大泉ひろこ特別連載

大泉ひろこ特別連載です。

リベラチェ アット ハート余禄(5)ヌレエフ 男の肉体美

2018-10-23 10:27:57 | 社会問題

 20世紀稀代の天才バレリーナヌレエフは自他ともに認める同性愛者だった。1993年、54歳、エイズで亡くなった。ソ連生まれで、若き日から頭角を現し、後に亡命してオーストリア国籍を得た。激しい容貌と激しい気性で知られ、美しい肢体は自由に宙を舞い、男性的なダイナミズムを発揮した。

 筆者は1981年の映画「愛と悲しみのボレロ」で、ヌレエフ役を演ずるバレリーナを観て、初めてヌレエフに興味を持った。彼はそのころ天才バレリーナの名をほしいままにしていた。残念ながら、筆者は彼のことを語る資格はない。バレーも彼の人生もよくは知らない。だが、若き日に海外で生活をして、「静」の日本舞踊よりも「動」のバレーに心を奪われ、同様に、体を楽器にして唄うオペラ歌手の歌唱力、そして不変の名曲クラシックに存する「動」の力に傾倒し、長閑さや呟く歌の日本のものよりも、西洋かぶれを自認する。

 西洋人は肉体の美しさを芸術ととらえる。かのミケランジェロも筋肉質で肉感のある男を描き続けたが、彼の作品の女は男に近い肉体で表現されている。ミケランジェロも男色家だったのだ。肉体を華とするバレエも究極の肉体の美を強調する。いかに技術的に優れていても、手足が短ければ、背が低ければ美しさは半減する。だから、日本では、あからさまな肉体美の追求は忌避されて来たと思われる。

 2012年の正月、モスクワから日本に帰る満席のアエロフロートに搭乗した。満席はロシアのバレー団の一行が乗っていたからである。ひと目でそれと分かるスタイルの優れた人々であり、彼らはじっと坐っていることができず、通路を歩き回り、はた迷惑な存在ではあった。客席乗務員もそれに慣れているのか、彼らの行動を放置していた。一般人とは異なる美しさに溢れた人々であったが、一般常識とは異なる行動の人々でもあり、同性愛を含め、美の追求には異次元の感覚を持っているようだった。

 リベラチェは「女性は要求が多過ぎる」と嘆いていたが、具体的に何を意味していたのかはわからない。しかし、彼は男性との性愛に安心感を持ったことは事実であり、優れた芸術家の宿命に抗わなかったのだ。精神医学者頼藤和寛の本に、「男と女の違いは、子供が川で溺れたときに、女は自分の子供なら助けるが、男は自分の子も他人の子も助ける」とあった。リベラチェは女のエゴを嫌い、男の包容力を大事にしたのかもしれない。彼の包容力ある音楽は多くの女性を魅了した。

 

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リベラチェ アット ハート余禄(4)アパレル業界とゲイ

2018-10-16 09:35:11 | 社会問題

 縁あって、今年2度目、世界的デザイナーであり企業家であるポール・スミスに会った。背が高く、スリムでシャツとパンツが綺麗な姿を表現する72歳の英国紳士。エリザベス女王からナイトの勲章をもらい、サーの称号を持つ。暫しの会話でも、彼の「日常的な優雅さ」がほとばしり出る。70歳代でこんな素敵な男性はちょっと見当たらない。

 その日は、多くのアパレル業界の人々が集まったが、男も女もみなスリムでお洒落で、さっそうとしている。まるで、パリかマンハッタンを歩いているような光景だった。パリは申し合わせたような黒い基調の、速足歩きの女性たち。マンハッタンは、全米に多いはずのデブは見当たらず、生地の良いスーツの細身のビジネスマンたち。そうか、お洒落というのは、自分に自信のある人のやることなのだ。そう思って疑わない。

 ポールスミスの定番で細かい花柄のシャツを私も着て、その着心地の良さ、自分をくるむ「包み紙」への誇りで満たされる。長年の選挙生活で、すっかり忘れていたお洒落の気分が甦ってくるようだ。そして、業界の女性から「この業界はゲイが多い。ポールは例外だけれど」と聞いた。ゲイは美しい人が多く、したがってお洒落なのだ。まさにリベラチェがそうだった。いち早くマエストロの着る黒の燕尾服を脱ぎ捨て、白や金やピンクのスーツにふんだんに宝石を縫い付けた舞台衣装をまとった。その上にミンク、バージンフォックスの毛皮のコートを羽織って出場する。「私を見てください」で始まる彼の音楽ショー。

 男の本性とは、本当は美しくありたいのではないか。孔雀を観れば納得だ。男に強さや金を求めすぎるから、成熟した現代の社会で男は嫌になってしまったのかもしれない。少子化の遠因かもしれない。

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