Organic Life Circle

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ボパール 農薬工場爆発事故から20年

2006年03月04日 | 科 学


私たち、海野好子と菅波は、1984年から1985年にかけて世界放浪の旅をしていました。インド中央部の都市インドール Indore にエスペラントクラブの代表者を訪ねたのが1984年11月。インドールは1900年代初めに有機農業の父と呼ばれるイギリス人ハワード卿 Sir Albert Howard が有機農業の研究をし、インドール方式という堆肥をつかった作物栽培法を確立した場所で、有機農業の聖地ともいえる場所です。そのインドールで人を紹介され、バスに乗って観光地でもない都市ボパール Bhopal に来たのが1984年11月23日でした。


<美しい古都ボパール>

ボパールには、大きく立派な、しかし荒れ果てたモスクや由緒ある建物が多数郊外にあり、かつてはイスラム教の聖地として多くの人が集まった所のように見えました。ボパールはインドが、ヒンドゥ教徒のインドとイスラム教徒のパキスタンに別れた際に、中央インドにあって見捨てられたイスラム教の古都のようです。大きな木の緑が町をおおい、立派な建物もたくさんあり、美しい町でした。イスラム教徒が少なくなった今では、駅前にユニオンカーバイト社(アメリカ)の大きな農薬工場があり、工業都市といった風情でした。

私たちは立派なホテルに一泊し、部屋の裏側の窓から水牛をたくさん飼っている様子や、夕方には水牛の乳を絞っている所を眺めました。街で人と会い、翌11月24日の夜、ボパール駅で夜行の特急列車を待っていました。ボパールから特急列車の予約をするには、駅員さんに鉄道電話で最寄りの大きめの駅まで電話してもらわなければなりません。予約はしたものの、インドの長距離列車は何時に来るか分からないので、ずっと駅で待っていなければなりませんでした。そのため駅構内にはベット付きの一等待合室がありました。結局、予定より6時間ほど遅れて、明け方(25日)になんとか予定の夜行特急に乗り込みました。

駅で列車を待っている間、ボパールで知り合った新聞記者の方が、駅の待合室まで会いに来てくれたり、駅員さんたちが列車の状況を調べてくれたり、大変親切にしてくださいました。駅前にそびえ建つ農薬工場からは特有の臭気がしていましたが、まあどこの化学工場でも少しは臭気がするので、あまり気にとめてはいませんでした。


<農薬工場爆発>

私たちがボパールを去ってちょうど一週間後の1984年12月2日の夜から翌3日の朝にかけて、このボパールの農薬工場が爆発事故をおこし、27トンもの農薬 methyl isocyanate が空気中に流出してしまいました。駅員さんや駅で列車を待っていた人達は全員死亡でした。最初の3日間で7000人から1万人が亡くなったとされています。その後、現在までにさらに1万5千人が死亡したとされています。現在でも約10万人が、肺、目、血液の慢性的な障害を被っているとのことです。

また、ボパールの新しい世代の人たちは、不妊や死産、先天性奇形出産に悩まされています。環境団体グリーンピースの調べでは、ボパールの地下水は現在でも、規制値の百万倍も水銀などの重金属に汚染されているとのこと。その後の遺伝的障害などを見ると,漏れ出た農薬の中に、不純物としてダイオキシンなどが含まれていた可能性も考えられます。


<ユニオンカーバイト社>

ユニオンカーバイト社は、1989年にインド政府との間で、補償金470百万ドルを支払う取り決めをしましたが、これは3000人が死亡し、10万人が影響を受けたという過少な想定に基づいたものでした。これでは不十分として、被害者たちがインド最高裁に訴えていますが、アメリカ人の責任者(工場長)はインドにおける裁判に出頭せず、責任を回避しています。インド最高裁はアメリカに、当時の工場責任者を外国犯罪人として引き渡すよう求めましたが、アメリカ政府は2004年9月にこれを拒否しました。

ユニオンカーバイト社は、2001年にダウケミカル Dow Chemical 社に買収されましたが、ダウケミカル社はユニオンカーバイト社の過去の責任には一切関係しないとの態度をとっています。

(海波農園 菅波 任)

<参 考>
「Bhopal, 20 Years Later - The Biggest Crime you've never heard of」
(Mark Hertsgaard / Shared Vision, December 2004)
 www.dragonflymedia.com/portal/featured_stories/200412/bhopal.html


オーガニック・ライフ・サークル会報
2005年3・4月号(No.62)掲載

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