2017年2月、ニューヨークでの仕事の際にボストンに足を延ばし、久しぶりにハーバードやMITのある大学街を訪ねた。アメリカ東部に大寒波が襲った時であり、ハーバードの建物も銅像も雪をかぶっていたが、そのたたずまいは筆者がミシガン大学に留学していたころ、友人を訪ねてきたときと変わらない。世界の秀才が集まる広大な敷地と堂々とした歴史的建物の威風堂々の風景は、日本で言えば「公園」みたいなところだ。もっとも、アメリカの大学のほとんどは、資金力を活かして公園大学と呼べるような風情である。大学のパンフレットには、どこでも学生たちが木陰や芝生で談笑している姿と背景には美しい建物が遠方に見える。
こんなにキャンパスを美しく整えられるのは、大学への寄付金が高いのと授業料が高いので保たれている。ハーバードを含む伝統ある、いわゆる東部アイビーリーグ大学はいずれも、年間の授業料と基礎生活費が日本円で年間700万円くらいである。これに娯楽や医療などの経費を加えれば金持ちしか行けない。アメリカは学生の奨学金が発達しているが、現在の奨学金債務総額は日本円で150兆円以上であり、若者がこの借財を背負って人生をやらねばならぬ過酷な負荷があるということだ。しかし、アメリカこそ学歴社会そのものであり、名門を出なければ高額所得や社会的地位を得るのは難しい。
アイビーリーグはいずれも私立であるが、州立大学は一般的にこれより安い。ただし、ミシガン大学やカリフォルニア大学バークレー校など一流の大学は、州の居住者への割引はあるものの、アイビーリーグ並みの授業料を必要とする。もともと州立大学は、建国者の一人トーマス・ジェファソンが建国時13州の後に連邦入りした州は州立大学を造らねばならないとの方針を出し、創立された。学問に基づいて一般からトップの人材を養成しようというジェファソンらしい発想である。にも拘らず、現在では、トップクラスの州立大学は一般人にとっては高すぎて入れないという状況にある。ちなみに戦後GHQが帝国大学など国立大学の無い県には新たに国立大学を創らねばならないとの方針を立てたのは、他ならぬアメリカ流の建国のための人材養成の発想だったのである。
確かに公私含め名門は金持ちしか行けないの現状である。ジョージ・ブッシュ元大統領はハーバードのMBA、トランプ前大統領はアイビーのもう一つの雄ペンシルベニア大ウォートンスクールのMBAであるが、二人ともお世辞にも秀才には見えない。だが、金持ちではあった。真の秀才はビル・クリントン元大統領だろう。彼は貧しかったがエール大学のロースクールを出た。その間、ローズ奨学金という難関の奨学金を手にしてオックスフォード大学に留学した。ハーバード大学ロースクール出身のオバマ元大統領も秀才だが、黒人枠の入学という可能性はあった。いずれにしても今の大学の現状では、将来が約束された名門は金持ちしか行けない。この現実は、アメリカ社会二極化の真の原因ではなかろうか。
アメリカで目の玉が飛び出るほど高いものは、高等教育の授業料と並んで、医療費がある。海外保険に入らずに旅行した日本人がアメリカで盲腸手術を受け、何百万円を支払わねばならなかった話は多い。日本では健康保険が行き届いていて、そもそもの医療費が低く抑えられているうえに患者3割負担であり、おまけに高額療養費制度があって、保険診療ならばせいぜい月に数万円が限度である。アメリカでは社会保険が出来上がっていないので、多くは民間保険に加入し、加入できない低所得層のためにオバマケアという補助制度ができた。他に、高齢者や障碍者のためのメディケア、メディケイドという福祉制度もある。これらの制度の恩恵を受けずに高すぎる医療を受けられないままの層が多いこともアメリカの大問題であるが、欧州や日本のような医療保険制度は、財界の反対でこれまで実現しないできた。
医療については日本はアメリカのような問題はないが、教育についてはどうであろうか。まず、私立大医学部は、アメリカの名門大学と同様に、金持ちでなければ入れないことは周知の事実である。その金持ちの代表が開業医である。サラリーマンの息子などは、国公立でなければ医学部の授業料を払えないので、東京の人間が地方の国公立医学部を受験して、その多くの定員を占めてしまう。地方大学は地域医療にこそ貢献すべきであるが、受験に有利な東京の学生で埋められ、その卒業生が医療の現場として東京に帰るということになれば、いかに地域枠入学を一定数設けても、地域医療は手薄のままであり続ける。
また、筆者の属する団塊世代が大学に行く頃は、国立大の授業料は月千円であり、親からの仕送り無しで勉学している者は多かった。私立はその数倍から十倍くらい掛かって、しばしば授業料闘争が起きた。折しも起きた東大紛争で、マスコミと世間は「学生一人当たり百万円の税金がかかっているのだから、紛争をやっている学生は辞めろ」と騒いだ。その後公私の差は縮められる方針が出され、今では、公私の差は私立が2倍くらいにとどまったが、国立でも年間5-60万円の授業料となり、もはや国立ですら誰でも入れる状況ではなくなった。なぜアメリカを真似る必要があったのか、理解に苦しむ。教育費の高騰が少子化の大きな原因であることも明らかである。
金持ちが悪いということは決してない。特にアメリカの金持ちは、消費力を持ち経済を回し、社会福祉に貢献することも好きだ。例えばビル・ゲイツのように。芸術などは豊かに育ち豊かな経験をした者が牽引することが多い。科学技術の分野においても、蒸気機関、電気、コンピューター、バイオ技術、AI等々、貧困から生まれたものはない。金持ちがふんだんに投資した分野の産物である。政府が軍事技術として大きな投資をした分野から生まれたものも多い。国のレベルで見ても、「先ずは金持ちが金持ちになることから始めよう」と考えた中国の鄧小平や、「社会主義的なネルー・ガンジー王朝の政治をやめ、リッチな国を創ろう」とリードするインドのモディ首相は国を発展させた。
筆者が言いたいのは、さはさりながら、今のアメリカや日本の「高すぎる」教育は、二極化や少子化を増長し、真の意味での科学技術の発展と社会の安寧の「癌」にまでなったのではないか。行き過ぎだ。ガンの存在は致命的だ。新しい資本主義あるいは成長と分配などと耳障りの良いことを言うならば、やらねばならないことは、高すぎる教育の改革から始めるべきだ。