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日本の旅の記録です・・!!

国内旅行をはじめハワイや沖縄、世界遺産など国内各地の旅の記録です。

新・日本紀行(29)名古屋 「名古屋城の金鯱」

2015年02月18日 17時51分40秒 | 静岡、愛知県
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 新・日本紀行(29)名古屋 「名古屋城の金鯱」 






http://4.bp.blogspot.com/-_DenpZfyBn4/TyNt2OhaQ_I/AAAAAAAAAps/S0180qwwYBs/s1600/blog.jpg



http://ts4.mm.bing.net/th?id=HN.608003125737554023&pid=1.7




これは珍しい、天主に「金鯱」が無い。(理由は下記へ)




通常の「名古屋城」




「セントレア」の構内施設、出発口、到着口等を車で巡って、そのままセントレア連絡高速路、知多半島高速路で一気に名古屋市内へ向かった。 

市内へ入って都市環状線を名古屋駅付近より丸の内のランプで一般道へ降りる。
あとはナビに従って名古屋城へ向かった。


官庁街のビルの谷間を一刻走ると、名古屋城前から二の丸の信号があり左折すると、緑に囲まれた園地の一角に路駐スペースがあった。

城の係官らしき人がいたので、
「 お城の入口はどちらですか、30分位、車は大丈夫ですかね・・? 」、
「 ああ、いいよ、150mくらい行った所に正門があるよ 」
勇んでカメラ片手に出かける。 

しかし、入城は有料だった。無一文の小生、又しても駿河・東照宮の轍を踏んでしまったのである。
外部より天守閣を望める場所を聞いて御堀端の方へ進む、確かに西側のお堀端から城内の森に囲まれながら城郭・天守閣の上半分が鮮明に見渡せた。 

白漆喰の壁に、やや緑がかった瓦屋根が各階層に優美な姿を見せている。


気がつくと、やはりというか天守閣の屋根には本城の象徴的名物である、燦然と輝く「金の鯱(しゃちほこ)」は見ることは出来なかった。 
金鯱は、平成17年(2005年)3月24日に開会した日本国際博覧会・名古屋(愛称=愛・地球博)の開会式典で展示されるためと。

愛・地球博に併せて開催された名城公園内の[新世紀・名古屋城博]のために降されていたのであった。
金鯱を天守閣から取り外して公園外の外部施設での展示は、名古屋城が1959年に再建されて以来、初めてのことだったという。


黄金のもつ不変的価値は古今東西変わることはない。
400年前の江戸開府時における徳川家康は、豊富な「」を蓄えていた。秀吉も広く天下の金鉱を求め、採掘を奨励してた。いわゆる当時は日本のゴールドラッシュ期であった。

名古屋城の小天守閣は、尾張・徳川家の「金蔵」であったともいわれる。
これらの黄金を材料にして金鯱は鋳造されたといえる。 

ところで大阪城は、名古屋城に先立つこと20余年前に築城されたが、太閤秀吉の豪奢な派手好みにもかかわらず、金鯱を飾る事はなかった。 
江戸城にしても、家康は金鯱を飾る思い付きはなかったらしい・・?。



しかるに家康は名古屋城にのみ思い切った大金鯱を飾りつけた。 
この時期になって家康の天下統一が不動のものとなり、日本の中央に位置する尾張にて天下の名城を築城し、尚且つ頂部に大金鯱を飾りつけることによって、徳川家の大いなる威勢を示したものといえる。 

結果として家康晩年の最高傑作でもあり、日本築城芸術の頂点といえるものを造りだしたのである。


因みに金鯱にも雌雄があって、雄が北側で雌が南側であり若干、大きさや形が異なっているという。

『 天下様でも かなわぬものは 金の鯱ほこ あまざらし 』
(東海道を行き来する旅人が、豪華な金鯱を雨ざらしにしている尾張様のご威光に感激した歌)

『 宮の浜には 魚が寄らぬ 金のしゃちほこ 陽に光る 』
(宮の浜とは熱田のことで、北の空に金鯱が光っているため魚が寄り付かないと唄われた歌)

金鯱が飾られた理由は美観を発揮し、城主の威厳を示すためでもあり、名古屋城は「尾張名古屋は城でもつ」と言われるほど天下に知られた名城である。
そのシンボルである金鯱は、江戸時代の旅人がその豪華さを称える歌を残しているほか、金鯱が光っているため熱田の浜には魚が寄らないなどと歌われた。


ところで、俗人の思惑で、金鯱に使われている金の価値は一体どの程度のものか・・?。
文献によると、江戸初期の「慶長大判」を1940枚使用したとされている。
大判は本来、恩賞用、献上用として使用された特殊な金貨で、小判のように通貨としては流通してはいない。
その慶長大判は、小判10枚分(10両)に相当するという。(等価ではない) 
10両は重さの単位で44匁・モンメで、グラムにすると165g(安土桃山時代頃には、ほぼ全国で1両は4匁4分 ≒金16.5グラムで統一された。実際、慶長小判では小判1枚に1両分の金が使用された、小判の額面も1両とされた。)を意味する。 

慶長大判の金位は68%であるから、1枚に金が112g165×0.68)使われている。
これが1940枚で、金鯱全体で217.3kgの金が使われた計算になる。 
現在の金の価値で1g=1500円とすれば、時価約3億2600万円の金が使われたことになる。
現在の金鯱は大阪造幣局で復元された物で、88.08kgの金が使われているとという、同様の計算で時価1億3200万円の金が使われていることになる。 
初代のものに比べると大分価値が劣るが、それでも凄い・・!!。


次回、名古屋城






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新・日本紀行(28)常滑 「南セントレア市・・?」

2015年02月17日 17時50分19秒 | 静岡、愛知県





 新・日本紀行(28)常滑 「南セントレア市・・?」 

















そして、「南セントレア市」という行政地域名・・?、

ところで、「平成の大合併」のことは、この項で何遍も記したが、最近、話題をにぎわしたのは幻の「南セントレア市」騒動であろう。
「南セントレア市」は美浜町と南知多町の合併後に予定された新市名であった。
この名称は合併協議会が、無論、中部国際空港の愛称「セントレア」にちなんで決めたものであろう。

ところが、この新市名が発表されると、「外国の地名のようだ」、「こんな田舎にはふさわしくない」、「恥ずかしい」など、町民からは当惑や抗議の声が上がり、協議会も再検討せざるを得なくなった。 
そして、協議会が合併の賛否を問う住民投票と新市名についてのアンケートを実施したところ、住民の反応は合併も地名も「ノー」であったという。


ところで、地名にはその地域の歴史や文化が染みついている。 
その地にふさわしい常態を表す「日本語」による漢字が、やはり適切で妥当だと思われる。 

小生の実家・田舎は「いわき市」と称し、ひらがな文字をつかっている。  これも余り好きでは無く、感心しない呼称ではある。 
ともあれ、美浜町と南知多町は新市名について混乱が生じた為に合併まで影響を被り、名前のために合併そのものが頓挫してしまった形となったようである。


次回は、名古屋 「名古屋城とイベント







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新・日本紀行(28)常滑 「セントレア」

2015年02月17日 17時37分25秒 | 静岡、愛知県




 新・日本紀行(28)常滑 「セントレア」 















常滑市は最近、もう一つ巨大な施設が御目見えした。

原松町の信号を左折して陶磁器会館の前から海岸に近ずくと、新装なった高速路に出る。 
高速にのってそのまま海上方向に行くと、海峡大橋から海に浮かぶ巨大な地域が目に入ってきた。 

空港島「セントレア」である。




セントレア・・?? 実は、この海峡大橋もセントレア大橋という・・!!。

中部国際空港(ちゅうぶこくさいくうこう、Chubu Centrair International Airport)で、愛知県常滑市沖の伊勢湾海上にある第一種空港である。

セントレア(Centrair)は中部(Central Japan)と空港(Airport)を組み合わせた造語の愛称で、同空港管制の無線呼出名称(コールサイン)であるとか。


因みに、第一種空港とは、東京,大阪等我が国の航空輸送ネットワークにおける基幹空港・国際空港のことで、第二種は主な地方空港、第三種は一般地方・島部空港等である。



中部国際空港の開港は、2005年名古屋における日本国際博覧会と並ぶ名古屋圏の二大事業として話題を集めており、開港と同時に開業初日である2月17日には10万人が押し寄せたという。 

そのため利用客や見学客で商業施設、その他が大変混雑し、飛行機利用者の中から不満の声も挙がったという。 

混雑の理由に、空港以外の機能も充実していることや、「 飛行機を利用しない方も大歓迎します 」という空港側の宣伝効果も挙げられたという。 


空港の立地形態は大阪湾に浮かぶ「関西国際空港」と類似しているようだ。


次回、「セントレア」








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新・日本紀行(28)常滑 「焼物の町・常滑」

2015年02月17日 15時13分05秒 | 静岡、愛知県





 新・日本紀行(28)常滑 「焼物の町・常滑」 






http://livedoor.blogimg.jp/yellowshot/imgs/5/a/5aadb8a4.jpg




http://bonkura-oyaji.c.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_d29/bonkura-oyaji/E5B8B8E6BB91E3838DE382B3EFBC94-636ae.jpg?c=a0




http://www.ukou.jp/blog/archives/2011/11/images/1351678785.jpg



http://park.geocities.jp/mitsuhomepage/imageh/P1030529.jpg




焼き物の町「常滑」に巨大施設が出現

国道247は常滑市へ向かう。
三河湾の蒲郡を起点としたR247は湾岸沿いから知多半島をグルッと一周して、ここ常滑の原松町が終点となる。

常滑は、古来「常滑焼」で知られるが、ここは「陶郷町」というから、その名のとおりで、常滑焼のふるさとである。 
常滑市陶磁器会館、登窯広場・展示工房館、INAX窯のある広場・資料館、INAX世界のタイル博物館、常滑市立陶芸研究所、常滑市民俗資料館、常滑焼・卸団地(セラミック・モール)等々の観光展示資料施設が集中している。




焼き物散歩道の象徴ともいえる「土管坂」


今も高くそびえる十本煙突や楝瓦の登り窯やなど見所も多く、陶磁器会館をスタートする「焼き物散歩道」の途中には、土管や焼酎瓶の瓶などを土留めとして埋め込まれた坂道が在り、「土管坂」と称して名所の一つにもなっている。


常滑焼は、日本の六古窯常滑・瀬戸・信楽・丹波・越前・備前)の一つといわれ、平安時代には常滑を中心にして知多半島の丘陵地のほぼ全域に窯が築かれ、当時の六古窯の中では最大級の生産地であったという。 

室町時代に入ると、窯は常滑地区に集まり、生産品も大型化する、その大型化したカメや壷は交通の要衝である知多半島の各港から船で日本全国に運ばれた。

現在では製品も、花器・茶器・招き猫等の置物・ガーデニングなどに使われる園芸鉢・茶碗等の和食器・フリーカップ等の洋食器等、多種多様の焼き物が生産されている。 
今も小生宅で使用している赤褐色の急須は、朱泥焼(中国江蘇省宜興窯に産する赤褐色で無釉締焼の陶器のこと。土質緻密、セツキ質になるまで焼いたもので多くは茶用の急須にする)の技法といって常滑焼の代表的な製品になっているとか。


次回、セントレア





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新・日本紀行(27)野間 「野間の大御堂寺」

2015年02月13日 17時55分05秒 | 静岡、愛知県




 新・日本紀行(27)野間 「野間の大御堂寺」 









大御堂寺(野間大坊)の本堂, 源義朝廟と小太刀の奉納





こちらは往時の因縁の地でもあった

源義経、頼朝公の実父「源義朝」はこの野間の地で命を落としている。
義朝は京都六波羅の合戦である「平治の乱」で平清盛に破れ、この野間の地に落ちのびてきた。
ここで家臣の長田忠致、景致親子による裏切りで入浴中に謀殺されている。
丸腰だった義朝は「我に小太刀の一本でもあれば討たれはせん」と言い残して果てたという。

国道の奥まったところに7世紀に創建された古刹「大御堂寺」があり、源義朝公御廟がここに祀ってある。 
嫡男・頼朝公は鎌倉幕府、開府直前にこの地に参り、父義朝公の法要を執り行い、境内の様々な伽藍建立されたという。 
その後、秀吉、家康の庇護を受け更に繁栄し、現在尾張地方随一の祈祷寺として人々に広く信仰を集めているという。  

家臣の謀反により殺された義朝公の墓には、その霊を弔うため今も有志者によって木太刀が多数供えられている。 
あの時、「小太刀の一本でもあれば・・!」と無念の想いを託して奉納するのであろうが、木太刀は廟のすぐ近くで、サイズをいろいろ取り揃えて販売されているようである。 
寺社関係者の商魂逞しき・・、と言いたいところだが。

野間灯台の錠前、義朝廟の木太刀といい、これらを持ち寄って信仰の意志を伝える日本人的精神活動には、何かの共通点が見える気もするが・・?。





http://livedoor.blogimg.jp/aoki1162201/imgs/b/3/b3afa866.jpg



http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/015/460/37/N000/000/000/137613722458613131107.JPG



この野間の地の大御堂寺には、もう一つの因縁事件があった。

戦国期の本能寺の変(1582年、織田信長の重臣・明智光秀が謀反を起こし、京都の本能寺において主人信長を討った事件。

天下統一を目前にした織田信長は命を落とし、日本の歴史を大きく変える出来事となる)の後、織田信孝(信長の三男)は光秀を滅ぼしたという功績にも関わらず、清洲会議で織田家の後継者は羽柴秀吉によって三法師君(幼少・信長直系の孫・秀信)に決められてしまう。

この処遇に不満をもった信孝は家老の柴田勝家らと結び、秀吉に対して挙兵するが、賤ヶ岳の戦いで勝家が敗れて信孝は尾張国知多郡野間(愛知県美浜町)の大御堂寺に送られ蟄居させられる。

後に秀吉に切腹を強要され、この地で自ら自害して果てたという。 享年26。


辞世の句に・・、

『 昔より 主をば討つ身(内海)の の間(野間)なれば
                        報いを待てや 羽柴筑前
 』

自分の身を、家臣に裏切られ殺害された源義朝になぞらえ、羽柴筑前(秀吉)に対する憎悪を剥き出しにした壮絶な歌である。


美しき知多の浜において昔、壮絶な人間模様があったようだが、今は男女の色模様で賑わいを見せている。 
そんな事を知ってか知らずか、今も伊勢の海はキラキラと輝いている。


次回、常滑の「焼物とセントレア







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