昨日から身体がもの凄くだるい。

その上に急に襲って来た膝の痛みに耐えかねている。
痛みは昨夜の室温の低下から来る膝が冷え痛み始めたのだ。
暖房器をみると電源が切られていた。
いくら気候が暖かくなったといっても未だ我輩にとっては暖房は必要なのだ。
膝が痛み始めると幾ら暖めても痛みは急には治まらない。
部屋の中を歩くのもテーブルや建具に捕まりながら中腰になり伝い歩きをしている
傍(ソバ)でかみさんが ”何をそんなに大袈裟な!”と言う目でそんな我輩を見ている。
この痛む膝の苦しさが分からないようだ。
これだから困る。
「膝が痛むから室温は下げないでくれ!」と何度繰り返していったことだろう。
カミさんはそれを全く理解しようとしない。
私だって・・・・と言う気持ちが強いのかも?
「あんたは贅沢に育っているから我慢を知らないのよ~少しは我慢して体操でもしたら・・・」と言う。
「住吉の長屋」ではあるまいし・・・。寒ければ運動せよ・・・?か?
腹の立つことだ。
カミさんも膝の痛みは歩くことも出来なくなったというくらいの経験をしているという。
それをお医者さんの言う膝の周りの筋肉強化体操を続けて遂には、その痛みを取り除いたと言う経験から言うのかも・・・。
苦痛、痛み、等の我慢に対しては確かに女性は強いというが我輩は多少、その意見には疑問を持っている。
昔 登山をしている時によく同行の女性の方が登山中に音を上げられた。
リーダーはその都度 暫くの休憩を取るがそれはホンの3~4分である。
ある時にそのリーダーに
「女性の方が音を上げた時に取る休憩は随分と短い休憩ですね?」と尋ねると
「女性は5分(ゴ・ブ)か?6分(ロク・ブ)の疲れで音を上げるが男は8分か9分で音をあげるからな~」
「時には100%身体が参って初めて音を上げて救援を頼むことすらあるよ」
「だから男が音を上げたときは少し長めに休まないと回復しないし、時に重大な事故の元にもなる」と説明を受けたことがある。
なるほどと思ったものだ。
カミさんが歩けないほど膝を痛めたというが、ことによると膝の痛みもまだ5分か?6部の痛みでん病院に行ったのかも?
我輩の場合はほんとに動けなくなるくらいになった時に初めて病院にいった。
やや手遅れの感がないとも限らない。
整形科の先生によると我輩など未だ軽い症状のようだ。
病院で見かける患者さんにはとても我輩など足元にも及ばない方を見かける。
先日の太極拳の教室では膝の痛みは余り感じなかったのだが?
昨夜 痛み始めた膝が中々治らずそのまま寝たが・・・。
きょうは朝からその膝が未だ痛む。
外はいいお天気なのだが?外に出る気がしない。
寿命が早々(ハヤバヤ)?と来たのかな?
80歳ではハヤバヤもないか?
三途の川の渡し賃の持ち合わせが今はないから、もう少し待って貰いたいな~
閻魔さんよ~
何だ?その閻魔さんの手の動きは?
「なに?泳いで渡れ・・・」

閻魔さん 手話が出来るの?

//////////////////////////////////////////////////////
「津波のときは井戸を見ろ」 先人の教えで津波避け助かる
2011.3.16 13:18
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110316/dst11031613200050-n1.htm
「津波の時は井戸に気をつけろ」。岩手県大槌町栄町の佐藤綾子さん(59)は二十数年前に近所の高齢者から聞いたこんな教えを覚えていて、津波から逃げ延びた。「昔聞いた話が本当に役に立つとは」と先人の知恵に驚いた様子だった。(清作左)
佐藤さんは二十数年前、当時小学生だった長女(32)と、学校の学習発表会のために津波について勉強していた。
そのとき、明治29年に起きた明治三陸大津波に被災した近所のお年寄りから体験談を聞いた。「津波の時は井戸の水が引いて、ゴボゴボという音がする。井戸には気をつけて」と佐藤さんは振り返る。それ以降、「津波が来そうな時はとにかく井戸を見る」と肝に銘じていたという。
この知恵が今回の震災で生きた。揺れが収まった後、佐藤さんはすぐに自宅の井戸をのぞいた。「(井戸の水が)今まで見たことないぐらいに真っ茶色に濁っていた。これはまずいと思って、すぐさま逃げた」
自宅は津波に飲み込まれたが、佐藤さんは高台に逃げて助かった。
高台から見ると、町に煙がたなびいていた。「よく見ると水しぶきだった。あんなに近くまで来るなんて…」と今回の津波の壮絶さを語った。
「先人の教えは大事なんだと、今回のことで教わりました」と笑顔を見せた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
天変地変が起きる前の現象はいろいろといいい伝えがあるようです。


その上に急に襲って来た膝の痛みに耐えかねている。
痛みは昨夜の室温の低下から来る膝が冷え痛み始めたのだ。
暖房器をみると電源が切られていた。
いくら気候が暖かくなったといっても未だ我輩にとっては暖房は必要なのだ。
膝が痛み始めると幾ら暖めても痛みは急には治まらない。
部屋の中を歩くのもテーブルや建具に捕まりながら中腰になり伝い歩きをしている
傍(ソバ)でかみさんが ”何をそんなに大袈裟な!”と言う目でそんな我輩を見ている。
この痛む膝の苦しさが分からないようだ。
これだから困る。
「膝が痛むから室温は下げないでくれ!」と何度繰り返していったことだろう。
カミさんはそれを全く理解しようとしない。
私だって・・・・と言う気持ちが強いのかも?
「あんたは贅沢に育っているから我慢を知らないのよ~少しは我慢して体操でもしたら・・・」と言う。
「住吉の長屋」ではあるまいし・・・。寒ければ運動せよ・・・?か?
腹の立つことだ。
カミさんも膝の痛みは歩くことも出来なくなったというくらいの経験をしているという。
それをお医者さんの言う膝の周りの筋肉強化体操を続けて遂には、その痛みを取り除いたと言う経験から言うのかも・・・。
苦痛、痛み、等の我慢に対しては確かに女性は強いというが我輩は多少、その意見には疑問を持っている。
昔 登山をしている時によく同行の女性の方が登山中に音を上げられた。
リーダーはその都度 暫くの休憩を取るがそれはホンの3~4分である。
ある時にそのリーダーに
「女性の方が音を上げた時に取る休憩は随分と短い休憩ですね?」と尋ねると
「女性は5分(ゴ・ブ)か?6分(ロク・ブ)の疲れで音を上げるが男は8分か9分で音をあげるからな~」
「時には100%身体が参って初めて音を上げて救援を頼むことすらあるよ」
「だから男が音を上げたときは少し長めに休まないと回復しないし、時に重大な事故の元にもなる」と説明を受けたことがある。
なるほどと思ったものだ。
カミさんが歩けないほど膝を痛めたというが、ことによると膝の痛みもまだ5分か?6部の痛みでん病院に行ったのかも?
我輩の場合はほんとに動けなくなるくらいになった時に初めて病院にいった。
やや手遅れの感がないとも限らない。
整形科の先生によると我輩など未だ軽い症状のようだ。
病院で見かける患者さんにはとても我輩など足元にも及ばない方を見かける。
先日の太極拳の教室では膝の痛みは余り感じなかったのだが?
昨夜 痛み始めた膝が中々治らずそのまま寝たが・・・。
きょうは朝からその膝が未だ痛む。
外はいいお天気なのだが?外に出る気がしない。
寿命が早々(ハヤバヤ)?と来たのかな?
80歳ではハヤバヤもないか?
三途の川の渡し賃の持ち合わせが今はないから、もう少し待って貰いたいな~
閻魔さんよ~
何だ?その閻魔さんの手の動きは?
「なに?泳いで渡れ・・・」


閻魔さん 手話が出来るの?


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「津波のときは井戸を見ろ」 先人の教えで津波避け助かる
2011.3.16 13:18
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110316/dst11031613200050-n1.htm
「津波の時は井戸に気をつけろ」。岩手県大槌町栄町の佐藤綾子さん(59)は二十数年前に近所の高齢者から聞いたこんな教えを覚えていて、津波から逃げ延びた。「昔聞いた話が本当に役に立つとは」と先人の知恵に驚いた様子だった。(清作左)
佐藤さんは二十数年前、当時小学生だった長女(32)と、学校の学習発表会のために津波について勉強していた。
そのとき、明治29年に起きた明治三陸大津波に被災した近所のお年寄りから体験談を聞いた。「津波の時は井戸の水が引いて、ゴボゴボという音がする。井戸には気をつけて」と佐藤さんは振り返る。それ以降、「津波が来そうな時はとにかく井戸を見る」と肝に銘じていたという。
この知恵が今回の震災で生きた。揺れが収まった後、佐藤さんはすぐに自宅の井戸をのぞいた。「(井戸の水が)今まで見たことないぐらいに真っ茶色に濁っていた。これはまずいと思って、すぐさま逃げた」
自宅は津波に飲み込まれたが、佐藤さんは高台に逃げて助かった。
高台から見ると、町に煙がたなびいていた。「よく見ると水しぶきだった。あんなに近くまで来るなんて…」と今回の津波の壮絶さを語った。
「先人の教えは大事なんだと、今回のことで教わりました」と笑顔を見せた。
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天変地変が起きる前の現象はいろいろといいい伝えがあるようです。

ご心配を頂き有難うございます。
やはり基本は歩くことのようです。