竹下一郎と小百合兄妹は、亡くなった母美津子の高校時代の友人である小田文子弁護士と会っていた。場所は、美津子のアパートである。
「お葬式に間に合わなくてごめんなさい。のっぴきならないクライアントの訴訟があって・・・」。小田は、細身に黒いスーツをまとい、白髪一色の髪を散切り頭にしていた。今で言う法律4大事務所から独立して30年余り、女性弁護士として、家族問題の著作や記事を書き、テレビのコメンテーターとしても活躍していたが、その地味な姿からは想像できない。
「美津子さんは67歳、私と同い年。早過ぎる死ね」「でも、苦しまなかったみたいで。朝、居宅サービスの人が亡くなっているのを見つけたんで、妹が近所の医者に検死してもらったら、誤嚥性肺炎でした。最近、肺炎は多いそうですね」。
小田は、遺影と骨箱を見ながら、訊いた。「お墓はどうするの」。一郎は、小百合と顔を見合わせる。「それが困っているのです。母には兄がいて、母の実家喜多川家の墓を継承しているそうですが、もう20年近く連絡を取ったことがありません。20年前、お婆ちゃんのお葬式で母とその伯父が大喧嘩して以来、没交渉になりました。私の父は、離婚したのだから、父の家の墓には入れられないと」。
美津子の母親は、20年前に餅を喉に詰まらせて窒息死した。その死を巡って、美津子の兄は、夫と離婚して実家に身を寄せた美津子をなじり、「母を見殺しにした」と怒って、その後二度と美津子の前に姿を現さなかった。20年間、二人は僅かながらあった祖母の不動産も貯金も相続しないままであった。
「散骨します」。突然、小百合が言った。「今は、墓じまいという方法も増えている。少子化で墓の継承者がいないのを見込んで、墓をしまう儀式をやって、別の方法で葬るのが時流ですから」。すると、一郎が言った。「おい、お前ひとりで決めるなよ。僕はまだ新たにお墓を作ることも考えているんだ」「だったら、勝手にやって。私は、お母さん嫌いだもの。だけど、兄さん、結婚もしていないし、子孫があるかどうかも分からないのに、墓を新たに作るなんてキチガイ沙汰よ」「僕は君のようなひねくれた人生は送らない」「へえ。兄さんは可愛がられたからね。兄妹を差別する育て方は真っ平御免。母もその兄と仲が悪いのは、自分が可愛がられなかったからだって言ってた。何度同じ轍を踏めば気が済むの。私は、子供はいらない」。
小田は少し青ざめて二人の言い争いに切り込んだ。「実はね、一郎さん、小百合さん。忘れもしない、20年前、その伯父さん、喜多川喜一さんが私の事務所に突然現れて、刑事告訴をしたいと言って来られたんですよ」。「えっ」。一郎と小百合は同時に声を発して小田の顔に視線を集中した。
「喜多川さんは、妹の美津子に故意があったはずだ。そうでなければ、助けられたのに助けることもしなかったかどちらかだと主張して、検察庁に行くと言われたので、私は、3日がかりでこんこんと話して、翻意してもらったんですよ」。当時元気だった祖母の突然の死は、若干の憶測を呼んではいたが、小田から真面目に伝えられると、二人は動揺し、身震いした。
小田は続けた。「だけどね、お二人とも。はるか昔のことだし、証拠があるわけでもない。それにね、訴訟をやっていれば、こんなようなことは嫌というほどお目にかかるんですよ。医者のミス、看護師のミスは表面化していないだけだし、子供がおじいさんの点滴を抜いてしまったなんてケースもよくあるの。それをいちいち立件していたら、アメリカみたいな訴訟王国になってしまう」。
「小田先生。事実を言ってくださって有難うございます。先生、どうして、先生は母みたいなおかしな人間と長く付き合って来られたのか教えてください」。小百合は小田に訊いた。小田は、暗い表情を少しだけゆるめて、微笑もうとした。「なぜでしょうね。自分でもわからないのよ。美津子さんは、高校時代、誰とも付き合わず、勉強もしっかりせず、死にたい、死にたいと言ってた変わった女の子だった・・・」。
小田は続ける。「私は、父が弁護士だったせいもあって、高校の時から将来は法律家になろうと思って一生懸命勉強していたのだけれど、隣の席の女の子がいつも死にたいなんて言われると、気になってね」。小田文子と喜多川美津子は親しくなった。「美津子さんは、どんな状況の中でも、自分は不幸な人間と思いがちな、生まれつきの鬱病なのね。それが私の解釈よ。だけれど、当時、私のように、将来法律家になろうなんて野心を抱く女子など存在しない時代だから、私は、いつもバッシングの対象になった。男の子たちが私の勉強道具を隠したり、ノートを破いたり。そんなとき、なぜか美津子さんが助けてくれた。あの人は競争心のない人なのね。男の子が奪ったノートを取り返してくれたり・・・」。
小田と美津子が通った高校は有数の進学校であった。小田は国立大学法学部に、美津子は私立の女子大学に進学した。団塊世代の女子の4年制大学進学率は5%の時代であった。二人はその後もちょくちょく連絡を取り合いながら、今日まで付き合いが続いた。「美津子さんが唯一笑顔を見せたのは、結婚が決まった時。百回も見合いしたそうよ。一週間に5回なんてこともあった。独身で生きるつもりの私に、誇らしげに、結婚が決まった喜んでいた」。
小百合は小田の話に聞き入るが、男である一郎は思い出話を退屈そうに聞く。「団塊世代の女はクリスマスイブ、つまり24歳までに結婚するのが理想だった。いくら新憲法が男女平等を決めても、大正生まれの親に育てられた団塊世代の女がそう簡単に価値観を変えることはなかった・・・美津子さんも結婚を軸に生きてきたのだけれど、なぜか離婚してしまった。あなた方は父親の下で育つことになって・・・」。
難しい試験と激しい業界での競争に勝って生きていかねばならぬ小田にとって美津子は、自分と競合することのない、心安らかな友人と思っていた。しかし、離婚を機に、美津子は小田と距離を置こうとしたと言う。「何も競争心がない人かと思ったら、結婚していない私に唯一勝っていた、結婚という代物を捨てなくてはならなくなって、私と肩を並べるのが嫌になったのだと思うの。次元の違う競争心があったんでしょうね。だから、この20年間は、私の方から連絡をとらないと何も言って来なくなってしまった。人間とはかくも複雑で難しいものよ」。
「先生、お陰様で、やっといろんなことが分かって来たわ。私の人生の選択は、間違っていない。もうこういう女の人生繰り返さない。私は、子供なんか絶対に作らない・・・」。そう言い放った途端に、小百合は急に吐き気をもよおし、大急ぎで洗面所に飛んでいき、げーげーと音を立てて吐いた。小田が小百合の背後に来て背をさすった。
「小百合さん。もしかして、あなた、妊娠しているのではないの」。