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日本の旅の記録です・・!!

国内旅行をはじめハワイや沖縄、世界遺産など国内各地の旅の記録です。

日本周遊紀行(93)八戸 「南部地方」

2010年05月16日 08時56分56秒 | 青森県、岩手県
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 日本周遊紀行(93)八戸 「南部地方」 


南部地方の「南部」とは方角ではない・・!! 

八戸市の東に「南部町」がある。 
甲斐国(山梨県)に栄え甲斐源氏の流れを汲む南部氏は、平泉の奥州藤原氏征討の功で現在の八戸に上陸し、現在の南部町に根をおろしたとことは先に記した。

これが東北北部を占有した元祖・南部藩の始まりであるが、鎌倉時代に源頼朝に出仕して以来、鎌倉期から江戸末期までこの地方を統治し、700年間も同じ土地を領有し続けた大名は、薩摩の島津家と南部家の二家のみであるとされる。


八戸市街地の西方に「根城」(ねじょう)という地域があり、馬渕川沿いに根城城址がある。

八戸の町の始まりは、南部師行 が陸奥の国司・北畠顕家(きたばたけあきいえ:南北朝時代の公家・「神皇正統記」で知られる北畠親房の長男。 後に村上師清と名乗り、村上水軍の祖となる。北畠家は村上源氏の庶流)に従って甲州からやってきて、根城 に城を築いたときからとされる。

南部氏の祖は「南部光行」とその一族のことであるが、奥州に下向するにあたり出身地の甲州の地には、まだ光行の子息が残されていた。 その子から数えて四代目の子孫が根城南部氏を築いた「南部師行」であり、彼の子孫が八戸氏と称し、これが「八戸南部氏」の始まりといわれる。

これに対し、三戸(さんのへ)に根拠を置いた系統も存在した、これを「三戸南部氏」という。 三戸南部氏の出自については光行の二男・実光の系譜であるとされ、室町期の14世紀半ば頃に奥州に下向したようだが、南部氏が宗家としての地位をどの様に築いたかははっきりしないともいう。
何れにしても八戸南部氏も、三戸南部氏も初代光行の系譜で、ほぼ同格の存在としてみなされる。 

又、室町時代後期には九戸氏も有力者として幕府(室町幕府)に認知されており、元より、九戸氏も南部氏の始祖光行の六男・行連を祖とする南部氏の一族である。
だが、室町期から戦国期にかけての北奥州地域の南部氏には、宗家と呼べるような確固とした勢力、権力を所持する家はなく、何れも地域に根を置く豪族といわれる同族連合の状況であったらしい。

しかし、八戸南部氏はその後衰退してゆくことになり、逆に三戸南部氏が伸張してゆくことになる。 この三戸南部氏が、後の江戸期の南部・盛岡藩に繋がったとされている。



三戸南部氏は南北朝時代以来、陸奥国・北部の豪族であった三戸城を居城とする南部信直(三戸南部氏)が、天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原攻めに参陣して秀吉の満悦を得、所領の安堵状と朱印状を賜り、奥州10ヶ郡(岩手・稗貫・和賀・紫波・鹿角・北・二戸・閉伊・九戸・三戸)におよぶ版図が確立している。 
更に、関が原合戦の後の慶長5年(1600年)には徳川家康からも安堵を受け、大名として認知確立されるのである。
この頃から主藩は盛岡に置かれ「盛岡藩」となっている。

戦国末期の豊臣政権の軍勢下、南部信直は浅野長吉から不来方 (こずかた・今の盛岡)こそ南部の本城を置くのに適切ではないかと勧められたといわれる。 
因みに、浅野長吉(ながよし:長政・ながまさ)は、豊臣政権の五奉行の一人であり、初名は長吉と名乗り「長政」は晩年の改名である。 
子には浅野幸長、浅野長晟(ともに広島浅野氏)、浅野長重(赤穂浅野氏祖の長直の父)がいる。 

引き続き八戸・「南部八戸



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日本周遊紀行(93)八戸 「戸(へ)とは・・?」

2010年05月15日 13時19分37秒 | 青森県、岩手県
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 日本周遊紀行(93)八戸 「戸(へ)とは・・?」 

「八戸」周辺には、「戸」という行政地域が多い。 
その戸(へ)とは・・? 




奥入瀬川の海運橋を渡ると「八戸市」である。
地図を見るまでも無く、八戸市周辺は八戸をはじめ「戸」の字が付く地域が多いのに気が付く。


ここで『』について・・、

平安末期の12世紀、この奥州では栄華を誇った藤原家は源頼朝によって滅ぼされている。
頼朝は、この戦に功績のあった武将に恩賞を与えたが、この時、御家人であった甲斐の国(山梨県)出身の南部三郎光行に、糠部(ぬかのぶ)五郡を預けている。 

糠部郡は現在は存在しないが当時は日本最大の郡域で、現在の岩手県北部、十和田、野辺地から下北半島全域と太平洋岸を指してたという。

この地方は藤原時代から大いに馬を育成していたことは既に知られていた。 所謂「南部駒」(後から付けた名前)の特産地であった。
頼朝はこれに目を付け、貢馬(くめ)といって年貢として納めるようになったという。 
当時、馬は軍用として極めて貴重であったのはいうまでもない。

南部光行は、甲斐駒でも知られる馬産地の甲斐(現在の山梨県)出身で、かって知ったる牧場経営には大いに手腕を発揮した。 
この馬の管理,貢馬のために設けた行政組織が「」の起こりといわれる。

「戸」は広大な地域を官営牧場とし、九つの区画として運営していた。
その名残りとして現在、岩手県は一戸町、二戸市,九戸村、青森県は三戸町、五戸町、六戸町、七戸町、そしてここ八戸市がある。

だが、四戸がありませんね・・、 

四戸の地名が消えた理由は、四戸氏の嫡流及び一族が、三戸の南部家よって滅亡せられたのではないか、という説が有力だといわれる・・?。

尚、「四戸」の所領は、現在の馬渕川沿いの「剣吉」から「櫛引」に懸けての地域だったといわれる。 
古文書によると今の「櫛引八幡宮」は、かっては「四戸八幡宮」と書かれてあったとも云われる。

八戸市八幡に鎮座する「櫛引八幡宮」は、南部氏代々が崇拝した南部藩の総鎮守で、南部一の宮とも呼ばれる。 
八幡宮は、奥州藤原氏討伐の戦功により糠部郡を賜った南部光行が、甲斐国の八幡大明神を建久3年(1192年:鎌倉幕府創立))に六戸・瀧ノ沢村に仮宮として移したのが始まりで、後に櫛引村に神殿を構え櫛引八幡宮と称したと伝えられている。



序ながら、八戸市とその周辺には「えんぶり」という行事がある。

元々は、旧正月に行われていた 田楽・「田植え踊り」の一種で、「八戸えんぶり」ともいわれ、2月17日から20日まで行われる。

「エブリ」(柄振・穀物の実などを掻き寄せ、また水田の土をならすのに用いる)という農機具をを持って踊ったのが始まりとされ、「えんぶり」は、この「エブリ」が訛ったものといわれる。

古くから農作業に活躍した馬の頭をかたどったとされる大きい烏帽子を被った3~5人の太夫が舞い踊る。 舞は二種有って古式にのっとった、ゆったりとした「ながえんぶり」と、新しい形で動きの活発な「どうさいえんぶり」があるという。

えんぶり組は、太夫とその他の舞手、太鼓・笛・手平鉦の囃子方、唄い手など総勢20~30人から成り、少年少女の舞手(稚児)はたっぷり厚化粧して実に可愛らしいという。 
起源、伝説は様々な説があるようだが、南部氏の開祖・南部光行公が奥州下向した頃に始まったというのが通説で、鎌倉時代の始めといわれる。 

八戸藩主・南部光行は、頼朝から奥州糠部郡を拝領し、甲州(今の山梨県)から当国へ下ってきたことは既に述べた。
光行が赴任した奥州で迎える初めての正月に、光行は自分の家来達に武装させ、有力者たちの家を訪問させて酒を酌み交わしたが、酒の勢い余って家来達は抜刀乱舞したため、家人たちは恐れ慄いた。 
このとき、その場に居合わせた農民・藤九郎という機転の利く男が、賑やかに田植歌を歌い、農具を手に持って踊ったところ家来達は刀を納めてその様子を見物し、丸く治まったという。
この藤九郎の機転の利いた様態が、後に上北地方で行われる「八戸えんぶり」に継承されたといわれる。

「えんぶり」の縁日の起りもユニークで・・、

「吾妻鏡」(鎌倉後期成立の史書で、全52巻という長大な書。鎌倉幕府の事跡を日記体風に編述すたもので、源頼政の挙兵から凡そ87年間記載された重要資料)によれば、初代光行が糠部に下向した最初の正月、大晦日を前にして正月の準備が全く揃わない事態となり、困った家臣が光行に相談に言ったところ光行曰く「ならば南部の正月は12日だ」と鶴の一声で正月を延期したという。 
以後、南部家の正月は12日となり、正月の伝統行事とされた「八戸えんぶり」は、以降、延々と引き継がれ、継承されたともいわれる。

尚、旧暦正月の1月1日は、通常雨水(24節季の一つ・啓蟄と立春の間で2月19日ごろ)の直前の新月の日であり、現在の1月22日ごろから2月19日ごろまでで、毎年移動する。


このエピソードは当時の南部氏が、後の南部氏と違い、如何に弱小で困窮していたかを知る上でも貴重であるともいわれる。 
後の南部氏といえば、藩政当時は今の盛岡であり盛岡藩が主藩、主城であり、現在の岩手県中北部から青森県東部にかけての地域を治めた藩で、「南部藩」とも呼ばれるのが通称である。石高は表高10万石であるが、実石高は20万石といわれた。

次回は、南部氏の「八戸地方」、逆も可、八戸の「南部地方・・?」、



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日本周遊紀行(92)三沢 「歴史と基地の町」

2010年05月14日 09時18分44秒 | 青森県、岩手県
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日本周遊紀行(92)三沢 「歴史と基地の町」

わが街・「厚木」もそうであるが、こちら三沢も、やはり基地の街らしいが・・?、


サンダーバーズをブルーインパルス(三沢基地提供)


国道338を南下する。 
三沢に至って六川目という所でのんびり昼食を摂る。

この時(平成16年10月2日AM)、ラジオニュースが大リーグ・マリナーズの鈴木イチローが257本の「安打世界記録」を達成した、と報じていた。 
ウレシイネ・・!イチローといい、ヤンキースの松井といい、日本人大リーガーが活躍してくれることは。


この国道は別名、「東部上北広域農道」というらしい。 南下するに従って五川目、四川目・・・一川目まで順に地名が付いていた。 
川筋を境に付けたのであろうか・・?まあどうでもいい事だけど、なにか曰く(いわく)は有りそうだ。


前項の東通村でもそうであったが、青森県は縄文文化の宝庫であるが、三沢市周辺でも二万年前から人類が住み着き、縄文期の遺跡も数多く発見、出土されているという。 小川原湖周辺の野口貝塚や早稲田貝塚は特に有名であるという。 
この縄文文化が華やいだ三沢の土地は、藩政時代には盛岡南部藩最大の牧場になっていた。 ここは南部駒の産地として知られて、今でも郊外ではゆっくりと草をはむ馬や牛の情景を見る。 

しかし、何と云っても現在の三沢を著名ならしめているのは、やはり「基地」であろう。 
基地といえば、小生の住む「厚木市」の隣町にも、終戦直後マッカーサーが降り立った基地として知られる「厚木基地」が在るが、(実際の所在は綾瀬市と大和市にまたがる)このことは東日本の最終日、地元・厚木の項で述べるとして・・、

太平洋戦争後、広大な牧草地域に米軍三沢基地が建設され、飛行場も開設されている。 
現在、米軍三沢基地を離陸するF16C戦闘機など防空網制圧の特殊部隊として、アジア北東部から中東までの広い範囲をカバーしているといわれる。

小川原湖と三沢市街の間に三沢基地はある。 
昭和13年に旧日本海軍が建設に着手し、昭和17年2月に三沢海軍飛行隊の飛行場として開設している。 
終戦後、米陸軍施設工兵隊に接収され、飛行場等施設の建設改修が行われ、米空軍戦闘航空群が駐留した。 
かの朝鮮動乱の時、三沢基地は前線支援基地として重要性が一段と増し、滑走路等の整備拡張が急速に行われた。 

その後は、在日米軍の縮小計画が発表され、飛行部隊が韓国や米本土へ移駐し、三沢基地から飛行部隊が撤去され、西太平洋艦隊航空隊(厚木海軍航空基地)の傘下に属することとなった。 
一方、航空自衛隊は北部航空方面隊司令部として、在日米軍三沢基地との共同使用を開始している。 

三沢航空基地は、民間・三沢空港も併設され、日本で唯一民間、航空自衛隊、アメリカ空軍の三者が共用する飛行場でもある。

三沢は、縄文遺跡埋蔵の地、広大な牧場の跡地、そして空港のある街と、多彩な顔、多様な歴史と異国情緒あふれる国際都市としての性格を持っているのである。


五川目から・・二川目、一川目を過ぎて、すでに「百石町」に来ていた。
百石はヒャッコクではなくモモイシと呼ぶ。 モモイシとは、アイヌの意味で「流れが豊かな甚だ曲がりくねった川」と称すらしい。

これが地名の由来となったという、あの有名な十和田湖を源流とする「奥入瀬川」は、この地を現在も豊かに流れている。 
百石の街はこの奥入瀬にへばり付くように発展したのだろう。

街の近くに架かる橋を「幸運橋」、川下に架かる橋を「開運橋」と言い、実に響きの良い名称である。

町の北に在る「いちょう公園」の中に、町のシンボル「自由の女神像」が建っているともいう。 
ニューヨークと同緯度で結ばれていることから、北緯40度40分の「4」の数字にこだわり、本家の4分の1の大きさで健立したという、実にユニークである。
橋の名前といい、自由の女神像といい、この街には幸運を呼ぶ何かがありそうだ。

次回は、「八戸」、その「戸」とは・・?



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日本周遊紀行(91)六ヶ所村 「高速増殖炉」

2010年05月13日 09時44分45秒 | 青森県、岩手県
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 日本周遊紀行(91)六ヶ所村 「高速増殖炉」 



六ヶ所村の核燃料サイクル施設(Google地図写真より)


前回の続きで、『高速増殖炉』について・・、

一方で、大量に存在する燃えないウラン238を、燃えるプルトニウム239に効率よく変換することで、消費した以上の燃料を生み出すことができるという。 
この時、ウラン238が中性子を吸収することによりプルトニウム239が生成され、そのプルトニウム239自体も核分裂する。
これを「増殖」といい、増殖によりウラン資源を有効利用できるとされる。


中性子の中に、エネルギー値の高い「高速中性子」というのがあり、これを利用してプルトニウムを更に「増殖」させることから、この原子炉を「高速増殖炉」と呼んでいる。  
燃やした燃料よりも多くのプルトニウムが炉内で生成される。 つまり発電しながらん燃料が増えてゆくわけである。
この高速増殖炉を使うことによって、プルトニウムを利用しない場合に比べ、ウラン資源の利用効率が100倍以上と飛躍的に向上するともいわれる。 
ウランを輸入に頼っている日本にとっては貴重な「国産燃料」が獲得でき、将来のエネルギー政策の本命と位置づけられている。 

しかし、問題があるらしい・・、

普通の原子炉(軽水炉)に比べて費用も高くつく上に、非常に危険で技術的にも難しく、実験・開発中の原子炉でも事故や故障が相次ぎ、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランスなど、先進諸国もすべて開発をあきらめたという。



現在、福井県敦賀市で試運転中の『もんじゅ』と云われる原子炉がある。

ウランの混合酸化物燃料を燃やす過程で、燃料のプルトニウムが生成され増殖する。
この原子炉は今だ研究開発の段階であるが平成3年4月・福井県敦賀市に完成し、同6年4月に初臨界を迎えたという。 『もんじゅ』は、水と激しく反応する「ナトリウム」を冷却材に使用している。

この炉が平成7年12月8日、試験運転中に冷却管の温度計のサヤが折れて約640kgのナトリウムが漏れ、火災が発生するという大事故を発生させた。 
この時、開発事業団の事故隠しや対応の遅れなど不透明性さが社会的批判を浴び、そのため現在は操業中止になっている。(近々、試験操業を開始するらしい) 

因みに『もんじゅ』の命名は、仏教の文殊菩薩に由来する。



ところで、この高速増殖炉で使用、抽出されるプルトニウム(Pu239)は次のような性質をもつ。 

● もともと自然には存在せず、本来は核爆弾をつくるために原子炉から抽出した物質(長崎型のプルトニウム核爆弾)である。 
● Pu自体超猛毒の性質をもつ。 
● 核分裂の反応速度が速いため原子炉の冷却用に特殊な材料(液体ナトリウム)を使用する。
● 製造過程から発生する高濃度の放射性廃棄物が発生する。
等々・・、

管理上非常に厳しい面があり、それらが世界の主要国でも敬遠され、国内でも問題が提起されている所以である。



放射性廃棄物」について・・、

原子力発電所などから出る廃棄物のうち、原子炉関係の放射性物質を扱っている区域から出る廃棄物を「放射性廃棄物」といい、これには厳重な管理が必要である。 
特にPu等を扱う再処理工場から出る使用済燃料廃液のことを「高レベル放射性廃棄物」といい、強い放射線や熱を出す。 
したがって一般的処理方法として、耐久性・耐熱性が高く、安全性に優れた処理をしなければならない。

過去には、海底深度の深い海溝などに、ドラム缶に詰めた放射性廃棄物を船上から投棄した国もあったようだが、日本では、地震や火山噴火等に耐える強固な施設でなくてはならず、地下水にも汚染がないよう地下300mの箇所に多重バリアを用いて処理する手法が提示されている。

特に問題となる高レベル放射性廃棄物については、ドイツでは既に高深度の地下の岩塩層や廃鉱跡地に埋設処理することで具体的な対策を検討中であるらしい。 
従って、これら廃棄物を処理する行政地域の場所の選定が大変である。
現時点で国内では候補地の目途すら立たない状況で、現在も各地域において処理場を模索中であるとのこと。



現在、電気エネルギーの主な材料は化石燃料だが、全エネルギーの3割は原子力発電が担っていると言われる。 
火力発電に使われる化石燃料も原子力発電に使われるウラン燃料も、今のペースで使い続けると、将来の枯渇が心配される。 

しかし、再処理工場や高速増殖炉でプルトニウムを利用することにより、ウラン資源は利用年数が数世紀以上に伸び、これにより原子力による発電が長期にわたって可能となるという。
この国の施策にのっとって原子燃料の再処理工場を、この地「六ヶ所村」が村民あげて受け入れ・・?、原子力行政に前向きに努めている事に対して敬意を表したいのである。


六ヶ所村は古くは倉内村、平沼村、鷹架村、尾駮村、出戸村、泊村の6つの村があり、明治22年にこれら6つの村を統一して、その名のとおりの「六ヶ所村」となった。
気候は、年間を通して比較的冷涼で特に夏季においては、いわゆる「ヤマセ」が太平洋側から吹くことが多く、そのため避暑地としては最適な村ともいわれる。
この六ヶ所村は、今や原子力発電の政策の担い手として、国内はもとより世界からも注目される村となった。
又、六ヶ所村は他に核融合実験風力発電など三つのエネルギー施策を行っているという、エネルギーの村なのである。

次回は、三沢



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日本周遊紀行(91)六ヶ所村 「原子力発電」

2010年05月12日 10時34分09秒 | 青森県、岩手県
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日本周遊紀行(91)六ヶ所村 「原子力発電」


ご存知、六ヶ所村は原発の村であった。 
先ずその「原子力発電」について・・、



国道338を南下すると間もなく六ヶ所村である。 そして、その原発の本場が、この村である。 

既に周知の事だが、この村は今や全国的にすっかり有名になってしまった。 
六ヶ所村・尾駮(おぶち)沼の北西部に日本でも初の巨大な「原子燃料サイクル」という施設がある。 
その中の主な施設に、ウラン濃縮工場、再処理工場、放射性廃棄物埋設センター等、原子力発電に関する施設が並んでいる。 即ち、六ヶ所村は日本全国の原子力発電所で燃やされた使用済み核燃料を集め、その中から核燃料のウランとプルトニウムを取り出す再処理工場なのである。 
従って、発電そのものはしていないようである・・?。


ところで、原子力とか「原子力発電」とは、判っているようで実は判りにくい、 ここでチョットそれらについておさらいをしてみよう。

先ず、電気を造る発電所は大まかに分けて水力発電所(ダムなどで水の落差を利用)、火力発電所(化石燃料使用)、再生可能エネルギー(太陽光、風、波など)それに原子力発電所がある。
原子力発電の原理は火力発電所と同じで、蒸気を作るのに火力は化石燃料を燃やして作るが、原子力は核分裂や核融合による化学反応で高熱を発生させてその熱で蒸気を作りだすものである。 
その原料となる燃料は、ウランプルトニウムといった放射性元素といわれるものである。


地球上に天然に存在する物質元素で「U:ウラニウム」(ウラン)というのが有る。 
ウランには、中性子(分子の中の粒子)の数が異なる「ウラン235(質量数)」と「ウラン238」の同位体(同位元素)がある。 
天然に存在するウランの99.3%は核分裂しにくい(燃え難い)U238で、残りの0.7%が核分裂しやすい(燃え易い)U235である。 
U235にある条件で「中性子」を当てると、原子核が2つに分裂(核分裂)し、その際に2~3個の中性子と熱エネルギー(放射性)として放出する。 
飛び出した中性子は次々に別のU235に当たり、連続して核分裂を起こして(核分裂の連鎖反応)膨大な熱エネルギーを生み出すことになる。


原子力発電所は、核分裂しやすいU235の割合を3~5%まで高めたもの(低濃縮ウランといい、ウラン濃縮工場で生産される)を燃料として使用する。 そして、ここで発生した熱で水を沸騰させ、蒸気でタービンを回転させ発電する仕組み(軽水炉型)なのである。


因みに「原子爆弾」は、このU235を高濃度に濃縮し、起爆剤をつかって超短時間に核分裂の連鎖反応を起こさせたもので、「広島型原爆」といわれるものであった。




ところで、現在、地球上の天然資源エネルギー(石油、天然ガス、石炭等)で許容埋蔵量は100~200年と云われる。 
そして、U235は60数年と云われるている。 無論、U235はO.7%分が対象である。 
ナーンダ、燃料ウランはこれだけか・・? と思われるが、 ここで実はU238の99.3%にも使いみちが有ったのである。


原子炉内で起こるU238の核反応によって、核分質・プルトニウム(使用済核燃料 Pu・天然には存在しない人口の核物質といわれる)が生成されて、原子炉材になるのである。 これを計算すると60(年)×99.3/0.7≒8500年になるというわけである。


(註) プルトニウムは、以前は完全な人工元素と考えられていたが、最近、ウラン鉱石中にわずかに含まれていることが知られるようになった。 
超ウラン元素で、アクチノイド系(周期表においてランタノイドやアクチノイドは欄外に別記されている。(元素周期律表)の元素の一つ、元素記号はPu。


ここで、このPuを分離・再生・抽出する施設として必要なのが「再処理工場」と世間で云われるものである。 
再処理工場では、使用済み核燃料に化学的処理を行いPu239が生成される、これを燃料として使えるようにする、云わばプルトニウム生産工場である。

Pu239は、燃えないウラン238と混合し、混合酸化物(Mixed Oxide)として使用される。 この混合燃料をMOX燃料と呼び、日本では「プルサーマル燃料」とも呼んでいる。 

「プルサーマル」という言葉は、「plutonium thermal use」と日本人得意の和製英語で、Puと熱(thermal)中性子の合成語をプルサーマルといわれる。 
MOX燃料は、軽水炉の原発で濃縮ウランと同様に使用できるのである。

以上が、青森県・六ヶ所村で行われている「核燃料サイクル」といわれる核化学工場なのである。 

原発の使用済み核燃料から、再び燃料として使用可能なUとPuを回収し発電を行う仕組みで、現在のところは建設途上にあるという。(2005年現在) 
再処理工場の最大処理能力は800トンと推定され、MOX燃料工場はいまだ未完成ながら2010年前後には竣工の見通しといわれる。

エネルギー資源の少ない(U235も含む)日本では、「核燃料サイクル」を早急に完成させる必要があるとも云われる所以である。


次回は原発・「高速増殖炉」




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