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2017年2月からこのブログを始めました

2025年3月22日(土)北村 敬 君来たる

2025-03-24 11:05:56 | 日記
“朋、有り。遠方(埼玉県おおみや市)より来る”
半世紀も前からの友人、北村 敬君が3月22日午後2時、訪ねてきてくれました。去年も来てくれたので、今回は何用かと聞くと「ただ中野に会いに来た」と言います。これは恐縮するしかありません。

たこ焼きとアヒージョでもてなしましたが、えらく気に入ってくれたようです。たこ焼きをつつく動作が話のテンポとマッチします。近況や家族のこと、来し方、話が尽きません。ビール、焼酎、日本酒を相当飲みました。


午後5時半、北村君は帰り支度を始めました。酔っ払っていることもあり泊まっていけと僕が勧めても帰ると意志を変えません。たまたま息子(長男)がやって来たので、彼に新大阪まで送ってもらうことにしました。僕はといえば、この後爆睡に突入。気がついたのは午後10時過ぎ。北村君は無事に帰れたのだろうか、気遣うだけでむかい酒をちびりと。

埼玉・おおみやから東京駅まで30分、新幹線で新大阪まで2時間30分、新大阪から我が家まで1時間。往復で8時間。我が家に滞在わずか3時間あまりのためにと思うとなんだか涙が出てきました。



*写真にみなさんにとって見知らぬ女性が写っていますが、この人は我が家の隣に住んでいる人で北村君の小学6年生の時の同級生です。僕が声をかけ来てもらいました。
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3月18日、義父母の墓参りに出かけました。

2025-03-18 23:30:18 | 日記
墓というよりお骨は神戸市兵庫区にある招慶院という日蓮宗のお寺の納骨堂で弔ってもらっています。ここへ行くと、ちょっとした旅行気分になります。場所は源平合戦で義経の奇襲で有名な「鵯越」です。


JR神戸駅からバスに乗り継ぐ、あるいは神戸駅から新開地まで行って神戸電鉄で「鵯越」まで行くかです。
今回、行くときは神戸駅からバスで、帰りは神戸電鉄にしました。それで帰路を写真に撮りました。


招慶院から坂道を少し下ったこのあたり、神戸電鉄は谷を通っています。鵯越駅は眼下にあります。




神戸伝輝は新開地が終点。新開地から商店街を通ってJR神戸駅へ。その商店街に入り口には提灯がたわわに下げられていて、その中に日本共産党の提灯も、なんだかいい。

しばらく歩くと左側に旅劇人一座の興行案内が、いかにも新開地らしい。そんなとこは大阪新世界に似ているけれど、商店街はあまりに整備されていて違和感があります。


その向かいにはシネコンが、あまりのポスター掲示に圧倒されます。しかもどれも僕は知らない。




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江の島旅行2024/11/12~11/13 ⓵

2024-12-27 19:54:59 | 日記
81歳の姉とつれあい、私の3人で江の島へ旅行しました。動機は姉が信心する「本門仏立宗」のお寺が七里ガ浜にあり、そこを訪問したい姉の願いと私の三男坊が江の島近くに家を新築したので、どんなもんか尋ねてみたいと思ったのです。これは私の願い。

11月12日(火)新大阪発11時前の「こだま」に乗車、グリーン車です。スマートEXで早得の切符を手に入れました。11000円なり。





天気は晴れでしたが、富士山は雲に遮られ見ることはできませんでした。14:00過ぎ、小田原に到着。そこから在来線で藤沢へ、藤沢からバスで江の島へ。目指すは今日の宿泊先「加美屋リゾート江の島」という一棟貸しの宿です。
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わたしが死ななければならないのなら リファト・アルアライール

2024-06-04 22:20:07 | 日記


わたしが 死ななければならないのなら
あなたは 生きなくてはならない
わたしの物語を語り
わたしの持ちものを売り
ひと切れの布と
糸をすこし買って

(つくってほしい 白く尾の長いものを)

ガザのどこかで ひとりのこどもが
天をみつめかえす
炎のなかに 消えていった父を待ち
だれにも別れを告げなかった
じぶんの肉体にも
じぶん自身にも
こどもはみる あなたがつくったわたしの凧が
空を泳ぐのを
そこに 天使が 一瞬 いる
こどもは思う 愛されている、と

もしわたしが死ななければならないのなら
希望となれ
尾の長い 物語となれ
             (松下新士+増渕愛子訳)

---------------パレスチナの現代詩人たち(現代詩手帳)--------------------

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沖縄旅行 2024年3月22日~29日⑳ 28日、祖父「有善」の墓

2024-04-27 21:45:05 | 日記
運転手さんが連れて行ってくれたのは識名霊園の管理事務所前、ここで降りたものの地理が全く分かりません。2016年12月、那覇市役所の人が連れて行ってくれたのは、祖父の墓の近くの道路際でした。


こんな時役に立つのがGoogle Map。市役所の人が連れて行ってくれたときは確か石田中学校を右に曲がって上り坂を上がったところ、その道路の左側は整然と並んだ墓地、祖父の墓は右側を入ったところ、それを地図で確かめました。この管理事務所の前の道を下っていけばそこに行けるはず。200メートルほど歩きました。ワッと言いそうになりました。ここです、記憶の中の祖父の墓への入り口に間違いありません。






祖父の墓は今、どうなっているんだろうと不安な気持ちで墓に近づきました。周りの墓に比べて古びた祖父の墓、枯れ枝で墓前が埋もれていました。私たちが祖父の墓地相続の権利を放棄し集中させたのは母の義妹です。彼女は鹿児島に住んでいると、市役所の人が教えてくれましたが、おばちゃんは消息は教えないようにしてほしいと依頼をしていました。生きておられても、とうに100歳は過ぎているはずです。家族構成も何も分かりません。鹿児島からも遠く離れた祖父の墓はもう誰もみる人がいないのでしょう。これはなんとかしなくてはなりません。


育子さんが一所懸命、雑草を引き抜き枯れ枝を片付けてくれました。わたしは祖父に向かって、やって来たよと声をかけ、たばこに火をつけ墓前に供えました。育子さんは
「おじいさんがタバコを吸う人かどうか分からないのに」と言いましたが私は無視をしました。(笑)


私は子どもや孫がここに来ようとしたら、迷わないようにビデオを撮りました。私にしたら会ったこともない祖父「有善」、私の孫にしたら4代も前の先祖になりますが、微量にしてもウチナーンチュの遺伝子が自分の体内に存していることを孫たちにも意識はしてほしいと思うのでした。
https://1drv.ms/v/s%21Ao2WPeMKzJdJgdRGLSpvfEWzgQGi4w?e=ET6kYc(動画です。クリックしてください)

https://1drv.ms/v/s%21Ao2WPeMKzJdJgdRHS-IpYEBpbPCsEw?e=lrVCCI(動画です。クリックしてください)


墓から戻っていく途中、墓参りをしに来ている女の人と出会いました。墓の清掃をしてくれる業者さんがいないかどうか尋ねるため声をかけました。祖父の墓のあるところは個人墓で業者さんが世話をしているのは聞いたことがない、ということでした。なんとも残念なご返事でしたが、その後しばらく立ち話をしました。

「どこから来られました?」とその女性が尋ねましたので、大阪からです、きのうは辺野古から来ましたと答えると
「私も新軍事基地建設を反対しています。有難うございます。ご苦労様でした」と感謝されました。タクシーの運転手さん、この女性と、私たちの旅行に花を添えてもらった気がいたしました。


識名霊園の事務所に戻り、墓の世話をしてくれる業者さんはいないかと尋ねました。事務所の方は
「そんな業者さんは聞いたことがないけど、シルバー人材センターに相談してはどうか」と言い電話番号のメモを手渡してくれました。今回の旅行ではもう間に合いませんが、墓の清掃を引き受けてくれるのかどうか、次回の墓参の時に訪ねてみようかと思っています。

これで今回の旅行、三つの目的①船旅②辺野古座り込み参加③祖父の墓まいり、すべてをパートナー育子さんと共にで実現できました。大満足です。この日の夜は民謡酒場で「島唄」を堪能しました。


これで3月22日から29日までの沖縄行、ブログを終わります。長くお付き合いいただきました。お疲れが出ませんように(笑い)
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