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http://mainichi.jp/opinion/news/20140406k0000m070103000c.html 以下全文
余録:タクシーの運転手さんと話がはずむ…
毎日新聞 2014年04月06日 00時14分(最終更新 04月06日 00時15分)
タクシーの運転手さんと話がはずむ、というのはよくあることだ。身の上話まで聞いてしまうこともある。ただし、あまりにその人生が波瀾(はらん)万丈なので、記録映画にしたということはめったにない
▲山田静(やまだ・しずか)さん(59)のケースがそれだ。彼女は1954年、中国の大連で生まれた。通信技師だった祖父が旧満州に渡り、敗戦後もその技術継承を理由に中国に留め置かれた。母が中国人と結婚、日中両国の血を引く残留2世である
▲子ども時代はいじめられた。持ち物を盗まれたり、追っかけられたり。そのたびに泣き、ひきこもった。文化大革命の嵐が吹き荒れ学校が閉鎖されると、危険を避けるために母が事務をしていた病院で仕事を手伝った。その時に事件が起きた
▲病院内に「毛沢東打倒」という小さな落書きが発見され、16歳の彼女の「犯行」とされた。隔離審査で3カ月拘束され「母親からの指図」を自供するよう迫られた。身に覚えのないことで母まで道連れにはできない。そこで頑張り抜いたことが彼女を強くした
▲工場では男顔負けの勤務ぶり、内装会社を起業するまでになった。だが、母の祖国への思い入れもあり91年日本に帰国した。私生活もたくましい。中国人2人、日本人1人の夫と離婚、子どもは4人。中国に里帰りすれば職場同僚も元夫の家族も笑顔で迎える関係だ
▲映画監督・ちと瀬千比呂(ちひろ)氏が、偶然彼女のタクシーに乗った友人から話を聞き、4年間彼女を追った。「中国・日本 わたしの国」(6月公開予定)は2国が分けがたく1人の血肉になることを活写した。今の日中関係、彼女のような懸け橋があるとは。大事にしたい。
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聾人のつぶやき
引揚者・・・特に満州からの引揚者の帰郷の逃避行の旅路は想像を絶する。
藤原 てい著の 「流れる星は生きている」に見られるようにその帰国への旅路は悲惨の限りのようだ。
まして残留孤児は想像もつかない辛い経験をされて居られると想像します。
>「中国・日本 わたしの国」(6月公開予定)
見てみたいですが字幕がないとよく分かりません。あるかな?
先日 「ジョウーズ」 を読み始めましたが どうも文章が読み辛いので今は途中で一時停止しています。内容も余りに凄まじいので・・・・・。読み辛いと目も疲れます。
今朝は花冷え? 少し肌寒いです。外気温 12度 庭には既に朝日が差し込んでいます。(午前 7時 30分)
そうそ ガソリンが165円になりました。
私の車は歳よりのくせによくガソリンを食べます。 走行距離は 現在 12年目で 46000Km くらいです。 ブレーキ・エンジン・ハンドル・に異常がなく走るのはよく走ります。
ただ小さな部品が ここかしこ かなり イカレテきています。エアコンの暖房のスイッチがイカレテ言うことを効かないのが少々困りますね。
取り換えを聞くと4~5万円 だったので そのままにしています。スイッチ部分のみの取り換えではないのですね。コンビネイション・パネル全体の取り換えになるそうです。参った。
しばらくブログアップがないのでどうされたのかな?と心配しておりましたが、パソコンの調子が悪かったとか・・・よかったです。
さて、今日は花冷えのする日曜日ですね。
先ほど、近所の枝垂れ桜を撮りに行ってきたのですが、この雨で花が結構傷んでおり残念でした。
仕事で出かけることが出来ずに、今年の桜の花の盛りの短さにがっかりしております。
「引揚者」という言葉は耳に懐かしい響きですね。
母から小さい頃、よく話を聞かされておりました。
伯父が満州からの引揚者だったとか。
私も一人でタクシーに乗ったときは運転手の方とよくお話しますよ。
そのほうが怖く?ないので・・・(笑)
私の両親も台湾からの引揚者でした。昭和22~23年頃?広島県と山口県の県堺の大竹に上陸し元軍隊の兵舎のようなところで数日両親は過ごしました。
タクシー利用の時 運転手さんと話されるのは案外いいかなと思います。走る密室ですから・・・美人のゆらさんは気をつけてください。
桜はもう終わりましたね。
そうそ杖は今 85cm の物を使って居ます。ベンさんのところに行ったときの杖は82cm でした。3cm 違うだけで随分と身体に与える影響が違うのに驚いています。
早く杖を必要としない身体になるようにプール通いは止められません。コメント&応援有り難うございました。