以前からであるがよく物を失くする(紛失?)。
その都度 失くなった理由を
「おい またお前は○○を何処かに仕舞いこんだな?」とカミさんの所為にする。
「そんなものは知らないよ!」とカミさんは怒る。
されど無いものはない。
「やはりお前が何処かに仕舞いこんだに違いない!」と怒鳴ってしまう。
こうなると、なんだか認知症? まことに詰まらないことで大きな声をだす。
カミさんがいくら怒鳴っても我輩にはその言葉が理解できない。
カミさんは呆れて居間から逃げ出す。
デジカメの電池の充電器が無くなった。
家の中のアチコチを探すも見当たらない。
仕方なくネットで製品名と番号?で検索して購入した。こういう部品は値段が実に高い。
デジカメを購入した金額の1/3に匹敵する。
また部品が着くのも早い。
「これ あんたが注文したのでしょう?」と我輩が帰った時に差し出される。
”お帰りなさい”は勿論 ない。
「そうだよ もう来たか?」と代金をカミさんに払う。
それにしても何かと随分 失くする。
特に日常よく使うものだ。どうして毎日 使うものをこう失くするのだろう?
毎日 使っているのに いざ 使おうとすると見当たらない。
つい 何処かに置いて忘れるのだろうね
あれだけ毎日読んでいる文庫本さえ何処に置いたか?分からなくなる。
病院に行くのにショルダーカバンを見ると先日 探した文庫本が入っていた。
その文庫本は探しても無かったので改めて本屋で買ってきたばかりだった。
重複(チョウフク)して買った文庫本もかなりある。
カミさんには一切 言っていないが、言えば またまた大喧嘩になりそうである。
「あんたがだらしないからだ」と言われそうだから・・。
事実 そうである。
とてもカミさんのように何事も几帳面には出来ない。
それゆえに余計なことは我輩は言わない。
不都合なことを言わないところは我輩もカミさんに似てきたか?
もっといいところが似ればいいのだが・・・。
昨日は不入斗の駐車場が一杯だった。
横須賀市の中学の体育大会が行われた模様である。
大型バスも8台もとまっていた。
道路や通路に桜の花びらが散っていて綺麗だった。
遠くに見える桜の木の花が飛んでくるようだ。

掃除のおばさんが一日に何度もはかなくては・・・とこぼしていたな~。
我が家の躑躅?

それに名の知らぬ花と季節はずれの紅葉?

日が長くなった。きょう日曜日は一日中 家の中で過ごした。

カミさんと暖房で喧嘩をしながら・・・。
「テンペスト」第1巻 春雷 を読み終えた。難しいところは例によりぶっ飛ばした・・・。
全巻 読んだところで、もう一度 読み直さねば・・・。
忘れていた。きょうの将棋は凄い逆転だった。あんなこともあるのだね。
○○九段と○○五段だったが、若さの強さか?九段の方が圧倒的に優勢と見ていたが・・・・。
その後の羽生善治氏のNHK杯の決勝戦の録画を見る。こちらも逆転の構図だった。
いい将棋は何度見てもいいな~
////////////////////////////////////////////////////////
きょうは止めとこうと思ったが乗せることにした。
熱血!与良政談:利他的であること=与良正男(毎日新聞:熱血!与良政談)
http://mainichi.jp/select/opinion/yora/
哲学者の内山節さん(立教大学大学院教授)が弊社発行の月刊誌「毎日フォーラム」4月号のインタビューでこんなふうに話している。
「戦後の教育の大きな問題の一つに『自分を大事にしなさい』という教えがあると思う」「よく考えると、何を大事にするか分からない。せいぜい自己主張しなさい、ということくらいだ。そうではなく『他人を大事にしなさい』という教えが重要だ」
つまり利己的ではなく「利他的な生き方」のすすめ。「利他」とは元々、仏教の言葉で、「他者」には自然も含まれるのだそうだ。インタビューしたのは東日本大震災前だったというが、今まさに私たちが考え直さないといけない話ではなかろうか。
さらに私がうなずいたのは、「利他」はもう若者の流行語になっていると内山さんが指摘して、大意、次のように語っている点だ。
バブル経済崩壊以降に成長した今の若い人たちは縮小時代をすでに経験していて、自分のためではなく、お互いのために生きるのが幸せになると気づき始めている。「自分を大事に」と教えた親の世代を信じていない……。
高度成長期にぬくぬくと育った私も最近、よくそれを感じるからだ。
先週末、本欄でも紹介している若者たちのNPO「カタリバ」が主催して開いた「震災後のニッポン」と題する集まりに出席してきた。
ゲストの社会学者、宮台真司さんも「これからは利他的人間がいっぱいいる社会を」と話していたけれど、参加した若者の中にはすでに被災地でボランティア活動してきた人も多く、みんな被災者のために自分は何ができるのか、真剣に考えていた。何と頼もしかったことか。
「国民のため」と口にしながら最も利己的に見られがちな政治家を取材し、日ごろ、それにケチばかりつけている私は、こんな話をした。
「政界は、こんな状況に至っても、やれ『菅(直人首相)降ろし』だ、『菅抜き大連立』だといった昔ながらの様相だけれど、私の知っている国会議員の多くは、与野党を問わず今度の大震災を機に『政治家は、そして自分は、一体これまで何をしてきたのか、これから何をしていくべきなのか』と自問し、苦しんでいる。むしろ、そういう姿を報じていきたい」
自分の決意表明でもあった。優しさあふれる若者たちとともに危機を乗り越えたい。(論説副委員長)
2011年4月14日
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その都度 失くなった理由を
「おい またお前は○○を何処かに仕舞いこんだな?」とカミさんの所為にする。
「そんなものは知らないよ!」とカミさんは怒る。
されど無いものはない。
「やはりお前が何処かに仕舞いこんだに違いない!」と怒鳴ってしまう。
こうなると、なんだか認知症? まことに詰まらないことで大きな声をだす。
カミさんがいくら怒鳴っても我輩にはその言葉が理解できない。
カミさんは呆れて居間から逃げ出す。
デジカメの電池の充電器が無くなった。
家の中のアチコチを探すも見当たらない。
仕方なくネットで製品名と番号?で検索して購入した。こういう部品は値段が実に高い。
デジカメを購入した金額の1/3に匹敵する。
また部品が着くのも早い。
「これ あんたが注文したのでしょう?」と我輩が帰った時に差し出される。
”お帰りなさい”は勿論 ない。
「そうだよ もう来たか?」と代金をカミさんに払う。
それにしても何かと随分 失くする。
特に日常よく使うものだ。どうして毎日 使うものをこう失くするのだろう?
毎日 使っているのに いざ 使おうとすると見当たらない。
つい 何処かに置いて忘れるのだろうね
あれだけ毎日読んでいる文庫本さえ何処に置いたか?分からなくなる。
病院に行くのにショルダーカバンを見ると先日 探した文庫本が入っていた。
その文庫本は探しても無かったので改めて本屋で買ってきたばかりだった。
重複(チョウフク)して買った文庫本もかなりある。
カミさんには一切 言っていないが、言えば またまた大喧嘩になりそうである。
「あんたがだらしないからだ」と言われそうだから・・。
事実 そうである。
とてもカミさんのように何事も几帳面には出来ない。
それゆえに余計なことは我輩は言わない。
不都合なことを言わないところは我輩もカミさんに似てきたか?
もっといいところが似ればいいのだが・・・。
昨日は不入斗の駐車場が一杯だった。
横須賀市の中学の体育大会が行われた模様である。

大型バスも8台もとまっていた。
道路や通路に桜の花びらが散っていて綺麗だった。


遠くに見える桜の木の花が飛んでくるようだ。


掃除のおばさんが一日に何度もはかなくては・・・とこぼしていたな~。

我が家の躑躅?


それに名の知らぬ花と季節はずれの紅葉?


日が長くなった。きょう日曜日は一日中 家の中で過ごした。


カミさんと暖房で喧嘩をしながら・・・。
「テンペスト」第1巻 春雷 を読み終えた。難しいところは例によりぶっ飛ばした・・・。
全巻 読んだところで、もう一度 読み直さねば・・・。

忘れていた。きょうの将棋は凄い逆転だった。あんなこともあるのだね。
○○九段と○○五段だったが、若さの強さか?九段の方が圧倒的に優勢と見ていたが・・・・。
その後の羽生善治氏のNHK杯の決勝戦の録画を見る。こちらも逆転の構図だった。
いい将棋は何度見てもいいな~


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きょうは止めとこうと思ったが乗せることにした。
熱血!与良政談:利他的であること=与良正男(毎日新聞:熱血!与良政談)
http://mainichi.jp/select/opinion/yora/
哲学者の内山節さん(立教大学大学院教授)が弊社発行の月刊誌「毎日フォーラム」4月号のインタビューでこんなふうに話している。
「戦後の教育の大きな問題の一つに『自分を大事にしなさい』という教えがあると思う」「よく考えると、何を大事にするか分からない。せいぜい自己主張しなさい、ということくらいだ。そうではなく『他人を大事にしなさい』という教えが重要だ」
つまり利己的ではなく「利他的な生き方」のすすめ。「利他」とは元々、仏教の言葉で、「他者」には自然も含まれるのだそうだ。インタビューしたのは東日本大震災前だったというが、今まさに私たちが考え直さないといけない話ではなかろうか。
さらに私がうなずいたのは、「利他」はもう若者の流行語になっていると内山さんが指摘して、大意、次のように語っている点だ。
バブル経済崩壊以降に成長した今の若い人たちは縮小時代をすでに経験していて、自分のためではなく、お互いのために生きるのが幸せになると気づき始めている。「自分を大事に」と教えた親の世代を信じていない……。
高度成長期にぬくぬくと育った私も最近、よくそれを感じるからだ。
先週末、本欄でも紹介している若者たちのNPO「カタリバ」が主催して開いた「震災後のニッポン」と題する集まりに出席してきた。
ゲストの社会学者、宮台真司さんも「これからは利他的人間がいっぱいいる社会を」と話していたけれど、参加した若者の中にはすでに被災地でボランティア活動してきた人も多く、みんな被災者のために自分は何ができるのか、真剣に考えていた。何と頼もしかったことか。
「国民のため」と口にしながら最も利己的に見られがちな政治家を取材し、日ごろ、それにケチばかりつけている私は、こんな話をした。
「政界は、こんな状況に至っても、やれ『菅(直人首相)降ろし』だ、『菅抜き大連立』だといった昔ながらの様相だけれど、私の知っている国会議員の多くは、与野党を問わず今度の大震災を機に『政治家は、そして自分は、一体これまで何をしてきたのか、これから何をしていくべきなのか』と自問し、苦しんでいる。むしろ、そういう姿を報じていきたい」
自分の決意表明でもあった。優しさあふれる若者たちとともに危機を乗り越えたい。(論説副委員長)
2011年4月14日
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頂きましたコメントのお礼が遅くなり申し訳有りません。
塩屋朝ウオーキングにお付き合い頂、ありがとう御座いました。
ご夫婦の痴話喧嘩をしながら日曜日の一時を過ごせる事も幸せな事ですね。
二人仲良く過ごせる人生って素敵な事だと思いま~す。
*
同じ場所を何度も見ていながら目に入らないで見過ごしているのですね。私は常にメモ用紙を手にして直ぐに書き残す癖を付けていますが、それでも忘れてしまいます。自分の頼りなさに心細く感じることも有ります。これから先は一帯どうなるのだろうかと・・・・。自分では若い気分で居ても年齢には最早叶わない事なのですね。頑張っていますが悲しいです。
やっと今年第一号のブログを再現させましたよ。
一体何という不注意な・・・・・。
いや~参りました。我が家は仮面夫婦ですよ。お互い本音と建前を持っているようです。(笑)まァ 長年相して来たのですから・・・。一日中お互い二人でいるとややこしいですね。
ところでベンさんも物忘れを感じますか?こればかりはどうにもならないようです。気をつけるほかないようです。
ブログ一号 拝見しました。いいところですね~
これからが楽しみです。それから誤字は気にしないで下さい。そのままで分かります。私は失礼を承知で訂正はしていませんから・・・。