐車場等で雪かきをしました。

 今回はそこまでの積雪は無く、目分量で10㎝未満でしょう。平日で徒歩や自動車で通勤・通学等の方が多いことで自然に除雪が進み、翌日には天気も回復方向になり助かりました。ちなみに、気象庁のデータによると八王子市は2月5日(月)の最高気温は4.8℃、最低気温0.0℃ 降水量27㎜でした。翌6日(火)は最高気温5.9℃、最低気温0.9℃、降水量3.0㎜でした。東京都心と大差はありませんでした。

 6日に用事で京王相模原線を利用しましたが、平常通り運転されていました。そんな折、歩道を歩いていて気付いたのですが、この程度の積雪だと「マンホール」の上には雪が積もらないということです。(写真③参照)。

写真③マンホール

 早速、ネットで調べてみました。回答は、多くのマンホールの下を温かい台所や風呂等からの排水が流れており、空気中よりも地中のほうが温度が高いため、またマンホールは金属性で、この排水の熱が伝わりやすくなっているからということです。納得。
以上

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縄文時代の始まりと終わり

2024年01月29日 | 日記

写真①竪穴住居

 

 2024年(令和6年)1月28日に東京都千代田区有楽町マリオン11階にある有楽町朝日ホールで開催された「北海道・北東北の縄文遺跡群 世界遺産登録2周年記念 東京フォーラム」を聴講してきました。この遺跡群は2021年(令和3年)7月に、日本で25番目の世界遺産(文化・自然含め)に登録されています。会場は約750人の来場者で満員となり(↓写真②参照)、先史時代の日本について第一線の研究者らによる講演や報告、パネルディスカッションが展開されて最新の調査研究成果と動向に触れることができました。

写真②満員の会場

 学生時代から地理・歴史が得意だった筆者は、世界遺産登録に向けて活動と関心が高まっていた2019年(令和元年)10月に、15か所の遺跡群の中でも評価の高い特別史跡とされている青森市にある「三内丸山遺跡」を訪問していましたから、興味津々でした。

 このフォーラムの中で、筆者が最も印象的だったことは以下の点です。すなわち、縄文時代の始まりは約1万5~6千年前の土器の発明であるという大枠のコンセンサスがあります。しかし、縄文の終わり(=すなわち弥生の始まり)については、単純に水田耕作を基準とすると複雑だということです。

 水田耕作は縄文末期には既に始まっていた北九州とそれから数百年遅れた北東北地方まで、水田耕作と畑作農耕の状況があまりに多様で複雑で年代的特定が難しいということです。ましてや北海道(先住民のアイヌが多く生活)には稲作は伝わらず、よって弥生時代は始まらず縄文文化(続縄文時代)が続きました。昔でも今でも、日本列島の地理的・気候的・文化的な地域差は歴然で、縄文・弥生時代の稲作についても差異は当然と思われます。

 加えて、最近では朝鮮半島から来た“多数”の渡来人が稲作を持ち込み・全国に広めたという教科書的な常識に疑問符があるといいます。弥生時代に渡来人は“少数”しか渡ってこなかったという見解です。”多数”は、弥生時代の次の古墳時代にやってきたということです。

 そんな話を聞いて筆者が想像したことは、土器や土偶を作り、採集・漁労・狩猟により豊かな定住生活を始めた“縄文人”と水田耕作を生業とした“弥生人”という時代区分的な呼称は適切ではないのではないかということです。縄文時代にも弥生時代にも「日本」という国家は存在していなかったので「日本人」と呼ぶのは不適かもしれません。当時日本列島に住んでいた人々(縄文人)は朝鮮半島から持ち込まれた稲作にチャレンジし、徐々に徐々に九州から東北へと取り入れていった、あるいは取り入れなかった地域の人々が混在したと解釈するのが妥当のように思います。以前から朝鮮半島と日本列島は双方向で行き来がありましたから、縄文人の一部が海を渡り、朝鮮半島で稲作を学んで持ち帰ったとも想像できます。

 文字の無かった先史時代に関しては、毎年毎年、全国津々浦々で続けられている考古学の新たな発掘・発見や遺伝子解析技術の進歩等により、その昔学校で習った教科書的な常識が書き換えられています。それだから日本人のルーツ・日本文化の変遷は、興味深く面白いのです。

以上

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東京の冬は暖かい?寒い?

2024年01月27日 | 日記

写真①自宅周辺

①冬の自宅団地周辺。青い空の下、落葉樹の葉がすっかり落ちてすがすがしい風景です。

 毎日毎日テレビで放送されている「東京」の気温や降水量等は、都心・千代田区の北の丸公園に設置されているアメダス観測装置の数値です。この「東京」で2024年1月1日から26日までの最低気温がマイナスになったのは1月25日の-1.1℃の1日だけです。「東京」は寒くない印象を全国的に与えていると思います。

 しかしながら、筆者が住む「東京都八王子市」に設置されているアメダス観測装置の数値は、同期間1月1日から26日の最低気温がマイナスだったのは19日もあり、最低気温は1月25日の-6.3℃でした。「東京都八王子市」は、特に朝晩は寒いのです。

 そんなわけで、八王子地区の多摩ニュータウン開発で人工的に作られたせせらぎ緑道に沿って自宅近くを流れている小川に氷が張り、土手には霜柱もできます(写真②と③参照)。

②最低気温は氷点下が普通の八王子では小川に氷が張ります。

写真②氷

③最低気温は氷点下が普通の八王子では霜柱もできます。

写真③霜柱

 

 八王子(京王相模原線京王堀之内駅)からも、天気は晴天の下、空は青々と広がり、遠くに雪をかぶった富士山が見えます(写真④参照)。

④好天に恵まれ、写真左側中央に雪をかぶった富士山の頂上が見えます。

写真④富士山

以上

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住宅を購入するなら神社のことも考えて

2024年01月14日 | 日記

 一年の無病息災を願って1月7日に「七草がゆ」を食べました。年中行事ですが、これでお正月気分も終わった感じとなります。

①参道入口

②本堂


 1月12日に歯科治療に行った際に、初詣の時期を過ぎて閑散としていましたが、京王相模原線の京王堀之内駅近くにある「南八幡宮」に参拝をしてきました。八幡神社や八幡宮は全国に数多くあります。源氏の氏神の八幡神であり、鎌倉時代の武士の守り神として知られる鎌倉市にある「鶴岡(つるがおか)八幡宮」が首都圏では最も有名でしょう。

 筆者が例年初詣をしている自宅から徒歩5分にある神社は「日枝神社」です。前述の南八幡宮は、駅を挟んで自宅と反対側にあります。近隣駅周辺まで含めれば、他にも愛宕神社、稲荷神社、春日神社などなど、神社は20くらいあります。神社は全国津々浦々に8万以上あると言われていますが、さすが日本は「八百万の神」の国です。(参考:JRと私鉄の駅総数は約9千です。郵便局数は約2万3千、小学校数は約1万9千です。コンビニは約5万7千店です。)

 筆者は多摩丘陵を開発した多摩ニュータウン地区に住んでいます。ニュータウンという名称は“ニュー”ですが、縄文時代の遺跡も多く、古くから人々が暮らしています。地震や水害等自然災害の多い日本ですが、数百年以上の歴史ある神社が周辺に数多くあるということは、そこにたくさんの人々が住み続けており、自然災害に強い安定した土地だとも言えます。住宅を購入する際に、駅までの距離や学校、病院、スーパー等の利便性を考慮しますが、昨今の気候変動を考えると、近くに神社があるかどうかも重要なチェックポイントではないかと思います。

 また、上述した南八幡宮のある住所名称は「堀之内」で、日枝神社は「別所」です。その昔、「堀之内」は武士が住む街の呼称で、「別所」は堀の外で中心街から離れた場所だったと言われています。住所変更等で昔の名称が不明になってきているところもあるようですが、そんな中で、よく「さんずい」の付く漢字(沼、沢、洲、深等)が使われている住所は水害に弱かったと言われています。自然災害がますます増加トレンドにある昨今ですから、住宅を購入する際に、ハザードマップとともに、その土地の歴史的な名称や昔からの利用のされ方を考慮することも重要ではないでしょうか。

以上

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能登半島地震でサンダーバードを思い出しました

2024年01月11日 | 日記

写真:金沢駅鼓門

 

 2024年(令和6年)1月1日朝に初詣に行き、帰宅して自宅でくつろいでいた16時10分に、震度7の能登半島地震が発生しました。自宅のある八王子市も震度2を記録しましたが、突然ゆっくり大きく揺れましたのでテレビをつけ、その後はNHK・民放各局の地震と津波の報道を見続けたのです。

 今日は1月11日ですが、まずは地震・津波で亡くなられた方々に謹んでお悔み申し上げますとともに、被災されている皆さまに心よりお見舞い申し上げます。頑張ってください。

 さて、地震発生とともに陸海空3自衛隊の災害派遣が速やかに準備され、人命救助やがれき・土砂の撤去、救援物資の物流等の活動が続けられています。防衛白書によると、令和3年(2021年)度の自衛隊の災害派遣は383件で、延べ約4万5千人が活動したということです。昨今は気候変動も常態化し大規模災害が増加傾向にあり、自衛隊の災害派遣への依存度もますます高まっています。

 そんなことを調べている中で思い出しました。筆者は昨年11月に能登半島への入口である金沢に旅行しましたが(上記写真参照)、現在金沢と大阪間では鉄道ファンに人気の「特急サンダーバード」が運航されています。「サンダーバード」・・・と聞いてシニア世代には懐かしい、1966年(昭和41年)に最初にNHKで放送された英国のSF特撮人形劇「サンダーバード」を連想しませんか。時代設定は21世紀の未来で、世界各地で発生する事故や災害で人命救助にあたる「国際救助隊」の番組です。筆者は三男バージル・トレーシーが操縦する機体の大きな輸送機、サンダーバード2号が好きでした。

 思うに、災害大国日本には、陸海空軍とは別に、サンダーバードのような災害派遣に特化・専門化した災害派遣部隊が必要なのではないでしょうか。災害のたびに急遽組織される政府の非常災害対策本部ではなく、災害発生に即応する常設の組織です。戦争のための軍備や訓練は必要なく、社会的使命も貢献度も高く、国家公務員として生活も安定しますから年齢・性別を超えて人気職種になると思います。国土強靭化に寄与し、万が一の場合は、その能力と技量と士気で自衛隊をバックアップ可能でしょう。基本的に自衛隊ではありませんから、世界各地の災害救助に日の丸を背負って国際貢献が可能です。

(※北陸新幹線は2024年3月16日に金沢~敦賀間が開業しますので、特急サンダーバードのご利用にはご留意ください。)

以上

 

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