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Point of view

読書とかドラマとか日記とか

ぼくのキャノン(池上永一)

2008年11月30日 | 読書日記

沖縄のある村では、大砲(キャノン)をご神体に、ノロ(巫女)たるマカトが行政的にも支配していた。
マカトの盟友には、大規模な盗難を行うチヨ、暗殺(?)を行う樹王がいる。
彼ら3人は1つの秘密を共有し、集落の繁栄に身をささげていた。
ところが最近、謎のアメリカ人やデベロッパーの紫織が、村の秘密を暴こうとしていた。
マカト、チヨ、樹王のそれぞれの孫である10歳の雄太、美奈、博史の目を通して、村の秘密をめぐる村の攻防を描く。


常識ある博史の苦悩と、ほどよく抑制された作品エネルギーで、非常に読みやすかった。
抑制を取り払うと「シャングリ・ラ」になるのだろう。
シャングリ・ラとの共通点がたくさんあった。


他の作品に比べるとオバァが思慮深い分だけ、無茶なエネルギーはない。
今回のオバァには使命があるからね。その分、好ましい。
お色気系変態女も出てこないし(今回のお色気系女性は総じて純情)、マカトの指示を受け、隠密行動を取る「男衆」とお色気スパイ活動を取る「寿隊」、も「シャングリ・ラ」のゲリラや美邦の側近のような無茶がない。
オカルトもファンタジーのようなレベルで留まっている。
樹王だけが、ラノベのキャラクターになっている。あの義手の動きだけが・・・


確かに、池上永一らしさ、は出ていないのかもしれない。




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鬱の力(五木寛之+香山リカ)

2008年11月30日 | 読書日記

先週末は放電していたので、放電の最後ついでに、こんな本を読んでみた。
精神科医+スピリチュアル作家の組み合わせかと思えば、五木さんの奥さんは精神科医とのこと。
鬱の気分とうつ病は違う、そもそも、うつ病の定義そのものが時代と共に変わっている、という。


そうね、気分なのよね。大概は。


戦後50年、日本は躁の時代だった、今は鬱の時代である、というのは、なるほどと思った。
白い皿にちまっと鎮座している料理も玄米も鬱の気分の料理とか。
ロハスもヨガも時代を反映しているわけね。


医者や学者が「鬱」の作家の本を読めと言っても、「その人のことは知らないけど、私はこんなに苦しい」と返答されると嘆いていた。
それ言われたら「知らないなら読め」と言いたくなるわなぁ。
じゃ、私は読むか。
夏目漱石から?宮本輝もそうかな。


昨日、古川 日出男「LOVE」を途中で放り出したのは、明らかに「躁」の作品だったからだ。


映画篇(金城一紀)

2008年11月29日 | 読書日記

区民ホールで上映された「ローマの休日」とくだらないフランス映画と薬害事件とでつながっている短編集。


作家になった男が、幼馴染との再会をきっかけに、小学校~中学時代の親友との思い出を振り返る「太陽がいっぱい」。
学校ではつるんでいないけど、放課後は2人で遊んだり、真剣な話をする親友同士というのは、非常に照れくさい感じがする。
使い分けしているところが少年の潔癖さを表しているようなので。


夫の突然の自殺のショックで、家の中に閉じこもっていた主婦が、レンタルビデオ屋の店員と映画を通じて、外の世界とのつながりを取り戻していく「ドラゴン怒りの鉄拳」


急接近する同級生2人が犯罪を企てる、どこかの単館でやっている映画のような「恋のためらい/フランキーとジョニーもしくは トゥルー・ロマンス」。


「ペールライダー」で、小学生の少年の前に現れた黒いライダーは、中はえびす顔のおばちゃんだが、黒い馬にまたがる「死」のように強い孤高のたたずまいをしていた。


愛する夫を亡くしてすっかり憔悴してしまった、愛すべき「おばあちゃん」のために、孫5人が奮闘する「愛の泉」。


愛の泉がわかりやすくて好きだ。
イトコ同士が集まって、わいわいやるところとか。
ゴッドマザーである総領娘の律子ねえちゃんと、彼女に動かされている主人公「テツ」、抱きしめたくなるくらいかわいいリカに、愛すべきアホの子のケン坊、主人公と同性で同い年だがしっくりきていない「かおる」。


兄弟でもなく、友達でもない、「いとこ」というところが微妙な距離なのだ。
私は、同い年の従妹の家に転がり込んで休暇を過ごし、従妹の旦那に「あれじゃあ、結婚はねぇ?」とこっそり陰で言われ、従妹の娘には「よくしゃべるよねぇ」と言われている。
私の弟は3歳上の従兄と、親友というか、仲間というか、距離をものともせず、二人してハロプロのコンサートに行き、戦国武将の縁の地を訪ねている。
程よい遠慮と、馴れ馴れしさと、距離感のある血縁関係とが、良いのだ。
私と従妹は、クラスメートだったら、仲は悪くないだろうけど、違うグループにいたはずなんだけどね。(弟と従兄は、クラスメートだったとしても仲が良かったはずだ)。
おばあちゃんも、上映する映画のフィルムを貸してくれる浜石教授も、浜石教授のゼミ生で主人公が恋する司さんも、素敵な人たちばかりが出てくる。


収録されている作品では、主人公たちが、大きくて正体がつかめない何かと戦っているのだが、愛の泉だけは、戦っている「かおる」ではなく、流れに流されていく青年が主人公になっているので、「お後がよろしい」のだ。


神様からひと言(荻原浩)

2008年11月29日 | 読書日記

広告代理店からカップラーメンなどを作る食品会社の販促課に就職した佐倉。
けんか腰が災いして、人材の墓場(ゴキブリハウス)であるお客様相談室へ異動。


競艇狂で、欠点だらけの人格ながら、謝罪のプロである篠崎の教えを得て、仕事を覚えていく。
ところが最近、客の苦情の内容が変化してきた。
この会社はどうなっているのか。


笑えるサラリーマン小説。
人格的には破たんしているが、含蓄のある篠崎の教えがイイ。
謝罪のときの相手との距離感として、自分が泥をかぶって謝らなきゃならない具体的な誰か(親とか)を思い浮かべる、という教えは素晴らしい。
登場人物が皆、滑稽で、作者にちょっと愛されている感じも、読んでいて肩が凝らない。
この本は、学生じゃ面白くない。
組織で働いているサラリーマンだからこそ、実感を持って楽しめる。


聯愁殺(西澤保彦)

2008年11月24日 | 読書日記

読み終えて、毒気にやられてしまった。


見ず知らずの少年に襲われた梢絵。
命は助かったものの、今だ犯人は見つからず、素性も動機もわからない。
事件の4年後、梢絵は事件の担当刑事のつてで、ミステリの作家たちを中心に集まる交流会に参加した。
交流会の参加者によって、事件の謎を解明にトライするためだ。


ミステリ作家の3人(老人、50歳の女性、30代の男性)、犯罪心理学者(30前後の女性)、元刑事の探偵(初老の男性)。
彼らが刑事と探偵から与えられた情報に、自分たちが調べた情報を加えて、自説を展開する。
自説が導き出す犯人像と動機が、あまりに情けなくて落ち込む。
ちょうど、今、報道中の厚生省事務次官OB連続殺傷事件で自首してきた容疑者のように情けない。
その自説や、それを唱えた発言者自身への批判を含んだ梢絵の感想も、悪意をたっぷり含んでいる。
最後に用意されている展開(どんでん返し)を知ると、さらにげんなりする。
悪意のみで構成されたストーリーは見事だ。
読み終えて、なぜか落ち込んだ。


風車祭(カジマヤー)(池上永一)

2008年11月22日 | 読書日記

美少女ピシャーマとブタの魔物ペアに出会ったことで、マブイ(魂)を落とした武志(高校生)、郁子(小学生)、睦子(高校生)、フジ(妖怪じみたオバア)。
武志と郁子がマブイを落としてからの1年間の、300年以上マブイの姿で過ごしてきたピシャーマと6本脚の妖怪豚ギーギーとの交流を描いた物語である。


沖縄の神話と生活と暑くて何も考えられないという「だるーん」とした雰囲気が伝わってくる。
各章のタイトルも、季節ごとに行われるお祭りというか儀式になっている通り、「沖縄の歳時記」だ。
沖縄県民が何というかしらないけど。


これまで池上作品は「パガージマヌパナシ」「レキオス」「シャングリ・ラ」と読んだけど、「風車祭」が一番好きだ。
分厚いけど、「のんびり」とした空気がストーリーから伝わってくるので、のんびり読める。
はちゃめちゃな人物が多い(フジと郁子と異人の兄弟とか)ので喜劇のようだが、冷静に考えると悲恋物語なのだ。


著者によるあとがきを読んで、文章の違いに驚いた。
まるで民族学の文献のように、硬質で理性的な文章だ。
「風車祭」本文を読みなおすと、会話文は支離滅裂だが、地の文は簡潔だった。
漢字が多いようだが、バランスを考え、あえて平仮名で表記したような所もある。
沖縄文化を説明する箇所が多いこの作品だが、この文章力によって、くどくならなかったに違いない。


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鹿男あをによし(万城目学)

2008年11月22日 | 読書日記

ドラマを観た後でも楽しい本だった。
私、奈良県民だし、文章で書かれた風景を、そのまま、記憶から取り出せるというのは、読書の別の楽しみだと思った。
恩田陸の「まひるの月を追いかけて」も鹿男と同じエリアが対象だったけど、鹿男のほうが、もっと身近だった。


大学院から急遽、奈良県の女子高の臨時の教師になってしまった「先生」が、突然、鹿に話しかけられ、日本を救う指名を与えられる。
女子高生を相手にするのも大変なのに?


ストレートに行かない展開と、鹿と先生の妙な会話に、微妙に混ざった史実によって歴史ミステリーになっているところとが、いい感じに混ざっていて楽しい。


ふぐママ(室井滋)

2008年11月22日 | 読書日記

変な人って、ときおり変なパワーを持っていて、それがどんどん、変なことを引き寄せている。
タイトル「ふぐママ」になっているのは、そんな変な人である、自分の所属する芸能プロの社長である「ふぐママ」を、室井滋が愛情を持って書いた説明書のようなエッセイだ。


関西にはたくさん生息してそうなんだけどね、こういうおばさま。


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ジーン・ワルツ(海堂尊)

2008年11月09日 | 読書日記

ここ数日のニュース番組では、東京都の周産期母子医療センターの問題が取り上げられている。
こういうタイミングでこの本を読むと、著者が作品を通して訴えたかったことの重要性が分かる。
作中では代理母や人工授精についても問題提起されているが、結局、著者が言いたいのは、国や自治体によって、医療体制は(特に産科や小児科は)、ますます現場の医師を疲弊させる方向に変えられていっているということだろう。


帝華大学(明らかに東大)の医師・曽根崎理恵は、院長の病気により閉鎖が予定されているマリアクリニックで、最後の妊婦たちを診ていた。
34歳の2人目を妊娠している女性、28歳の共働きのキャリアウーマン、19歳の中絶する気マンマンの女性、人工授精で妊娠した39歳と55歳の女性。
彼女らの妊娠の経過そのものが小説となる。


鉄の意思と理性を持つ理恵の描写が非常にわかりにくい。
「魔女」として書かれているからなのか、著者が苦手なのか、わからないが、手技は冴えるが主義は持たないといった理恵の上司でもある清川吾郎・準教授がいないと話が進まない。
いっそのこと、清川先生目線をもっと前に出せばよかったのに。
親切なのは、医学部の生徒への講義を通じて、読者に知識を与えてくれているところ。
こればっかりは主人公が大学病院に勤めていないとできない伏線だ。


マリアクリニックの神ともいえる三枝院長の旧名・城崎と、ナイチンゲールの沈黙の冴子のマネージャーである城崎との気になる共通性や、「医学のたまご」と本作品の明確な関係は、ファンへのちょっとしたサービス、なのかな。
いや、医学のたまごについては、この本を読んだらわかる事実がいっぱいあった。
夢見る黄金地球儀にも、小夜と瑞人が登場し、白鳥と思われる官僚のエピソードが出てきていたが、余り作品には影響を及ぼさなかったし(ボンクラボヤの歌はなくてもいいはずだ)。
極北クレーマーという連載中の作品も、おそらく三枝院長の息子の話だろう。
ファンを引っ張るのがうまいなぁ


文房具って楽しいよね

2008年11月08日 | つれづれ日記

ここ2年ほどは1000円以上の金属ボディのシャープペンシルを愛用していました。
30歳を超えたときに、持ち物もいいものにしないと、と思い立ったので。
でも、そんな高級シャープペンシルのパーツが欠落してしまったので、ひさびさにシャープペンシルを買いました。



使ってみたら、ちょっと製図用みたいな形状のこのシャーペンがものすごい使いやすい。
PILOTのS3。
今、一生懸命、英単語の暗記をしているのですが(再来週の英語試験のため)、単語帳にもアルファベットが書きやすい。
「解読に経験が必要」(高校時代に私の英語のノートを毎週回覧していた友人3名より)と言われた私のアルファベットが、見やすくなっている。


気分だけではない、何かが、このペンにはある。