寿センター将棋室。「やあ、秋夫君、日常が戻ってきたね、まだ完全ではないけれど」「有難いことだ。昨晩、電話したんだが、君は電話に出なかったね。俺、久しぶりに君と飲もうと思ったのにさ」「バーお多福でか」「そうだよ。君がいないから,仕方なく一人で行ったら、客は俺一人だった」「はは。ママと懇ろになったろう」「あのお多福みたいなママと一対一だとちょっと気持ち悪かったな。あんなブスでも二人だけの世界になると女に見えちゃってな」「秋夫君、君も枯れてないな」「君は何していたんだよ」「俺は映画館に行って、俺もまた三百席の中でたった一人の観客だった」
「へえ。VIP扱いだな。で、何を見たの」「ベン・ハーさ」「ああ。ローティーンのころ見たことある、古い映画だな」「そうそう。1959年の映画。アカデミー賞11部門受賞のド迫力の映画さ」「当時、アメリカの総天然色ってすげえなと感心したが、ローマ時代の話で、イエス・キリストの原罪がテーマで、よくわからなかったな。主演のチャールトン・ヘストンの、ミケランジェロの彫刻みたいな肉体とローマの競馬だけが頭に残っている」「当時は、アメリカの映画というだけで、日本はかなわない、ケチな国だと思っていたが、俺も、一体あの映画の意味は何だったのだろうと思いついてね、衝動的に見に行ったのさ」
「俺は、春男君みたいな偉そうな考えはないから、あれは元祖アクション映画としか見てないね。チャールトン・ヘストン演じるベン・ハーが罪人となってガレー船を漕いだり、ローマの司令官を海で救ったり、白馬を駆って落馬しながら競馬に勝利したり、心臓がドキドキしっぱなしだったな。でも、当時、日本人は肉を十分食べていなかったから、あんなすごい男の筋肉や、あんなエネルギーを出すことなんか現実に考えられなかった」「そのベン・ハーを駆り立てたのがユダヤ貴族である彼を陥れた、幼馴染みのローマ役人に対する復讐だ。キリストとの出会いにより、キリストが処刑されるときに、すべての人の罪を背負うと知って、ベン・ハーは憎しみから解放されると言うストーリーだ」
「なんだよ、お前。急にキリスト教徒みたいになっちまって」「いや。正直俺には原罪意識なんてものは分らない。欧米人は2千年もその宗教を大事にしてきたんだぜ。儒教は社会の統治、仏教は心の統治、その穏やかな哲学で育ってきた俺たちには、そんな血なまぐさい、激しいものの考えはできないと思う」「そうだよ。今回のコロナ対策だって、日本は生ぬるいと言われているけれど、欧米のように、都市のロックダウンみたいなことできないもんな。俺たちは、生まれながらに罪を負っているとは考えられないから、コロナはいつか通り過ぎていくと楽観視するところがある。神に罰されるとは考えないからな」
「秋夫君、世界中で、疫病対策をするという珍しい年になったが、コロナをめぐっても、米中対立は激しくなり、世界の企業が倒産の危機に瀕し、国々は鎖国状態だ。グローバリゼーションと資本主義の終焉かもしれないぞ」「株価は持ち直しているが」「株価は人々の希望値であって、俺は、秋夫君、キリスト教徒とイスラム教の戦いよりも、今後は、キリスト圏とアジア価値の戦いのほうを恐れるね」「俺たちは、キリスト教徒でもなければ、中国の価値を体現するわけでもない」「ということは、日本は早く、日本独自の価値を世界にアピールすべきじゃないか。グローバリゼーションと従来型資本主義の次に来る時代に備えて」
「やだな、春男君、あんな古い映画見て興奮してしまって」「年寄りである俺達こそ原点に帰るべきだ。ポストコロナ世界は確実に変わる」「何でもいいから、早く将棋を始めよう」