最近 よく自分が会社で何をしていたかを思い出す。
会社の中で自分の仕事がなにか?勿論 普段の仕事として内勤の時は建築見積もり積算や施工計画、時にはクレイム処理・・・等 随分と多岐に渡りやっていた。
最終的には地下工事の山留め計画だった。これは随分とやった。思い出も多い。
横浜地下鉄工事の工事場所から僅か40m~50mくらいしか離れていない場所で地下20数米を掘削する工事もあった。
6段切り梁りの梁材のフランジが土圧の局部的な応力集中で曲がったこともあった。
うす暗い地表面から20m下の 地下で土留めの梁が軋む不気味な音は死の恐怖を呼ぶ。
応急的な燧梁の補強材すら変形をしていたのだ。今 だからこそ言える。
然し軋む切り梁の下では多くの作業員が汗を流して働いている。土留めチェックをする私が震えていては全員逃げ出すのでは?痩せ我慢をしながら地下切り梁、腹起し材を調べる。
締め付けボールトが数本飛んでいる場所もあった。部分的に補強材を沿わせてボルト締めで補強財を固定する。
現実にヒン曲がったH鋼のフランジを見ればこれほど怖いものはない。一つ間違えば大惨事となる。
地下工事が無事終了したときは命拾いしたようだった。
今でも あのひん曲がったフランジは頭に浮かぶ。よくぞ持ってくれたと神に感謝する。
本社技術指導部、技術研究所の支援なくしてはとてもできない地下工事だった。
支店技術科の全員が交代して地下に潜り切り梁や胴梁材の変化を目で確かめ計測器の針を見る。
現場の担当職員は毎日数回 土圧計の数字を確認して記録する。
かく言う私が山留め工事を担当するようになったのもヒョンなことからだった。入社時 本社設計で構造計算を少ししていたと言う社内履歴からだった。
今でも建築工事現場を見ると、ここはどの位 掘るのだろう?と・・その現場をのぞみ込む。
崩れそうな崖を見ると直ぐにその補強方法を考える。
地表に現れた土質も気になる。
朝の散歩をしながらも剥き出しの岩肌を見て・・これは泥岩?とつまんで見る。
森崎の山の土質は脆い。雨降りのあとなど水分を含み指で摘んでも柔らかい粘土状となっている。
普段は硬い岩状に見えるものも水分を含むと信じられないほど柔らかくなる。
それとは関係なく朝の散歩道の紫陽花の花が綺麗だった。
我が家の紫陽花
← 種類が違う?
森崎の住宅開発工事は
先日 台風一過の朝の空
← 雲の動きが不気味に早かったな~
4丁目の会館の前に標高が示されていた。38m?
← 我が家はこれより2mは低いから36m くらい?私は50mはあると思っていたから人間の感覚はいい加減なものですね。 
↑ ドナタのアイデアか?いいですね。

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憂楽帳:節穴
毎日新聞 2012年05月30日 西部夕刊
http://mainichi.jp/opinion/news/20120530ddg041070008000c.html 以下全文
憂楽帳:節穴
毎日新聞 2012年05月30日 西部夕刊
高校野球を担当していた03〜05年、記者の間で議論となったのが「宮城・東北高のダルビッシュ有投手はプロで通用するか」だった。03年夏の甲子園で準優勝するなど好投手であることは疑いようがなかったが、実は記者の中では「通用しない」という声が多く、私もその一人だった。
150キロ近い速球を投げるのに、高校生が普通投げないナックルなどの変化球を多投したり、突然横手から投げたり。「本格派らしく、もっと真っすぐを磨けばいいのに」と思っていた。ポキリと折れそうな細身も、「練習嫌い」との証言に真実味を与えた。
07年にプロ野球・日本ハム担当を務めた私は、彼の成長に驚かされた。鍛え抜かれた体は一回りも二回りも大きくなり、直球は150キロ台半ばに達した。多彩な変化球は精度を増し、「どの球も決め球になる」と対戦打者を嘆かせた。その後はご存じの通り。米大リーグに活躍の場を移し、27日に日米通算100勝を達成したばかりだ。
早朝、テレビ中継で彼の投球を見るたびに「俺の目は節穴だった」とうなだれる。そんな元高校野球担当記者は、少なくない。【田内隆弘】
.・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私のつぶやき
この頃は現役時代の仕事をよく思い出す。今は責任を持ってやることがなくなったから?
思い出すのは仕事が上手くいった場合より失敗して冷汗を掻き、それとなく辞表も何度か懐にしたことだ。
仕事以外の失敗も多い・・・でも今はよくぞコンニチまで生きてきたという気持ちが強い。

PS:司法界にはまとも?な人はいないみたい? ↓ 76歳?元検事正?
全裸女性の顔にポリ袋…DV被告に「君はいい男」連呼 76歳元検事正のびっくり弁護
2012.6.24 18:00 (1/4ページ)[暴行・傷害]
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120624/trl12062418010001-n1.htm
会社の中で自分の仕事がなにか?勿論 普段の仕事として内勤の時は建築見積もり積算や施工計画、時にはクレイム処理・・・等 随分と多岐に渡りやっていた。
最終的には地下工事の山留め計画だった。これは随分とやった。思い出も多い。
横浜地下鉄工事の工事場所から僅か40m~50mくらいしか離れていない場所で地下20数米を掘削する工事もあった。
6段切り梁りの梁材のフランジが土圧の局部的な応力集中で曲がったこともあった。
うす暗い地表面から20m下の 地下で土留めの梁が軋む不気味な音は死の恐怖を呼ぶ。
応急的な燧梁の補強材すら変形をしていたのだ。今 だからこそ言える。
然し軋む切り梁の下では多くの作業員が汗を流して働いている。土留めチェックをする私が震えていては全員逃げ出すのでは?痩せ我慢をしながら地下切り梁、腹起し材を調べる。
締め付けボールトが数本飛んでいる場所もあった。部分的に補強材を沿わせてボルト締めで補強財を固定する。
現実にヒン曲がったH鋼のフランジを見ればこれほど怖いものはない。一つ間違えば大惨事となる。
地下工事が無事終了したときは命拾いしたようだった。
今でも あのひん曲がったフランジは頭に浮かぶ。よくぞ持ってくれたと神に感謝する。
本社技術指導部、技術研究所の支援なくしてはとてもできない地下工事だった。
支店技術科の全員が交代して地下に潜り切り梁や胴梁材の変化を目で確かめ計測器の針を見る。
現場の担当職員は毎日数回 土圧計の数字を確認して記録する。
かく言う私が山留め工事を担当するようになったのもヒョンなことからだった。入社時 本社設計で構造計算を少ししていたと言う社内履歴からだった。
今でも建築工事現場を見ると、ここはどの位 掘るのだろう?と・・その現場をのぞみ込む。
崩れそうな崖を見ると直ぐにその補強方法を考える。
地表に現れた土質も気になる。
朝の散歩をしながらも剥き出しの岩肌を見て・・これは泥岩?とつまんで見る。
森崎の山の土質は脆い。雨降りのあとなど水分を含み指で摘んでも柔らかい粘土状となっている。
普段は硬い岩状に見えるものも水分を含むと信じられないほど柔らかくなる。
それとは関係なく朝の散歩道の紫陽花の花が綺麗だった。

我が家の紫陽花

森崎の住宅開発工事は

先日 台風一過の朝の空

4丁目の会館の前に標高が示されていた。38m?


↑ ドナタのアイデアか?いいですね。


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憂楽帳:節穴
毎日新聞 2012年05月30日 西部夕刊
http://mainichi.jp/opinion/news/20120530ddg041070008000c.html 以下全文
憂楽帳:節穴
毎日新聞 2012年05月30日 西部夕刊
高校野球を担当していた03〜05年、記者の間で議論となったのが「宮城・東北高のダルビッシュ有投手はプロで通用するか」だった。03年夏の甲子園で準優勝するなど好投手であることは疑いようがなかったが、実は記者の中では「通用しない」という声が多く、私もその一人だった。
150キロ近い速球を投げるのに、高校生が普通投げないナックルなどの変化球を多投したり、突然横手から投げたり。「本格派らしく、もっと真っすぐを磨けばいいのに」と思っていた。ポキリと折れそうな細身も、「練習嫌い」との証言に真実味を与えた。
07年にプロ野球・日本ハム担当を務めた私は、彼の成長に驚かされた。鍛え抜かれた体は一回りも二回りも大きくなり、直球は150キロ台半ばに達した。多彩な変化球は精度を増し、「どの球も決め球になる」と対戦打者を嘆かせた。その後はご存じの通り。米大リーグに活躍の場を移し、27日に日米通算100勝を達成したばかりだ。
早朝、テレビ中継で彼の投球を見るたびに「俺の目は節穴だった」とうなだれる。そんな元高校野球担当記者は、少なくない。【田内隆弘】
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私のつぶやき
この頃は現役時代の仕事をよく思い出す。今は責任を持ってやることがなくなったから?
思い出すのは仕事が上手くいった場合より失敗して冷汗を掻き、それとなく辞表も何度か懐にしたことだ。
仕事以外の失敗も多い・・・でも今はよくぞコンニチまで生きてきたという気持ちが強い。


PS:司法界にはまとも?な人はいないみたい? ↓ 76歳?元検事正?
全裸女性の顔にポリ袋…DV被告に「君はいい男」連呼 76歳元検事正のびっくり弁護
2012.6.24 18:00 (1/4ページ)[暴行・傷害]
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120624/trl12062418010001-n1.htm
海辺や野辺の鳥達ブログにお越し頂きコメントを有り難うございました!
潜水艦に乗れない方と同じでしょう?私は乗るのは怖くてよしますね。
べんさんも戦争に行った経験者ですから別の恐怖感は十分?に味わわれたことでしょう?
その時分は私は未だ学生でしたから・・・。呑気なものでした。
1m → 10m でした。