大泉ひろこ特別連載

大泉ひろこ特別連載です。

QUAD アメリカ篇(6)目の玉の飛び出る教育費

2021-12-28 08:01:17 | 社会問題

 2017年2月、ニューヨークでの仕事の際にボストンに足を延ばし、久しぶりにハーバードやMITのある大学街を訪ねた。アメリカ東部に大寒波が襲った時であり、ハーバードの建物も銅像も雪をかぶっていたが、そのたたずまいは筆者がミシガン大学に留学していたころ、友人を訪ねてきたときと変わらない。世界の秀才が集まる広大な敷地と堂々とした歴史的建物の威風堂々の風景は、日本で言えば「公園」みたいなところだ。もっとも、アメリカの大学のほとんどは、資金力を活かして公園大学と呼べるような風情である。大学のパンフレットには、どこでも学生たちが木陰や芝生で談笑している姿と背景には美しい建物が遠方に見える。

 こんなにキャンパスを美しく整えられるのは、大学への寄付金が高いのと授業料が高いので保たれている。ハーバードを含む伝統ある、いわゆる東部アイビーリーグ大学はいずれも、年間の授業料と基礎生活費が日本円で年間700万円くらいである。これに娯楽や医療などの経費を加えれば金持ちしか行けない。アメリカは学生の奨学金が発達しているが、現在の奨学金債務総額は日本円で150兆円以上であり、若者がこの借財を背負って人生をやらねばならぬ過酷な負荷があるということだ。しかし、アメリカこそ学歴社会そのものであり、名門を出なければ高額所得や社会的地位を得るのは難しい。

 アイビーリーグはいずれも私立であるが、州立大学は一般的にこれより安い。ただし、ミシガン大学やカリフォルニア大学バークレー校など一流の大学は、州の居住者への割引はあるものの、アイビーリーグ並みの授業料を必要とする。もともと州立大学は、建国者の一人トーマス・ジェファソンが建国時13州の後に連邦入りした州は州立大学を造らねばならないとの方針を出し、創立された。学問に基づいて一般からトップの人材を養成しようというジェファソンらしい発想である。にも拘らず、現在では、トップクラスの州立大学は一般人にとっては高すぎて入れないという状況にある。ちなみに戦後GHQが帝国大学など国立大学の無い県には新たに国立大学を創らねばならないとの方針を立てたのは、他ならぬアメリカ流の建国のための人材養成の発想だったのである。

 確かに公私含め名門は金持ちしか行けないの現状である。ジョージ・ブッシュ元大統領はハーバードのMBA、トランプ前大統領はアイビーのもう一つの雄ペンシルベニア大ウォートンスクールのMBAであるが、二人ともお世辞にも秀才には見えない。だが、金持ちではあった。真の秀才はビル・クリントン元大統領だろう。彼は貧しかったがエール大学のロースクールを出た。その間、ローズ奨学金という難関の奨学金を手にしてオックスフォード大学に留学した。ハーバード大学ロースクール出身のオバマ元大統領も秀才だが、黒人枠の入学という可能性はあった。いずれにしても今の大学の現状では、将来が約束された名門は金持ちしか行けない。この現実は、アメリカ社会二極化の真の原因ではなかろうか。

 アメリカで目の玉が飛び出るほど高いものは、高等教育の授業料と並んで、医療費がある。海外保険に入らずに旅行した日本人がアメリカで盲腸手術を受け、何百万円を支払わねばならなかった話は多い。日本では健康保険が行き届いていて、そもそもの医療費が低く抑えられているうえに患者3割負担であり、おまけに高額療養費制度があって、保険診療ならばせいぜい月に数万円が限度である。アメリカでは社会保険が出来上がっていないので、多くは民間保険に加入し、加入できない低所得層のためにオバマケアという補助制度ができた。他に、高齢者や障碍者のためのメディケア、メディケイドという福祉制度もある。これらの制度の恩恵を受けずに高すぎる医療を受けられないままの層が多いこともアメリカの大問題であるが、欧州や日本のような医療保険制度は、財界の反対でこれまで実現しないできた。

 医療については日本はアメリカのような問題はないが、教育についてはどうであろうか。まず、私立大医学部は、アメリカの名門大学と同様に、金持ちでなければ入れないことは周知の事実である。その金持ちの代表が開業医である。サラリーマンの息子などは、国公立でなければ医学部の授業料を払えないので、東京の人間が地方の国公立医学部を受験して、その多くの定員を占めてしまう。地方大学は地域医療にこそ貢献すべきであるが、受験に有利な東京の学生で埋められ、その卒業生が医療の現場として東京に帰るということになれば、いかに地域枠入学を一定数設けても、地域医療は手薄のままであり続ける。

 また、筆者の属する団塊世代が大学に行く頃は、国立大の授業料は月千円であり、親からの仕送り無しで勉学している者は多かった。私立はその数倍から十倍くらい掛かって、しばしば授業料闘争が起きた。折しも起きた東大紛争で、マスコミと世間は「学生一人当たり百万円の税金がかかっているのだから、紛争をやっている学生は辞めろ」と騒いだ。その後公私の差は縮められる方針が出され、今では、公私の差は私立が2倍くらいにとどまったが、国立でも年間5-60万円の授業料となり、もはや国立ですら誰でも入れる状況ではなくなった。なぜアメリカを真似る必要があったのか、理解に苦しむ。教育費の高騰が少子化の大きな原因であることも明らかである。

 金持ちが悪いということは決してない。特にアメリカの金持ちは、消費力を持ち経済を回し、社会福祉に貢献することも好きだ。例えばビル・ゲイツのように。芸術などは豊かに育ち豊かな経験をした者が牽引することが多い。科学技術の分野においても、蒸気機関、電気、コンピューター、バイオ技術、AI等々、貧困から生まれたものはない。金持ちがふんだんに投資した分野の産物である。政府が軍事技術として大きな投資をした分野から生まれたものも多い。国のレベルで見ても、「先ずは金持ちが金持ちになることから始めよう」と考えた中国の鄧小平や、「社会主義的なネルー・ガンジー王朝の政治をやめ、リッチな国を創ろう」とリードするインドのモディ首相は国を発展させた。

 筆者が言いたいのは、さはさりながら、今のアメリカや日本の「高すぎる」教育は、二極化や少子化を増長し、真の意味での科学技術の発展と社会の安寧の「癌」にまでなったのではないか。行き過ぎだ。ガンの存在は致命的だ。新しい資本主義あるいは成長と分配などと耳障りの良いことを言うならば、やらねばならないことは、高すぎる教育の改革から始めるべきだ。

 

 

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QUAD アメリカ篇(5)人種差別

2021-12-20 09:56:30 | 社会問題

 アメリカのキーワードの中に必ず入っているのが人種差別。筆者は、大学街に住み、友人のほとんどが大学院生だったために、知的コミューニティの中で暮らし、あからさまな差別は感じることなく過ごした。差別は高まる時期と沈潜する時期があって、筆者が留学していた70年代は沈潜時期であったことも起因している。南北戦争後の黒人の復讐を恐れたKKKが代表する黒人への暴力集団、大陸横断鉄道建設後に起きた建設労働者中国人の排斥運動、第二次世界大戦中の日本人強制収容、9・11テロ後のイスラム教徒差別、そして今起きている、ブラック・ライブズ・マター運動やコロナ武漢発祥説に基づくアジア人差別など、アメリカの人種差別問題は枚挙に暇がない。

 キング牧師の労苦によって成立した1964年の公民権法以来、アメリカは法制上は人種差別が禁止されているが、実態がそうなっていないことは公知の事実である。黒人(人口の12%)は白人(62%)に比べ、所得、健康、教育などの指標が低く、劣悪な環境の中、貧しく暮らしている人口が多い。アジア系は、移民当初は農業労働者だったりクリーニング屋だったりが典型だが、努力を惜しまず仕事をし、子供の教育に熱心であり、二世以降は専門的な仕事についている場合が多い。ただし、政治や一流企業のトップに立つ人はいない(インド系のカマラ・ハリス副大統領は例外)。アジア系は数も全人口の5%程度で少ない。

 トランプ大統領が一番問題にしたのは、南米人、特にメキシコ人であろう。彼らはヒスパニック系と呼ばれ、中南米からの移民・不法移民で今は黒人の数をはるかに抜き、人口の17%を占める。ヒスパニック系は出生率が高く、2060年には人口の28%を占めると予測されている。その時、白人の人口は43%に落ち、同じく人口増加するアジア系や増加率は鈍化した黒人などの「有色人種」がマジョリティになる時代が来るのである。そうなれば、白人が築いた歴史、西洋生まれの自由と民主主義という価値は揺らぐかもしれない。義務教育で教えていた白人中心主義、アメリカ人たるもの「白人化」しなけれなばらないことを書き換える日が来るかもしれない。トランプはメキシコとの国境に壁を造ることを公約し、実際に壁を造った。

 ミシガン大学公共政策学大学院の級友パット・クルツは、メキシコ系アメリカ人を指す「チカノ」であった。最近アメリカ人と話すと、ラテノと呼ぶ人が圧倒的に多いが、当時はチカノの呼称が主であった。アメリカは19世紀、米墨戦争に勝って、カリフォルニアなど南西部、テキサスを領土にしたが、これらの州にはそもそもメキシコ人が多く住まい、今日でも、その人口は大きい。パットはカリフォルニア州の首都サクラメントの出身で、スタンフォード大学を卒業し、ミシガン大学にやってきた。彼女は、いつも「寒い、寒い。カリフォルニアのように一年中太陽の光を浴びていた私にはつらい」と愚痴をこぼしていた。

 学業成績はたいへん優秀で、スタンフォードもミシガンも奨学金付きで入学が許された。「だって、うちは貧乏だもの。子供の時から、肉が買えなくて豆で育ったのよ」。その割には体格は良かったし、頭の回転も速く、「私は、リサーチなんかしなくたって、さらさらと論文書いちゃうのよ」と言い、にもかかわらずあっけらかんと何でも話すまさにラテン系の人だった。親しくなるにつれ、パットは筆者に胸の苦しみを話すようになった。パットは白人からのデートの申し込みは絶対に断った。「コーケイジャン(白人)は怖いのよ。話そうと思うと足が震える」。筆者はびっくりした。こんなに明るくて賢くても、そんな弱点があるとは想像もできなかった。

 「だって、白人は我々から領土を奪い、虐殺や暴力や残酷なことをしてきたでしょ。そして、我々に対する差別。私は、この行政学コースを修了しても、白人のように就職できるとは思っていない」。ふと気づいたのだが、パットは、私には明るく話しかけるが、白人の女子学生とは付き合っていなかった。筆者は、ブラウンバッグと学生仲間で呼ぶ、毎日の持ち寄りランチ会に出ていたが、パットの姿はなかった。白人の女性たちは、当時ウーマンリブ真っ盛りの頃だったから、野心、競争心むき出しの会話が行われていた。日本の大学を出、官庁に務めた筆者にはその女性たちの姿が生涯のロールモデルになった。心を奪われていたのである。

 だが、パットは、そんなウーマンリブの大学院生を尻目に、チカノの人権運動に参加し、時々デモの中で旗を振っている姿を見かけた。そんな彼女の心の支えはカリフォルニアから連れてきた二歳下、同じチカノのボーイフレンドだった。彼は、ハイスクールを出てジャズバンドでドラマーをやっていたが、ミシガンではその職を得ることはできなかった。やがて、パットは、失業中の彼氏を奨学金で養うのに限界を感じ、また、暇な彼が勉学の邪魔にもなるので、彼をカリフォルニアに送り返した。その決断をしたのはパット自身なのに、しばらくはメソメソと泣いてばかりいた。

 しばらくしてパットは自分を取り戻し、「私には、この国の人種差別をぶち壊すという目的がある。最終的には、エールかハーバードに行って、弁護士資格を取ろうと思う。チカノ、やるじゃん、と人に言わせるんだ」。パットは徐々に、黒人やイラン人とデートを始め、元の明るい彼女に戻ってきた。筆者は、パットの姿を見ながら、自分の大学時代を思い出した。東大紛争の最中、研究者の道を断念し、当時女性に閉ざされていた多くの道をどう切り開いていくか、毎日考えに考え続けた。結局、数少ない男女平等の官僚の道に行きついたのだが、道を決め扉が開かなかった数多くの先輩女子学生の嘆きをいやというほど知った時代であった。筆者は女子差別という人種差別を何とか切り抜けてきたのだった。

 帰国後、パットとは音信不通になった。彼女がどうなったのかは分からない。アメリカの女性は以降、日本に比べれば比較にならぬほど華々しく活躍をしてきたが、パットのように人種差別を覆すという目的を持った女性が世の中に貢献していてくれたら望外の喜びだ。しかし、一般論としては、白人至上主義は多様性文化強調の水面下で根を張ったままとみられる。

 

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QUAD アメリカ篇(4)自由からの逃走

2021-12-13 09:55:08 | 社会問題

 2001年9月11日。アルカイダのテロ攻撃に怒り狂ったブッシュ・ジュニア大統領は、アフガニスタン、イラクに戦争を仕掛けた。以降20年、首謀者のオサマ・ビン・ラディンは殺害され、イラクの独裁者フセインは処刑された。しかし、中東にも、アメリカにも、世界にも平和は戻ってこなかった。アラブの春は失敗し、シリアの内戦は広がり、イスラム国はテロをやめない。ブッシュが豪語した「米国はアラブを民主化し、世界平和をもたらすのだ」は、「またしてもベトナム戦争の轍を踏んだか」と評されている。

 ブッシュは「我々は、第二次世界大戦後に日本を民主化することに成功した。我々の民主主義、自由主義、人権主義を教え込んだのだ。この成功を世界中でやりたい」と叫んだ。当時の小泉純一郎首相は、イギリスのブレア首相、オーストラリアのハワード首相と並んで、ブッシュの好戦的な政策を支持しブッシュの犬と呼ばれた。ブッシュは、アングロサクソンの英、豪とともに、黄色いアングロサクソン日本が「今も米国の部下だ」と内心思ったことだろう。

 しかし、この30年の間に世界は大きく変わり続けた。1991年、ソ連が崩壊してアメリカの一極支配、資本主義の勝利、共産主義の敗北が明らかになり、民主主義と自由主義の価値は至上と叫ばれた。その後、アメリカに「教育された」はずの日本は青息吐息になってきた。90年のバブル崩壊からデフレ脱却できず、先進国の中で経済成長がもっとも低く、IT革命やバイオ革命の先頭に立ったアメリカに水をあけられ、中国に先を越され、やがてインドに抜かれることは必至だ。もはやブッシュの言う「アメリカは日本を教育して成功した」例にはならない。アメリカの「教育」を有難がって受け止めたのは小泉首相が最後ではないか。

 安倍首相はどうか。確かに、トランプ大統領の犬との評価もある。しかし、安倍首相の本心は「戦後レジームの脱却」だ。アメリカによって起草された憲法を始め、日本の伝統価値を放棄した教育・文化の戦前回帰を強く願ってきた。しかし、安倍は現実主義者であり、八年も首相を務めながら「自国製憲法」を実現するに及ばなかった。安倍から宏池会の岸田に政権が移ったことによって、戦後レジームの脱却、憲法改正は遠のいたとみるべきだろう。安倍のような考え方のナショナリスト政治家は、意外に政権を取りにくい。戦後政権を取ったナショナリストは、安倍の外祖父である岸信介、中曽根康弘、そして安倍のたった三人だ。中曽根は臨教審を主宰するなど教育の戦前回帰を求めたが、大政治家中曽根らしく、御用学者を集めて行ったわけではなく彼の主張通りの答申を得なかった。

 そのほかの首相は全て、アメリカの授けた民主体制に忠実であり、少なくとも、アメリカをうまく利用して、日本の経済発展につなげてきた。アメリカの授けた自由貿易主義は、対米貿易が巨大な時代には、日本の経済成長のエンジンになった。また、日本社会は、アメリカ文化を喜んで受け入れてきた。ロックンロール、Tシャツ、ファーストフード、恋愛結婚、大学の大衆化、「西洋人っぽいのが美貌」、そして、核家族、友達夫婦、友達親子。それらは民主主義を具現化した文化である。もっとも、日本に限らず、アメリカ文化は、共産圏においても、フランスのように自国の文化に誇りを持つ国においても、人々を魅了し、侵食してきた歴史がある。

 社会が開放的なアメリカ文化を好きになってしまうのだから、それは抗えないことだ。しかし、中国の台頭やアラブでのアメリカの失敗は、アメリカの国際社会における政治力の弱体化を真に意味する。アメリカ自身もそれに気づいて、戦後の国連中心主義やブレトンウッズ体制に代わるアメリカ支配を担保する枠組みを模索している。それが、他ならぬQUADであり、ファイブアイズ(米、英、豪、加、NZ)である。日本は、アングロサクソン国とは温度差があり、アメリカの弱体化とともに、安倍首相のようなナショナリスト政治家が跋扈したり、中国待望論も芽を出している。

 アメリカの弱体化とは別に、アメリカの民主教育でそもそも日本に根付かなかったのは、個人主義と男女平等ではあるまいか。制度は民主主義を前提にしていても、それは、アメリカのように個人が自由に生きるための制度ではない。たいていの日本人は、学校はブランドを選び、そのブランド力で就職や社会ステータスを掴む。ブランド名のある就職を選び、人生の安定を求める。その代わり、ブランド名を提供する集団、大学であれ、企業であれ、家系であれ、その集団に忠誠を尽くす。過労死するまで忠実に働くなどはアメリカでは考えられないことだろう。日本人は、どこに属するかで決まり、決して個人で生きようとはしない。

 終戦後の憲法策定には、23歳のベアテ・シロタ・ゴードンさんという女性がGHQのメンバーに入って、アメリカよりも先進的な男女平等の条項を入れた。しかし、戦後75年、日本の男女平等度(ジェンダーギャップ)は世界120位と甚だしく劣位にある。男のみならず女も真実に平等を望まなかった証拠としか言えない。否、平等の観念そのものが異なっていたのではないか。よく説明に用いられるのは、日本の女は家計に責任を持ち、一家の財布を握っているのに対し、アメリカの女はもともと男が財布をにぎり必要に応じて生活費をもらうという屈辱的な慣習があった。つまり、日本の女は実質的な権利を与えられていたから、あえて男女平等を叫ぶ必要がなかったという。だが、むしろ、日本は根本的には母系社会であり、明治の民法で、人口一割に満たない武家社会の男尊女卑を採り入れたに過ぎないから、男女平等で声を荒立てる必要性に欠いたと言うべきだ。

 日本はアメリカの不遜な教育にも拘らず、自己の文化と180度異なることに関しては、社会が抵抗し、民主化を拒んだ。その例が、個人主義であり、男女平等であろう。日本は、集団から解き放とう、女性の生きやすい社会を作ろうとしたアメリカの自由への解放に対し、無意識的に抵抗した。その結果が今も、自分の個人的意見の無い集団主義とジェンダーギャップの大きさに現れているのだ。アメリカが弱体化すれば、自由からの逃走はもっと鮮明になるか。心配してやまぬ。

 

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QUADアメリカ篇(3)リメンバー・パールハーバー

2021-12-06 09:37:52 | 社会問題

 真珠湾攻撃は、アメリカにとって驚愕の歴史である。これに並ぶのは、2001年9月11日のアルカイダのテロしかない。「日本と戦争状態になるかもしれないが、まさか・・」が当時のアメリカの大方の見方だった。民主党のルーズベルト大統領は、国民の厭戦ムードを受けて、戦争は避けるべく行動していた。しかし、この奇襲攻撃で国民は一挙に参戦ムードに変わり、ルーズベルトは議会で開戦演説を高らかに行った。「日本帝国は、戦争を避けるための外交交渉中に突然の攻撃を卑怯にも行った。そして、マレーシア、フィリピン、グアム島、ミンダナオ島にも攻撃を始めた」。開戦権限は大統領になく議会にあったが、議会は満場の拍手で対日参戦を支持した。

 そもそもアメリカは独立以来、戦争を幾多も重ね大国化してきた。米英戦争、米墨戦争、米西戦争、対インディアン戦争で領土を拡大し、南北戦争で統一国家を造り、さらには第一次世界大戦、第二次世界大戦へと及ぶ。言うに及ばず、20世紀の世界大戦後は、超大国として世界に君臨するようになった。東海岸の一植民地にすぎなかったアメリカが、意識するとしないとにかかわらず、「巨大帝国」になったのは否めない。第二次世界大戦においては、チャーチル英首相がルーズベルト大統領に何度も泣きを入れて参戦を懇願し、アメリカのノルマンディー上陸作戦によってフランスを救い欧州の戦況を変えた。

 第二次世界大戦の戦勝国は、本当はアメリカとソ連だけだ。イギリスもフランスもドイツに負け、ドイツは東部戦線でソ連に阻まれ惨敗した。アジアでも、日本はマレーシアでイギリスを、インドネシアでオランダを負かし、さすがに広大な中国を掌握するには至らなかったが、アメリカのマッカーサー将軍をフィリピンからオーストラリアに追い出した。しかし、戦況はその後、ミッドウェー海戦から沖縄戦に至るまでアメリカに負け続け、無条件降伏に至った。

 その強いアメリカが真珠湾攻撃に地団駄を踏んだのは、暴力と流血で国を築いてきたにも拘らず、見ず知らずの異星人である日本から屈辱を味わったからである。2011年のアルカイダの時も同様であろう。「リメンバー・パールハーバー」はアメリカを奮い立たせる言葉となった。最近ではトランプ大統領も使ったが、当時の意味合いは完全に薄れている。しかし、1948年、アメリカの歴史学者が「真珠湾攻撃はルーズベルトの陰謀」という内容の本を出版した。ルーズベルトは日本の奇襲攻撃を知りつつ、ハワイの海軍に情報をもたらさず、参戦の契機を作るために攻撃させたと言う。「新高山登れ」の暗号も知っていたと言うのだ。

 この情報はアメリカ統治下の日本でも評判になった。なぜなら、マッカーサー連合国軍最高司令官はルーズベルトを忌み嫌い、この情報の漏洩を止める気はなかったからと思われる。フィリピンから追われたマッカサーが豪国ブリスベンに設けたオフィスの執務室には、本来なら現役大統領の肖像画を背後に飾らねばならぬところ、彼は代わりにワシントン初代大統領を飾っていたくらいである。ただし、陰謀説には確かな証拠があるわけではない。それにしても、敗戦国の日本人にとっては、極東裁判でのパウル判事の日本無罪論やこのルーズベルト陰謀論や、さらには、負けたとはいえアメリカも脱帽した硫黄島の戦いなどは、若干のプライドの回復に役立った。

 真珠湾攻撃から今年はちょうど80年である。かつてアメリカにとっての異星人日本は、同盟国となった。アメリカにとっては最も従順な同盟国であろう。世界に数多あるアメリカの軍事基地で最大なのが沖縄だ。今や、アメリカの安全保障にとって大西洋側より太平洋側がはるかに重要になった。中国があり、ロシアも東西に広がる広大な領土の東に力点を移している。アジアの経済圏の発展は抜群でもある。オバマが既に「アジア中心」を打ち出していたが、そのアジアの砦になるのが地理的に最も優れた日本である。いまやアメリカにとって日本ほどありがたい同盟国はあるまい。オバマ、バイデンと続いて、中東から引き上げる方向にあり、アメリカのアジア重視は対中国政策を軸に明確である。

 アメリカは9・11テロから数えてもう20年もイスラムと、そして中東と戦ってきたが、バイデン大統領の失敗とされるアフガニスタンからの撤退を始め、不毛の戦いであった。アメリカは第二次世界大戦後、朝鮮戦争もベトナム戦争も勝てなかった。否、ベトナム戦争は「負けた」。湾岸戦争(1991年)は勝ったが、国連連合軍の形をとり、アメリカひとりで勝てる戦争ではなかった。日本も1兆円の「金のみ」の参加をした。このときのアメリカの批判が「日本よ、地に足をつけろ」。カネではだめだ、ブーツ・オン・ザ・グラウンドだ。このときから、日本は、PKO法や集団安全保障容認の道を取らざるを得なくなったのである。

 アメリカと同盟を組む一番の理由は、アメリカの核の傘の下にあって、その抑止力を使わせてもらうことだろう。核兵器を持たない、唯一の被爆国である日本はそうせざるを得ない大きな理由にしている。ちょうど、原子力発電をやめたドイツが、フランスから原子力発電の電気を買っているのと似たような状況だ。最近では、バイデン大統領が世界の民主主義国を集めて国際会議の開催を提唱しているように、民主主義という共通の価値観を有する国同士だから同盟できるという説明がなされる。

 しかし、アメリカの民主主義と日本のそれとは大きな違いがある。制度的にはアメリカから導入されたものの、アメリが個人のレベルまで民主主義であるのに対し、日本は今も権威に頼る部分を残し、透明性のない民主主義である。最近の事件で言えば、日大理事長の背徳を内部で暴くことのできない「権威への弱さ」が露呈された。アメリカ大統領は世界の指導者と思われているが、実は、アメリカの三権分立の中で、自ら法案を出すこともできず、議会主導の法案に拒否権があるだけの権力しかない。クリントンもトランプも弾劾裁判にかけられるような制度(トランプは最終的に免れた)がある。より徹底した民主主義である。

 日本はどうか。議院内閣制のため、総理大臣は多数党の賛成を得れば何でもできる。多数党の独裁体制である。アメリカは独立宣言、憲法制定、数々の憲法修正(アメンドメンツ)を経て、民主主義の体制を作ってきた。1947年の時点で、当時のアメリカ以上の民主主義的な憲法を制定した日本だが、初めに制度ありきは、制度を造りながら建国してきたアメリカとは逆の、憲法に合わせる国造りに今も四苦八苦している。この二つの国がQUADでどう役割分担していくか。リメンバー・パールハーバーの日の原点から考察する必要がある。

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